第16話 ご令嬢襲来

 家に帰ったライサは、調理中の鍋の様子を見ながら指先を動かしていた。編み棒を動かして編んでいるのは、魔法具でもなんでもない個人的に使うブランケットである。

 彼女はほとんどその身一つでスノダールへ来てしまったため、自身の持ち物は極端に少ない。こうやって少しずつ自分のものを増やしているのだ。商品を作る際の練習にもなり、一石二鳥である。


 鍋の蓋がガタンと大きく跳ねたのに気がつき、ライサは慌てて火加減を調節する。

 今日は、ザックが狩ってきた魔物の肉と芋などの根菜をミルクで煮込んだ料理だ。切って火を通すだけのザックの豪快な料理も美味しいが、ライサとしてはもう少し工夫が欲しい。狩りで遠出をすることが多い彼に変わって、最近の料理は専らライサが担っていた。


 ライサはやれやれと鼻で息を吐き出して、巨大な鍋の蓋を開けて中を覗き込む。鍋の中には、大家族と変わらない量の料理が入っていた。これも全て、一人で数人前の料理を平らげてしまうザックのせいである。

 ライサが料理の味見をしていると、家の扉が開いて快活な声が響き渡った。


「ただいま、ライサ!」

「あ……おかえりなさい」

 ライサは一旦鍋の火を止めると、炊事場から玄関へと慌てて駆けていく。

 玄関では、ザックが防寒着の雪を払っているところだった。刺すような冷気が彼の辺りから漂ってきて、ライサは思わず肩を震わせる。


「ひぇー、寒かったぁ! 遅くなってごめんな、ライサ」

 ザックはふわふわした毛のついたフードを取ると、ライサに向かって笑いかけてくる。彼の肩や腕には真っ白な雪がついていて、所々雪が溶けて服に染みを作っていた。彼の鼻は真っ赤で唇の色も悪い。


「風邪引いちゃうわ! 早くそれを脱いで暖炉の前で温まって」

「そうだな。心配してくれてありがとな」

 ライサが部屋の奥にザックを促し毛布を差し出すと、ザックは朗らかにそれを受け取った。

 料理ももうすぐできるし、早く食べて内側が温まってもらおう。そんなことを思いながら彼の顔を見上げていると、ふとライサの頭に今朝の出来事がよみがえる。


 今の自分とザックの距離は近い。あと大きく一歩でも踏み出せば、容易にくっつけそうな距離である。

 もしかして今こそ、『おかえりなさいのハグ』をする絶好の機会なのではないだろうか。


「強い魔物の素材も手に入ったから、明日じいちゃんやばあちゃんたちにも見てもらおうぜ。ライサにもまた、魔核を割ってもらわないといけないかもな」

 ザックの言葉が意味を成すことなく、右から左へ抜けていく。自分の鼓動の音が耳元でうるさく響いていた。


「あー旨そうな匂いがする! 夕飯作ってくれてたんだ。やった! 腹減ってたんだよな」

 朝、がっかりさせたかもしれないし、勢いで行ってしまっても良いのではないか。

 いや、待て、あれは本当にハグの催促だったのだろうか。

 いや、もう、ぐるぐる迷っているだけなんて時間の無駄だ。


「ライサも飯まだだろ? 一緒に食べようぜ! ……って、ライサどうした?」

 固まったままのライサを、不審に思ったのだろう。ザックがライサの顔を覗き込もうとしてくる。

 今しかない、とライサは俯いたままで両手を大きく広げ、彼の胸に向かって一歩を踏み出す。


「ごめんあそばせ!」

「ひあぁっ⁉」

 突然、開け放たれた扉に、ライサはそのまま身を捻って飛び上がった。驚いたのはライサだけではないようで、ザックも野太い悲鳴を上げてのけ反る。

 そして、二人してゆっくりと扉の方へ視線を向けた。


 開け放った扉の前に立っていたのは、一人の女性であった。分厚く長いコートが、その下のスカートのふくらみで大きく広がっている。防寒着をしっかり着込んでフードも被っているが、何だろうこの圧倒的な存在感は。

 彼女は開け放った扉を閉めると、顔に被ったフードをサッと外した。


「ひぇ……」

 ライサの口から、二度目の悲鳴がこぼれた。

 訪問者は、ライサと同じくらいの歳の、若い女性であった。

 きめ細やかな真っ白な肌に薄桃色の頬、林檎のような唇。長い睫毛に縁どられた瞳は極上のサファイアのように輝き、零れ落ちそうなほど大きい。鎖骨にふわりとかかった豊かな金色の髪の毛は、どうやったらそうなるのか、複雑な渦を描いている。

 強烈な印象を放つ、一目見たら忘れられないような美人だ。


 彼女はライサとザックに交互に視線を向けると、容姿に違わぬ高くてよく通る美声を発する。

「こちら、魔法具職人さんたちが集まる村とお聞きしたのですけれど、間違っていませんこと⁉」

「おう、そうだぜ。ただここは俺たちの」

「そう、そうですのね! ふふ、このわたくしがこーんな田舎まで、わざわざ出向いたかいがありましたわ!」


 ザックの言葉など聞いていないのか、ブロンドヘアの女性は一人満足そうに頷いている。

 彼女は颯爽とした足取りでザックに近づいていった。立ち止まった彼女とザックの距離は、先ほどの自分たちよりもずっと近い。


「ふふ」

 可愛らしい上目遣いで、彼女はザックを見上げている。見つめ合う二人は、まるで恋人同士のような距離感ではないか。

 ライサは、雪森狐ユキモリギツネに似た瞳をぎょっと剥いた。

 女性の身長はライサよりも低くて可愛らしいが、彼女の胸元には服の上からでもはっきりと分かる豊かなふくらみがある。思わずライサは自分の胸元にも視線を落とし、顔を青くした。


わたくし、職人さんにお仕事を持ってきて差し上げましたのよ」

 今にも体の一部が触れあいそうな距離感に、ライサの背筋が震え上がる。今すぐ、あの二人の間に割って入りたい。


「仕事?」

 大したザックは、動揺もせずにのんびりとした口調で首をかしげている。

 その反応に、女性はやっとザックから数歩距離を取った。そして、懐から扇子を取り出して広げ、高らかに宣言する。


「そう! 貴方がたにはなんと、あのムロツィフスキー家に嫁ぐ高貴な存在であるこのわたくし、タチアナ・スカロヴィナの嫁入り道具を作る名誉を与えて差し上げますわ!! 光栄に思いなさい‼」

 扇子を突き付けられたザックは、唖然として女性、タチアナを見つめた。

 彼女の勢いと迫力に押され、ライサも思わず口を開け放って固まってしまう。


「ちょっと聞こえていらっしゃいますの? 全く、これだから村住まいの方は。のんびりやさんでいけませんことよ」

 タチアナは、形の良い口を尖らせて勝手に怒っている。ザックは困ったように眉を顰めると、軽く頭をかいた。


「ええっと、良く分からないけど、仕事の依頼なんだよな? だったら悪いんだけど、村長に言った方が良いぞ。おれたち下っ端だし、家に押しかけられても困るっていうか」

「なんですって!? 無駄足だったと言うの⁉」

「無駄足っていうか、頼む場所を間違えてると言うか」

 さてどうしようかと、ザックが困ったように眉を潜めていると、家の扉が控えめにノックされた。


「あ、はい」

「――失礼致します」

 ライサが反射的に返事をするや否や、扉が大きく開け放たれた。

 冷たい風と共にもう一人見知らぬ人物が入ってくる。細い枝のような体躯の、少し冷たそうな雰囲気を持つ女性だった。

「ヴッ……」

 タチアナが呻き声を上げると、女性は彼女に睨むような目つきを向けた。


「こちらにいらっしゃいましたか、お嬢様。全く、村に着くなり飛び出して行ってしまうなんて、なんとはしたない。探すのに苦労しましたよ」

「ろ、ローズマリー……」

 ローズマリーと呼ばれた女性は、お嬢様がご迷惑を、と言ってライサたちに深々と頭を下げた。

 黒髪を後頭部で団子状にまとめ、細い眼鏡をかけている。黒かグレーのシンプルな色合いの服装と言い、影のような女性であった。タチアナの侍女、いや、お目付け役のような存在なのだろうか。


「お嬢様、まずは村の代表者の方にお会いして、正式に契約を交わさなくては。礼を欠いているのはこちらの方です」

 不満げなタチアナに、ローズマリーが諭すように声をかける。そして彼女の視線が不意に、ライサへと向いた。なんだろうとライサは肩を震わせる。

 ローズマリーは眼鏡の奥から冷静な視線を浴びせると、目を伏せて静かに告げた。


「それに正直言って、タチアナお嬢様の勢いに、そちらのお嬢様が引いておられます。突然家に押しかけられて、とんだご迷惑ですわ。そうでしょう?」

「えっ……⁉」

 止めて止めて、こちらに話を振らないで。

 ライサが顔色を変えると、案の定、タチアナ嬢の視線がこちらに向いてしまう。彼女の鋭い視線は、ライサを値踏みするようだった。


 どうして良いか分からず、ライサは視線を逸らすためにも軽く頭を下げる。

 やがて、タチアナは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「分かりましたわ! 確かに、わたくしも急ぎすぎましたわね。そこの貴方、村の代表の方の下へ案内してくださいませんこと!?」

「ああ、分かった。良いぜ」

 完全に委縮してしまったライサとは別に、ザックは朗らかな笑みでタチアナに応えたのであった。

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