第11話 力比べ

 第六感。

 それは人間が持つ、理屈では説明出来ない感覚、或いは感知能力のことだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚といった五感を超えた、人間にとって本能的な感覚。直感や霊感など、それに類する言葉は幾つかある。だがそのどれもが、本当にあるのかどうかも分からないひどく不確かなものだ。


 しかしラスが初撃を防ぐ事が出来たのは、そんな曖昧な感覚のおかげだった。実力などではない。運が良かっただけといっても過言ではないだろう。ただなんとなく嫌な予感がした。危険を感じた。落ち着かなかった。所詮はその程度の感覚だった。眼の前の小さな影が放っている異様な気配に気圧されつつも、ラスは自らの側面へ聖剣を差し出した。振り抜いた訳では無い。ただそっと置いただけだ。それは丁度、侵入者と伯爵を結ぶ直線上だった。


 刹那、ラスの右腕を猛烈な衝撃が襲う。

 同時に鳴り響く、まるで金属同士がぶつかり合い、軋み、悲鳴を上げるかのような耳障りな音。腕ごとねじ切られそうなそのあまりの衝撃は、聖剣でなければ簡単に圧し折ってしまっていただろう。


「ひぃっ!!」


「ぐッ────!! 痛ゥ……」


 衝撃音に怯え蹲るフィルレイン伯爵を他所に、ラスは痛む右手を押さえながら、それでもどうにか侵入者へと剣を向ける。白い仮面の所為で表情は窺えないが、その声色からは僅かな驚きが感じられた。


「へぇ、凄い」


「な、何を……」


「見えているって訳じゃなさそうなのに」


 伯爵邸内に現れた侵入者と、それに対峙する勇者。

 本来ならば緊迫すべき状況の中で、侵入者が放った幼い声はひどく場違いに感じられた。緊張も、気迫も、殺意でさえも、何一つ含まれていない平坦な声。この場の状況とあまりに乖離しているその声は、ラスを困惑させるのには十分なものだった。こうして戦場で呆けるなど、ラスにとっても初めての経験だった。


「な、何者だッ! どうやってここまで侵入してきた!?」


 正体不明の影へと誰何するラスだったが、しかし彼はその答えをとうに知っていた。というよりも、心当たりなど一つしかなかった。


 アリスは問いに答えない。

 答える必要がない。

 彼女はここへ話をしに来たわけではない。ただ己の責務を果たすためだけに、多くの障害を突破してきたのだ。否、彼女にとってそれらは僅かな障害にすらならなかったのだが。


 アリスが黙したまま、手にした大鋏『斬首姫ラプンツェル』を再び鳴らす。

 二つの刃が僅かに擦れることで、軽く小気味の良い音が小さく響き渡る。


 ラスの首筋がちりちりと騒ぐ。先程から胸の中で警鐘を鳴らし続けている心臓を無視し、アリスと伯爵を結ぶ直線上へと再度聖剣を突き出した。結果は先程と何も変わらない。激しい擦過音と空気の上げる悲鳴が、彼の右腕を痛めつける。


「ぐっ───がッ!!」


「凄い凄い。流石は勇者といったところかしら」


「キミは───貴様はッ!!」


 三度目。

 斬首姫ラプンツェルの小さな囁きがラスの傍を通り過ぎる。ラスが咄嗟に聖剣を盾にして、どうにかそれも防いで見せた。アリスの言う通り、ラスには攻撃が見えていなかった。仮面の所為で目線も分からず、殺意も感じないが故に攻撃タイミングも分からない。それでもこうして防ぐことが出来ているのは、偏にラスの経験のおかげだった。これまで積み重ねてきた戦闘の経験が、センスが、実力が。彼をギリギリのところで踏み止まらせていた。衝撃と共に、天井に備え付けられた豪奢な照明が砕け散る。灯りが消え、室内が闇に落ちる。


 もはや疑う余地もなかった。

 眼の前に居る小さな影こそが、聖教国の死神なのだと。


「早く父を連れて───」


「駄目」


「ッ!! このッ!!」


 刃と刃が軋り合い、まるで鍔迫り合いのように拮抗する。

 これまでラスがどうにか腕一本で防いできた、アリスによる未知の攻撃。都合四度目となるアリスの攻撃は、ついに正面から防がれる。見えずとも、分からずとも、ラスの戦闘技術が不可視の攻撃に追いついてみせた。


『加護』には三つの力がある。


 一つは『心象具現エスト』。

 己の意志を形にした、神々より与えられし己だけの武器。アリスの『斬首姫』や勇者の『聖剣』などがそれにあたる。


 一つは『権能ドミナ』。

 加護に基づいて行使を許された特殊な力。神々の力の一端。後天的に習得できる魔法等とは異なり、加護を持つ者のみが使える唯一無二の力。使える力の数には個人差があり、一つしか力を持たない者もいれば複数使える者も居る。


 一つは『根源アルカ』。

 加護がその所持者に与える潜在能力。基本的には常時発動し、身体能力や技術の向上といった目には見えない効果を与えてくれるものが大半だ。『才能』と言い換えてもいいだろう。『勇者』の加護が持つ、『心が折れぬ限り身体能力を大幅に上昇させる』等といった力がそれにあたる。


 アリスの攻撃は『断罪』の権能によるものだった。

 自らの生み出した斬首姫による斬撃を、任意の場所で発生させる。それがアリスの攻撃の正体だ。アリスの視界内であれば有効距離に制限は無く、また斬撃の規模も自由自在。武器を飛ばしているわけではなく斬撃そのものが移動しているが故に、肉眼で捉えることが出来ない。それは魔法のように派手な効果とは言い難いが、しかし人の命を奪うにはこれ以上ない力だった。


 そんなアリスの能力に察しがついた訳ではないが、ラスは己の経験だけで凌いでみせた。アリスの攻撃を防ぐことが出来るものなどほんの僅かにしか居ないだろうに。それだけでも彼の戦闘能力の高さは窺える。勇者の名に恥じない、驚嘆に値すべきセンスであった。


 事実、アリスの権能による攻撃を防いだのはこれで二人目だ。一人目はアリスの同僚でもある『致命者』。ラスはこれまで数多くの命を奪ってきたアリスにとって、漸くの二人目となった。

 アリスは仮面の下で小さな驚きを浮かべていた。成程、勇者とは虚勢に非ず。正しく世界の守護者と謳われるだけの実力を備えているのだと。


 だがそれと同時に、鬱陶しくも感じていた。

 アリスは戦いを楽しむタイプではない。ただ己の目的の為、黙々と刃を振るうタイプだ。そんな彼女の今の目的は伯爵の首であり、ラスと戦うことではない。結果を優先するアリスからすれば、ラスは邪魔者以外の何者でもなかった。


「邪魔しないで」


 必要以上に殺すつもりはない。だが邪魔者には容赦しない。要らぬ戦いを避ける為に告げたつもりのその言葉には、言外に『邪魔をするなら殺すぞ』という脅しと警告が含まれていた。

 だが、そんなアリスの警告が受け入れられることはなかった。額に汗を浮かべながらアリスを睨みつけ、ラスが返答する。


「……悪いがそういう訳にもいかない。あの男が聖教国にちょっかいを出したのは知っているし、申し訳ないとも思う。領民への無体も許せない。だが、それは私刑を認める理由にはならない。父は法によって正しく裁かれるべきだし、それに───」


「……それに?」


「あんな男でも、俺の父だ。辿る結果は同じだとしても、見殺しには出来ない」


「……そう」


 そんなラスの返答に落胆したわけではない。概ねアリスが予想していた通りの答えではあった。だが、それはつまりアリスにとって面倒な作業がひとつ増えたことを意味している。何時ぞや聖教国に侵入した三人組、その最後の一人に訊いた時もそうだった。意味のない問い、意味のない警告だ。本当はアリスも理解っている。どんな言葉を交わそうと、結末が変わることなどない、ということは。


「じゃあ」


 それでも訊かずには居られないのは、ミラが言うところのアリスの優しさ、その名残なのだろうか。結果を知りつつも尋ねる意味、それはもはやアリス自身にも分からなかった。


「死ね」


 そう言ってアリスが動き出す。目深に被ったフードの隙間から、長い金髪を靡かせて。その動きは酷く虚ろで、希薄で、まるで影が伸びるかのようで。室内には廊下へと続く扉から差し込む僅かな明かりのみ。その扉からこの場を離れようとしている衛兵と伯爵を見やり、そしてその直線上に立ちはだかるラスへと向かって。


 当初は楽に終わる仕事だと思っていたアリスであったが、権能による攻撃はどうやら防がれてしまうらしい。聖剣でも防ぐことが出来ないほどの斬撃、それこそ邸宅ごと真っ二つにしてしまうほどの攻撃なら、或いは簡単に終わるのかもしれない。だがそれでは伯爵の生死を確認することが出来ない。瓦礫の中から伯爵の死体を探すのは億劫だし、何よりそんな猶予はない。


 故に、まずは邪魔者から排除しなければならない。

 アリスは交差する『斬首姫ラプンツェル』の刃を分離させ、二対の巨大な剣として使う。アリスは復讐の為、血の滲むような鍛錬を行ってきた。加護に胡座をかいていたなどという事実は微塵もない。権能が無ければ戦えないなどという、そんな情けない理由で彼女が止まることはなかった。


「行け!!」


 アリスから一瞬たりとも視線を切ることなく、ラスが背後の兵に向かって叫ぶ。ラスにとっても初めての経験だったが、誰かを護りながらでは到底勝てる相手ではないと判断したから。そこらの魔物や賊が相手であればそれも可能だっただろう。だが眼の前の相手はそうではない。ほんの一瞬でも気を緩めれば、ラスは全てを失う。


 そう、一瞬でも気を緩めれば、だ。

 ラスは気を緩めてなどいなかった。油断など一切していなかった。アリスから目を離しもしなかったし、一挙手一投足をしっかりと捉えていた。だがしかし、それでも尚アリスの動きを見失った。


 ゆらりと、まるで黒い陽炎のように揺らめく姿。

 それに気がついた時には、既に大鋏の刃はラスの目と鼻の先まで到達していた。


(いつの間に!? 起こりも何も見えなかった!?)


「────くっ!?」


 一切の躊躇なく突き出された大鋏の鋭い切っ先を、ラスは首を傾けて既所で回避する。次いで、右方向から振り抜かれたもう一つの刃の軌道上へ聖剣を滑り込ませる。ラスはその二撃目を防ぎ、反撃に打って出るつもりだった。如何にあの『断罪者』と謂えど、一見すれば小柄な少女に過ぎない。加護によるなんらかの強化はあるだろうが、それはラスも同じ事だ。力でラスが押し負けるとは到底思えなかった。


 が、彼のその見立ては間違っていた。


「氷晶───ぐあッ!?」


 聖剣と斬首姫が交差したその瞬間、ラスの両腕には到底理解出来ない程の凄まじい衝撃が襲いかかっていた。権能による反撃を行おうとしていたラスの動きが止まる。


「ぐ……な、何だ!?」


 横合いから打ち付けられたその刃には、慮外の力が込められていた。勇者である彼が全力で抗して尚、じりじりとその大鋏をラスの元へと進ませる。その小さな背丈、細い腕からはとても想像がつかない、いっそ化け物じみた膂力であった。


(馬鹿な!? なんて重さだ! 勇者の加護が働いて尚、俺が押し負けるだと!?)


 戦う意志が折れない限り持ち主の能力を大幅に上昇させる。それが勇者の『根源アルカ』だ。その効果量は他の加護の比ではなく、少なくとも強化バフとして比肩しうる能力は存在しないと言われている。聖剣の能力を抜きにしても『勇者』加護が最強だと言われる理由がこの『根源アルカ』にあった。それほど強力な力なのだ。


 だがその勇者が、彼の腰ほどまでしか背丈がない少女に押し負けていた。


(何だこれは!? こんな……ッ、一体何の加護があればこれほどのッ!?)


 ラスとてアリスと同じだ。加護に胡座をかいて鍛錬を怠るなどという、そこらの愚かな剣士では到底ない。だが事ここに居たり、彼の鍛え抜かれた剣技が介在する余地はなかった。ただ耐えるだけで精一杯なのだ。受け流そうにも、それすら出来ない。ほんの僅かにでも聖剣を動かせばそのまま首が飛ぶだろう。強いて言うならば、正面から受け止めてしまったことが既に間違いだった。


「くそッ!!”氷面鏡ひもかがみ”───」


「遅い」


 ラスが権能によって周囲を凍結させ、どうにか距離を作ろうとした時だった。彼の権能が発動するよりも先に、初撃で躱された斬首姫ラプンツェルの刃が戻ってきていた。ラスの鮮血が、薄暗い部屋の中を紅く彩った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る