第三章

第29話 春を呼ぶ祭り

 朝、目覚めるなり、ライサは窓際に置かれた鉢植えへ視線を向ける。そして、信じられないという思いで何度か瞬きをして、毛布を羽織ってベッドから抜け出した。パタパタと鉢植えへ駆け寄り、まじまじと鉢の中を覗き込む。ライサは感嘆の声を上げて息を呑んだ。


「もう芽が出てる……⁉」

 朝の、雲の間から零れるほんの僅かな光を受けて、氷のような双葉が透明な光を零していた。昨夜種を植えたばかりだというのに、なんという成長速度だろうか。

 種をくれたニーナ村長の説明によると、このまま一週間もすれば花が咲くのだと言う。その花びらは、暖炉の火のようなあたたかい紅色と、湖のように透けた蒼色をしているそうだ。この地に伝わる伝説の炎龍えんりゅう、そして、氷龍ひょうりゅうの鱗にそれはよく似ているのだという。

 ライサは瑞々しい双葉を見つめながら、柔らかい笑みを浮かべた。





春呼夜祭はるよびのよるまつり?」

 聞きなれない言葉に、ライサは首を傾げた。春と言えば、あの春なのだろうか。

 年中雪と氷に閉ざされている国、シャトゥカナルだが、「春」と呼ばれるほんの一ヶ月だけは気温が上がって雪が溶ける。

 もっとも、他の国に比べれば十分寒いし、近年は春が来てもさほど雪も溶けないらしいのだが、それでも大切な季節であることは確かである。


「ああ、この地方に――と言うよりも、職人たちに伝わる祭りでね。もうすぐやってくる春に向けて自然の恵みに感謝し、これからの豊穣を祈る祭りだよ」

 ニーナ村長がライサに向かって、口の端を持ち上げるようにして笑みを作った。

 ライサの隣に座っているザックが、ホットミルクに口をつけている。ニーナから目線で飲むように促され、ライサも水面に息を吹きかけながら、慎重にそれを口に含んだ。


「来るべき春に向けて、自然に感謝する祭りだからね。最低でも一週間は採集や狩りを止め、代わりに森へ祭壇を作って酒や木の実、果実なんかを捧げるんだ。そして、祭り本番では祭壇の前で歌って踊って、森やそこに住む者たちと共に夜を明かすのさ」

「なんというか、すごくスノダールらしいお祭りですね」

「――そうだね。魔物とはいえ、命を奪っていることを自覚して感謝を忘れないこと。とても大切なことさ」


 ニーナの答えに、ライサはふっと口元を緩ませて微笑んだ。春呼夜祭、とても大切な行事だと言うことは分かったが、その祭りに関連したライサたちの「大切な役目」というのは何なのだろうか。

 ライサたちは互いに視線を交わし、首を傾げる。


「それで、なんだけどね。春呼夜祭の後夜祭ではこの地方の春のおとぎ話にあやかった儀式を行うんだ。炎の龍と氷の龍、二頭の龍が出てくるおとぎ話は知っているかい」

「はい。え、ええと……。確か」

 ライサは昔、ナターリアとブラトと一緒に読んだ絵本の内容を思い出す。



 遥か昔より、この地は厳しい雪と氷に閉ざされた世界だった。

 全てを凍てつかせる魔物たちの女王、強い氷の「力」を持つ氷龍が、この地を支配していたからである。冷たい雪と氷に閉ざされ、この地は人も住めず、僅かな生き物たちが細々と暮らす寂しい土地であった。


 ある時、別の大地から飛んできた炎龍が、翼を休めるためこの地に降り立った。降り立った瞬間に炎龍の「力」は周囲の寒気を立ちどころに打ち消し、この地に住む魔物たちは炎龍に頭を垂れたのだと言う。

 これに怒りを覚えたのが、女王氷龍だ。

 真逆の性質を持つ炎龍に強い敵意を感じ、氷龍は炎龍を排除しようと襲いかかった。


 しかし、炎龍は戦わなかった。それどころか、女王の縄張りに立ち入ってしまったことを深く反省し、彼女の怒りを受け止め謝罪したのだ。の優しくあたたかい気質にいつしか氷龍は心を開き、二頭はつがいとなった。

 氷と炎の力が交じり合うことでこの地の氷や雪は溶けだし、次第に命が根付くようになったという。


 しかし、この地は元々雪と氷の性質を持った土地、二頭が長く共にいることで自然のバランスは崩れ、そこに住む動植物に悪影響を及ぼし始めた。

 そこで二頭は別々の場所で過ごし、年に一度、僅かな期間だけ共に過ごすことを選んだ。


 氷龍の「力」が満ちた土地で、迷わず氷龍を見つけられるように。またこの場所へ帰って来られるように。

 炎龍は自身の鱗を一枚、氷龍に託した。代わりに氷龍も自身の鱗を炎龍に渡し、必ず自分の下に帰ってくるようにと誓いを立てさせた。


 それ以降、少し優しくなった氷龍の「力」と、毎年訪れる春のおかげで、この地には以前よりも多くの生き物たちが暮らしていけるようになったのだという。



「そんなお話でしたよね? 二頭の龍が共に過ごす間だけ、この地に春が来ると言う……。本当か嘘かは分からないですけど」

 ライサの言葉に、ニーナはそうだねと頷いた。そして椅子を後ろに引くと、机の下にあった何かを抱え机上に置く。麻の布に包まれて中身は見えないが、ゴトリという重い音から何か重たい物であることが分かった。


薄鱗蒼紅樹はくりんそうくじゅという花があってね。愛情を込めて丁寧に育てると、とても美しい二色の花びらを持つ花が咲くんだ。その花びらが氷龍と炎龍の鱗によく似ていてね。この花びらを使って、祭りの後夜祭でおとぎ話の再現を行うんだ」

 ニーナがそう言って麻布を取り払うと、中から植物を育てるための鉢が現れた。彼女は服のポケットを探ると、小さく折りたたまれた紙も取り出す。


「この中に入っているのが薄鱗蒼紅樹の種だよ。花自体には何の魔力もこもっていないけどね、『絶対に私の下に帰ってきてください』という願いを込めて商人の家族なんかがお守りに持たせたり、結婚式で夫婦の誓いに利用されることも多いんだよ。それでね、この花を育てて祭具に加工する役目をライサ、ザック。アンタたち二人に頼みたいんだ」

「え……?」

 ライサが思わず隣に視線を移すと、ザックと目が合った。彼はどことなく嬉しそうにゆるりとライサに微笑みかける。


「そんな大事な役目、その、私たちで良いんでしょうか? 村の伝統的な、大切なお祭りなんでしょう?」

「おとぎ話の再現だって言っただろう? 花を育てて儀式を行うのは、その村で一番若い夫婦って決まってるんだよ。なぁに、アンタたちなら大丈夫さ。それにね」

 ライサが顔を上げると、少しからかうような笑みを浮かべたニーナと目が合う。なんだろうと、ライサは首を傾げた。


「私たちは、ライサの嫁入り道具を作るのに忙しいんだ。何せ、祭りの一週間前になると仕事を止めないといけないからね。それまでには絶対に完成させるよ」

 一瞬、何を言われたのか分からず、ライサは無言で首を傾げる。じわじわとニーナの言葉が心に染みてきて、再び隣を見上げた。


 ザックは黙って自分を見つめている。優しくもどこか熱っぽい瞳に、ライサの心臓が大きく震えた。正面に向き直ると、ニーナが悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 ようやく、ライサは絞り出すように声を発した。


「ほ、本当ですか……⁉」

「嘘なんて言わないよ。むしろ、遅くなっちまって悪かったね」

 ニーナはそう言って、優しく微笑んだ。ライサは思わず両手で口を押さえる。

 事情があって、ライサはその身一つで嫁いできてしまったので、嫁入り道具らしい嫁入り道具を何も持たぬままだった。それでも構わないと思っていたが、スノダールの人たちの心遣いが泣きたくなるほどに嬉しい。


「良かったな、ライサ」

 はしゃいだ声に顔を上げると、ザックが頬を紅潮させて明るく笑っていた。まるで、自分の事のように喜んでくれている。タチアナ嬢の嫁入り道具を作った時から、彼はずっとライサの嫁入り道具のことを気にかけてくれていたのだ。彼に応えるように、ライサは口元に笑みを浮かべる。


 優しいこの村の人たちのためにも、祭を無事に成功させたい。

 ライサは受け取った種を見つめ、力強く頷いた。

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