第19話 久しぶりの里帰り

 スノダールからシャトゥカナルまでは、導きのランタンを持って進めば、一時間もかからずにたどり着く。

 ライサはランタンの灯を消すと、分厚い灰色の空に向かってそびえる都市の門を見上げた。門番にニーナから渡された身分証と、ローズマリーとやり取りをした書簡を手渡す。

 突然訪ねてもご迷惑だろうと、ローズマリーに会って話したい旨を伝えたところ、これを門番に見せるようにと言われたのである。彼女から預かった書簡には、スカロヴィナ侯爵のものらしきシーリングスタンプが押されていた。


 門番は二つを注意深く確認すると、大きく頷いて門を開いてくれた。門には馬車が一台通れる程度の出入り口が作られており、巨大な門をその都度開かなくとも良くなっている。

 数ヶ月前には、ここを通ってシャトゥカナルを出たのだな、とライサはなんだか遠い昔のことのように思い出す。


 都市の中へと入ると、影のように黒っぽい煉瓦造りの家々と、薄らと雪の積もった街道が現れる。確かに寒さを感じるが、都市の外に比べれば遥かにマシだ。やはりここの結界はすごいものなのだと、ライサは国の中心で輝く橙色の光を見上げた。


「確か、タチアナ様たちがいるのは、四層目だって言ってたわよね。そんな高い場所、初めてだわ」

 シャトゥカナルは全部で七つの階層に分かれているので、四層目はちょうど真ん中だ。生まれた時から最下層にいるライサにとって、そこは未知の世界である。

 ライサは緊張で体を強張らせながら、シャトゥカナルの中心部、上層へ上がる昇降機の所へ向かう。昇降機は都市の中心を貫くように設置されており、円錐形の都市の「芯」や「柱」とも呼ばれている。もちろん、それぞれの階層に上がるためには許可が必要だ。


 再びローズマリーから渡された書簡を役人に見せ、昇降機の中へ足を踏み入れる。格子状になった鉄の箱を上下させて移動する仕組みだ。大きな荷を積むことも多いため、馬車が馬ごと入れるほどに広い。

 こんな大きな箱を持ち上げるなんて信じられないが、聞けばここにも魔法具が使われているらしい。


 中に入ると同時に役人が扉を閉め、内側から鍵をかけるように指示される。役人が昇降機から離れてどこかへ行ってしまうと、やがて大きな振動と共に昇降機が動き出す。ライサは軽く悲鳴を上げた。

 最下層、二層目とそれぞれの層の建物が足下へと移動していく。外が丸見えなので次第に高くなっていく視界にかなりの恐怖を覚えた。

 上層へ行く人々はこの恐怖に耐えたのかとライサは喉を鳴らしながら思う。


「あ、ここは」

 二層目を通りすぎたところで、ライサは声を上げる。順番からするとここが三層目だ。

 三層目に住んでいるナターリアたちは元気だろうか。何度か交わした手紙では、少し温かい場所に引っ越してこられて最近は体調も良いのだと書かれていた。ひたすらライサを気遣うナターリアの文面を思い出し、今の仕事が落ち着いたらまた手紙を書こうと笑みを零す。皆、元気にしていれば良いな。


 そんなことを考えている内に、昇降機は四層目へと到着した。軋む音と共に再び床が激しく揺れ、ライサは慌てて昇降機の格子を掴む。

「ここが四層目です。鍵を外して、ゆっくりと降りてきて下さい」

 外から役人に声をかけられ、ライサは先ほどかけた鍵を外した。


「わぁ……」

 扉が開かれ一歩を踏み出した途端、思わず歓声を上げて目を丸くする。

 明らかに空気が違う。確かに冷たいのだが肌を刺すような痛々しいものではなく、心地よささえ感じるような柔らかさを持っている。

 建物の雰囲気は最下層と同じだが、道に雪は見えず、歩いている人々の服装も室内にいる時と同じくらいの軽装だ。

 道の両脇には街路灯が置かれ、あまり日の射さないシャトゥカナルの町を柔らかく明るく照らしている。それに浮かび上がる人々の表情も、優しく明るく見えた。更に上の層では、一体どんな世界が広がっているのだろうか。


 ライサはチラチラと周囲を見回しながら、目的の屋敷へと歩みを進めていく。ザックたちには土地勘があるなどと言っておいて、これではまるで観光客だ。


 やがて目の前に、一際目立つ白い石造りの建物が現れる。添付されていた地図によると、ここがタチアナたちが滞在している屋敷のようだ。

 太い二本の柱に挟まれ、両開きの扉が大きくそびえている。純白の建物なんて雪に紛れてしまいそうなのに。こんなところでも最下層との違いを感じて、ライサは圧倒されてしまう。

 いけない。ぼうっとしている場合じゃない。

 ライサは扉の前の階段を上ると、緊張した面持ちで扉のベルを鳴らした。






「こちらへどうぞ」

 ローズマリーに案内されたのは、応接間のようだった。聞けばここは宿というより、シャトゥカナルに訪れた客が、長期滞在する時に使う借家のような場所なのだという。現在この屋敷を使っているのは、タチアナとそのお付きの者たち数名のみで、滞在中は自分たちの邸のように使用できるのだそうだ。

 ちなみに、タチアナは現在衣装合わせで別室にこもっているとの事である。


 白と黄金、ボルドーを基調とした家具が置かれ、天井から吊り下がっているのは七色に光る巨大な照明だ。

 豪華な応接間に緊張しながら、ライサは進められるままにソファーに腰を下ろす。ふわりとした柔らかい感触が、少しだけ緊張を和らげてくれた。

 ローズマリーがライサの前に紅茶を置くと、失礼しますと断ってから静かに向かいへ腰掛けた。


「ライサ様、でしたね。わざわざお越しくださり、感謝いたします」

「い、いいえこちらこそ! お忙しい中、お時間を作っていただいて、本当にありがとうございます」

「それで、わたくしに話したいこととは何でしょう? お嬢様の嫁入り道具作成のことと伺ってはおりましたが」

 ローズマリーは眼鏡のツルに触れながら、眉を寄せる。


 ライサはドミトリーから預かってきたデザイン画を取り出すと、順を追って説明し始めた。

 ローズマリーは眉一つ動かさず、ライサの話を聞いている。感情の読みづらい表情に緊張しつつも、なんとかライサは説明を終えることができた。


「なるほど。そうでしたか。お嬢様様がご迷惑をおかけして申し訳ございません」

「そんな! こちらこそ、なかなかご期待に沿えず申し訳ありません」

 ローズマリーはため息を吐き、ライサに向かって頭を下げた。ライサから聞いたタチアナの言動に呆れているようである。彼女はテーブルの上のデザイン画を手に取り、いくつかに目を通す。

 そうですね、と一言前置きしてから、ライサの瞳を見つめて告げた。


「ああ見えてと言いますか、見たままと言いますか。タチアナお嬢様は無類の派手好きです」

「はぁ……」

「ですので、一見悪趣味に思われましても、カーマインやショッキングピンクなど、とにかく派手な色を使われた方が、お嬢様のお好みには合うかと思われます」

 そう言うことか。ライサは呆れと感心の混じった声を漏らす。


 ドミトリーの示したデザインは、地味ではないが、自然の木目や風合いを活かしたものばかりだ。

 確かにこれでは、タチアナとの趣味には合いそうにない。しかし、カーマインやショッキングピングなんて、ドミトリーが納得するだろうか。

 ライサは困って眉間に皺を寄せた。


「しかし、お嬢様のお好みに合わせていれば、嫁入りに相応しくないのも事実でしょう。一部のみ色を変えてアクセントにしていただくか、もしくは、こう、お嬢様のプライベートな時だけに派手な色に変化したり、激しく光ったりするような効果はつけられませんでしょうか?」

「えぇっ⁉」


 ローズマリーの提案に、ライサは声を上げる。

 色を変化させたり、時々激しく光ったりだなんて、そんな奇妙なことできる訳がない。

 いや、ライサがスノダールへ来たばかりの頃、鮮やかな光を放つ武器の話をしていた村人がいた。やりようによっては、できるのだろうか。

 せっかくいただいた意見だからと、ライサはドミトリーのデザイン画の隅にメモ書きをする。


「ええっと、一応、伝えてみます」

「恐れ入ります」

 とにかくヒントがもらえて良かった。肩の力が抜けた途端に、ライサは喉の渇きを覚える。

 タイミング良くローズマリーが紅茶を勧めてくれたので、ありがたく口をつけた。花のような華やかな香りと仄かな甘みがする。渋みも少なくてとにかく飲みやすい。初めての香りと味にライサは声を弾ませた。


「とても美味しいです! 初めて飲みました」

「それは良うございました。我が都市、ルースダリンで作られた茶葉です。お嬢様のお気に入りで、シャトゥカナルにも持っていきたいと」

 ローズマリーがふっと目元を緩める。何故かその瞳が寂しげに見えた。

 ライサは少し不思議に思いながらも、スノダールの皆から聞いておいて欲しいと頼まれていたあることを思い出す。


「あ、そう言えば、タチアナ様のお相手であるムロツィフスキー家のご子息は、どんなお方なんですか? うちの職人が、よろしければお相手様のお人柄や雰囲気、お好みなども嫁入り道具の参考にしたいと言うもので」

 箪笥や鏡台はタチアナだけが使うものだとしても、婚礼で羽織るマントは並び立つ相手がいてこそだと、衣服担当の職人が言っていたのだ。あまりにお相手の好みに外れたものを作れば、せっかくの祝いの場で浮いてしまう。


 ところが、お相手の話を出した途端、ローズマリーの表情が氷のように冷たくなった。

 何かいけないことを言ってしまったのか。ライサの焦った様子に気がついたようで、ローズマリーは少し目を伏せ申し訳なさそうに告げた。

「残念ですが、ムロツィフスキー家のご子息には、わたくしもお嬢様も一度もお会いしたことはございません」

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