第二章

第15話 村での新婚(?)生活

 すぼめた口から、息を細く長く吐き出す。目の前の台座に置かれているのは、炎をぎゅっと硝子の中に閉じ込めたような球体だ。ガラス玉のような無色透明な膜の中、紅い光が脈打つように揺らめいている。


 ライサは斧を持った両腕を振りかぶり、息を吐くと同時に振り下ろす。

 澄んだ音を響かせて球体が割れ、細かい粒子が粉雪のように舞い上がった。真っ二つになった球体が氷のように滑らかな断面を覗かせている。

 彼女が割ったのは魔物と呼ばれる生物の力の源、心臓とも呼ばれる魔核だ。ライサは、乱れたプラチナブロンドの前髪をそっとかき上げる。


「よし、次はこれだな!」

 すかさず声をかけてきたザックが、さきほどライサが割った魔核を慎重な手つきで回収し、代わりに新たな魔核を台座に固定した。

「さっきよりも小さいから、割りそこなって怪我しないように気をつけて」

「大丈夫。気は抜かないから」


 男性にも劣らない長身のライサだが、彼と目を合わせるには大きく首を持ち上げなければならない。

 目が合うとザックは、それなら良かった、と緩んだ笑みを見せてくる。

 ランタンの灯のような赤い瞳が、自分を見守るように柔らかく細められている。なんとなく恥ずかしくなってしまって、ライサは視線を逸らせた。


「ああ、それと、疲れたらちゃんと休憩するんだぞ。魔核を割れるのはライサだけだから、どうしてもライサに全部任せることになっちゃうけどさ。倒れるまで頑張れとは誰も言ってないんだからな」

「ええ、ありがとう。ちゃんと休憩しながらやるから大丈夫よ」

 貴重な魔核を割り損ねでもしたら困るし、とは心の中で付け加えておく。

 ザックは頷くと、作業場の壁にかけてあったコートを手に取った。


「それじゃあ、おれはまた狩りに行ってくるよ。なるべく早く戻るから」

「ええ、気をつけて」

 ライサは、ザックの背中を見つめた。ただでさえ広い背中が、分厚いコートを羽織ることで一回りも二回りも大きく見える。本当にクマみたいだ。

 彼の中身はどちらかと言うと、人懐っこい犬なんかに近いのだけれど。

 分厚い刀身の大剣や長弓や矢筒などを、彼は手際よく身に着けていく。


「それじゃあ、ライサ」

 準備を整え作業場の扉をくぐる直前、ザックが明るい表情でこちらを振り返った。見ていたのがバレてしまったのだろうかと、ライサの心臓が軽く跳ねる。

 そんなライサの様子を知ってか知らずか、ザックは悪戯っぽく微笑むと何故か両腕を大きく広げた。

 ライサは瞬きを繰り返し、ブルートパーズ色の瞳をパチパチと見え隠れさせる。


「――な、何? どうしたの?」

 意図が分からず、ライサは目を細めて首を傾げた。

「んー、いや……。別にいいんだ、うん。とにかく、行ってきます!」

 ザックは腕を下ろし、作業場を出て行ってしまった。大きく見えていた背中が、少し縮んだように見えるのは気のせいだろうか。

 やがてライサの耳に、弱々しく扉を閉める音が届いた。作業場の暖炉の炎が爆ぜ、静かな空間を揺らしていく。


 しばらく経って、ライサはあることに気づいた。ザックの、出かける直前に腕を大きく広げていた行動は、まるでその中に飛び込んで来いとでも言うような。

「あ、あれって、もしかして」

 私は『いってらっしゃいのハグ』を求められていたのではないだろうか。


 気づいた途端、火がついたようにライサの白い頬が赤く染まる。あたふたと、両手を意味もなく宙に彷徨わせた。

 一応夫婦なのだし、ハグくらいしてあげた方が良かったのだろうか。いや、でも自分の勘違いかもしれない。

 待って、落ち着いて。それよりも、ザックはもうとっくに出かけてしまったわけで。


「また、うまくいかなかったわ……」

 ライサは軽く音を立てながら頬に両手を当てると、その場に座り込んでしまった。






 赤橙色のランタンが、ニーナの手元を明るく照らしている。皺が寄った指先が、銀の糸を自由自在に操っていた。糸は、熱で柔らかくした金属を、細く長く伸ばして作られたものである。そうしてできたものを、ピンセットなどで摘んだり巻いたり曲げたり、時に組み合わせたりして形を作っていくのだ。

 魔法のように、彼女の指先から花や鳥の羽根が生み出されていく。


「面白いかい?」

「え?」

 声をかけられ、ライサは間の抜けた声を発した。膝の上の拳を開くと、指先にジンとした痺れが走っている。どうやら息を止めるほど真剣に、ニーナの作業に見入っていたようだ。

 ニーナは目じりの皺を深くして、ふっと息を抜くように微笑む。


「随分と熱心に見ていたようだからね。そんなに熱い視線を注がれると、さすがにちょっと照れちまうねぇ」

「す、すみません! その、あまりに綺麗だから」

 スノダールの村長であるニーナは軽く笑うと、ライサの頭に優しく手を乗せた。

「そうだね、ライサもやってみるかい?」

「い、良いんですか⁉︎ やってみたいです!」

 思わず食い気味で答えたライサに、ニーナは可笑しそうに声を上げて笑った。


 ライサが職人の村、スノダールで過ごすようになってから二ヶ月ほど経った。

 力と技術の関係で魔核を割れるのは現状ライサだけなので、初めは村人たちに依頼されるがまま、魔核を割るだけの生活が続いていた。

 しかし、それだけではとても職人とは言えない。やはり自分の力で魔法具を生み出してこそである。


 村の商品の中で最も需要があるのは、魔物の毛皮などを加工した衣服や、靴、マフラー、手袋などの服飾雑貨なのだが、裁縫であればライサにも多少の知識と経験がある。

 いずれは魔核の欠片などを活かしたブローチやネックレスなどを作れるようになりたいと、最近のライサは細工が得意だと言うニーナの下に足蹴良く通っていた。


 銀線を渡してもらったライサは、見よう見まねでピンセットを手に、それを動かしていく。

 細かい作業には慣れていたつもりだったが、柔らかい銀線は思った通りに動いてくれない。ニーナの家の作業場は広いが、中央にある魔核入りの暖炉により室温は温かく保たれている。指先の震えは寒さではなく、純粋に緊張からくるものだろう。

 息を大きく吸い込むと、ライサは息すらも止めて手元を凝視し作業を続けた。


 張り詰めつつも、どこか清浄な空気が心を落ち着かせてくれる。

 夢中で作業を続けていたところで、ニーナがふと思い出したように言葉を発した。

「どうだい、ザックとは仲良くやってるのかい?」

「ひ……⁉︎」

 ライサの手元が大きく震え、花びらの形を作るはずだった銀線がぐにゃりと大きく歪んでしまった。


「す、すみません!」

 慌てて修正しようとするが、焦った指先が余計に線を歪めてしまう。どうしようと混乱するライサの背後から白い手が伸びてきて、彼女の両手を包むようにして握った。

「いや、まさかそんなに驚くとは思わなかったよ……」

 耳元でニーナの穏やかな声が響いた。彼女の手腕で、歪んだ銀線が綺麗な形に整えられていく。その距離感は無意識にライサの体を強張らせてしまって、彼女は二重の意味ですみませんと口にする。


「仲が悪くは、ないと思うんですけど」

「――まだ、慣れないかい?」

 ニーナの言葉にライサは軽く頷く。

 ザックは自分に真っ直ぐな愛情を伝えてくれている。しかし、彼のその行為に対して、ライサは何をどう返せば良いのか分からないのだ。


 何せ、夫婦になった経緯が経緯である。ザックの言葉や行動のまま、自分もそれを返しても良いのだろうか。自分にそれだけの価値があるだろうか。

 寝室も別にしてあるし、今の自分たちの関係は夫婦というよりは同居人、それこそ共に魔法具を作る『相棒』といった感じだ。

 夫婦という温かくも甘やかな響きに見合うものを、自分は彼にあげられるのだろうか。


「ザックは、ライサの嫌がることはしてないだろう? 図体が人一倍デカいからねぇ『女子供には優しくしろ』って、口を酸っぱくして言ってあるんだ」

 なるほど。彼の紳士的な行為は、ニーナの教育の賜物だったのか。ライサは納得しつつ、頷いた。


「だからさ、ライサが望むようにしたら良いんだよ。嫌なら嫌だと伝えたところで、今さら二人の仲が拗れるわけでもないだろうさ」

 話をしつつもニーナの指先は動き続けている。彼女の動きに目を奪われている内に、ライサの肩の力は次第に抜けていった。


「まぁ、まったりのんびり行けばいいさ。仕事と一緒にね。ただし……後悔だけはしないように」

 手を止めたニーナは、ライサの背から離れていく。ライサの手元で、精巧な造りをした小さな銀の花が一輪咲いていた。

 ライサは感嘆の息を吐いて、後ろを振り返る。


「ニーナ村長さん、ありがとうございます」

「でも、万が一、ザックに嫌なことをされたらすぐに私に言うんだよ?」

 村人総出で、ボコボコにしてあげるからね。ニーナの物騒な言葉に、ライサは思わず苦笑いを浮かべた。

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