第9話 霧氷の勇者

 ディルメリア帝国の東国境付近にはエーコの森と呼ばれる広大な森林が存在する。

 ここは帝国内でも頻繁に魔物が目撃されている、謂わば危険地帯である。陽の光を遮るほどに鬱蒼と生い茂る木々。お陰で地面はひどく泥濘み、飛び出した木の根が縦横無尽に駆け巡っている。魔物の討伐に訪れている騎士団にとっても、およそ戦闘に適した地形とは言い難い場所だった。


 そんな森の中で、一人の青年が声を張り上げていた。


「第二部隊は東から追い立てろ!! 決して無理はせず、遠方からの攻撃に止めるんだ!!」


 言葉から察するに、若くして団を率いる立場にいるのだろう。鬱々とした森に充満する冷たく湿った空気に髪を靡かせ、自らの部下たちへと指示を飛ばしている。


 彼らは魔法による意志の伝達を行っており、本来であればそれほど大きな声を張り上げる必要はない。だが団員たちを鼓舞する意味でも、指揮官は戦場に於いて声を張り上げるものだ。たったそれだけのことでも、ぼそぼそと平坦な声色で喋るよりはずっと士気が上がる。故に青年もまた、こうして兵たちへと激を飛ばしているのだ。


「こちら第二部隊! 目標の追い込みに成功! 敵は予定通りのルートでそちらへ向かっています!」


 伝達魔法による会話は、有効距離がそれほど長くはない。距離にすれば凡そ400~500m程といったところだろうか。だが、この程度の規模の作戦であれば十分に有用だった。それ故、現在のような視界の悪い状況では特に重宝されている。そして有効距離がそれほど長くないということは、あとほんの数十秒もすれば接敵するということだ。既に地鳴りは届いている。


「総員、備えろ!」


 青年がそう指示を出した、その時だった。

 人間の胴程もある太い木々をいくつも圧し折りながら、巨大な影が彼らの眼前へと躍り出た。


 全身が強固な鱗で覆われており、強靭な手足と、人間など簡単に引き裂いてしまえそうな鋭く尖った爪。四足で疾走しながら、長い尻尾で木々を打ち据え叩き折る姿は前に立つものに恐怖を与える。突き出した巨大な牙は言わずもがな、噛みつかれればひとたまりもないだろう。


 それは地竜と呼ばれる、竜種の中では比較的脅威度の低い魔物だった。

 脅威度が低いと言っても、それはあくまで竜種の中ではというだけのこと。空を飛ばないが故にまだ相対し易いというだけで、紛れもなく最高クラスの強さを誇る魔物だ。ギルドが定めた危険度はSであり、当然ながら討伐には手練れの冒険者が相応の人数必要となる。少なくとも、そこらの中級冒険者パーティに倒せるような相手ではない。


 だが、彼らはそこらの冒険者などではない。

 彼らは武門の家柄であるフィルレイン伯爵領に所属する、魔物討伐専門の騎士団だった。日夜鍛錬に明け暮れ戦いの技術を高めた彼らは、他領からの要請を受け帝国内の至るところに出現する魔物達を狩っている。謂わばディルメリア帝国の盾とも言うべき存在だ。無能なフィルレイン伯爵が今尚強い権力を持っている理由の大半は、この騎士団の存在にあるといっていい。


 そしてそれを率いる者こそが、帝国が誇る『霧氷の勇者』だ。


「放て!!」


 ラスの合図によって、団員達の魔法が地竜へと襲いかかる。

 地竜の表皮は物理・魔法を問わず高い耐性を誇る。そんな全身を鎧で覆われているかのような地竜だが、比較的攻撃の通りやすい部位は存在する。それは目や鼻などといった、全身の大きさに比べてひどく小さな弱点だった。貫くためには単純な威力と、そして針の穴を通すように緻密な魔力操作が必要になる。


 だが彼らはそれを部隊単位でやってのける。彼らは一人一人がA級冒険者にも匹敵する実力を持っている。つまり、A級冒険者のパーティが複数集まっているのと同じ事だ。或いは、連携という意味ではそれ以上かも知れない。


 そんな彼らを以てしても、地竜へは大きなダメージを与える事が出来ない。爆風の中を突き破り飛び出してきた地竜は、ところどころに小さなダメージを負っているものの、しかしその突進を止めることはなかった。暴力的なまでの破壊圧を前に、歴戦の騎士団員達が俄に竦む。そんな彼らの眼前に、霧氷の勇者が躍り出る。


「団長!」


「ラス様!」


 団員達からの声を背に、ラスが手にした『聖剣』を地面へと突き立てる。泥濘んだ地面は緩く、ラスの聖剣は殆ど抵抗もないままに、その先端を大地へと滑り込ませた。


「”氷面鏡ひもかがみ”」


 ラスが呟いたその刹那、突き立てられた聖剣を起点に、泥土に塗れていた筈の大地が突如として真っ白に染まる。いや、地面だけではない。周囲に乱立する鬱蒼とした樹木も、じっとりと湿った空気も、果ては凄まじい勢いで迫っていた地竜でさえも、白に飲み込まれてその動きを止めていた。


「よし……まだ終わっていない! すぐに止めを!」


 どこか安堵した表情で、ラスは団員達へと指示を出す。

 ラスに対する団員達の信頼は絶大だ。彼らは皆、ラスが前に出た時点でこうなるであろうことが分かっていた。故に、圧倒的な実力を前にしても呆けることなく、すぐに次の行動へと移る。あんぐりと口を開いたまま動けないでいるのは、まだ入団したばかりの新兵だけだった。


「団長が一番良いところを譲って下さったぞ!」


「おい新人! アホ面晒してないで前に出ろ! こんな経験はそう無いぞ!」


 剣士は抜剣し、槍を掲げ、動きを止めた地竜へと意気揚々と突撃してゆく。

 既に敵は死に体だ。如何に強固な身体を持つ地竜といえど、動きを封じられた状態では何も出来はしない。

 とはいえ、ここは多くの魔物が蔓延る森の中。事前に報告があったのは眼の前の地竜だけであったが、何時何処から新手がやってくるかなど誰にも分からない。故に、団内の弓手や魔道士は周囲の警戒を怠らない。しっかりと統率された騎士団は役割分担も完璧だった。


 そんな頼もしい団員達を眺めながら、ラスが笑みを見せながら小さく息を吐き出す。陽の光など僅かにしか届かない森の中で、凍りついた空気がきらきらと輝いていた。




 * * *




 団員達が地竜の解体を始めたその傍らでは、敵の追い込みを担当していた別働隊が漸く合流を果たしていた。森の中は視界も足場も悪く、周囲を警戒しながらの帰還となった為に時間がかかったのだろう。そうして顔を見せた副団長へと、ラスが労いの言葉をかける。


「ギル、ご苦労だった」


「いえ、楽な仕事でしたよ」


「そうか?ま、誰も怪我人がいないようで何よりだ」


 これだけの大物を相手にして、騎士団の中には怪我人が一人も居なかった。否、正確に言えば数人は怪我をしているのだが、それは行動に影響が無いほどの小さな傷だった。出血こそあれど、騎士団員として活動している彼らからすれば『ツバでも付けとけば治る』といった程度の、日常茶飯事でしかない小さな傷だ。そんなものは怪我人のうちに入らない。


 地竜などという強敵を前にして、何故その程度の怪我人で済んだのか。それはもちろん、団長であるラスの存在によるものだ。団員達の危機とみるや、彼はすぐに飛び出してしまう。おかげで負傷者の数は少ないが、しかしそれが騎士団として良いことなのかといえばなんとも微妙なところであった。現に副団長のギルバートが微妙な表情を浮かべている。


「団長はあいつらを甘やかし過ぎです」


「まぁ……反省はしている」


「……ならばこれ以上は言いませんが。次は頼みますよ」


「うっ……ぜ、善処する」


 ラスは強い。

 副団長であるギルバートとさえ、比べ物にもならないほどの実力を持っている。世界に名だたる勇者の一人なのだから、当然といえば当然なのだが。


 しかしそれと同時に、ラスは他人の危機を見逃せない男だった。それだけならば普通の感覚に聞こえるが、しかし実際には過保護といっても差し支えないほどの心配性だった。その対象が帝国の民ならば問題はないが、民を守る立場の騎士団員達まで守ってしまっては意味がない。それでは彼らの経験を奪うことになってしまう。故にこうして、ラスは副団長からお小言を頂戴しているのだ。


「それで、今後の予定ですが」


「予定通り、取り敢えず街に戻って地竜を引き渡す。その後は二日程休んでから、次の討伐に───」


 ラスがギルバートと今後の予定について打ち合わせを始めた、その時だった。木々を縫うように森の中を飛び、一羽の鳥がラスの元へと姿を見せる。それはラスにとってはもはやお馴染みの、フィルレイン家で使用されている伝書用の鳥だった。鋭く尖った嘴に鋭い目つき。凡そ伝達には向かないであろう、大きな猛禽類である。

 巨大な鳥は足に小さな紙が括り付けており、『さっさと外せ』と言わんばかりに鋭い爪で空気を引っ掻いていた。


 遠方にいる誰かへと言葉を伝える時、民間で基本的に使用されるのは冒険者ギルドが行っている手紙の運搬サービスだ。だがそれは届くまでに結構な時間がかかり、急ぎの用件を伝える場合などには不向きとされている。

 故に、王侯貴族が火急の要件を伝える際などには、こうして飼いならされた動物を使う場合が多い。捕らえた魔物を調教して使用する場合もあるが、何れにせよ非常に高級な意思伝達手段である。騎士団でも数羽の鳥を飼っているが、しかし今回やって来たのは団の鳥ではなく、フィルレイン家の鳥だった。


 そして勿論、それは火急の要件だ。


 ギルバートとの相談を中断し、ラスは括り付けられた手紙へと目を通す。そうして暫く、ラスは顔を顰めてこう言った。


「……ギル、俺は家に帰らなくてはならなくなった。済まないが後の指揮を頼めるか?」


「承知しました」


 突然の離脱宣言だったが、しかし副団長であるギルバートは何も聞かない。余計な詮索をすることなく、ただ一言を以て承諾した。ギルバートはラスの家庭事情を知っている。というよりも、フィルレイン家の現当主の評判が良くないのは殆ど周知の事実だった。故に根掘り葉掘り聞かずとも、大凡の事情には察しがついたというわけだ。厳しい顔で家に戻ると告げたのならば、十中八九家の問題だろう。


「以後の討伐は私にお任せを。むしろ今回楽をした分、あいつらもいい経験が積めるというものです」


「ははは、頼もしいな……悪いけど行ってくる」


「これが相応しい言葉なのかはわかりませんが……ご武運を」


「ああ、そっちもな」


 言うが早いか、ラスは外套を翻して駆け出した。この森までやってくるのに使った馬は、入り口付近で待機させている。距離にすればそう大したこともないが、しかし今のラスにはそんな僅かな時間でさえも苛立ちを感じてしまう。


「ああ、ちくしょう……とうとうやりやがったな、あのクソ野郎」


 その悪態は誰に対してのものなのか。

 ラスは焦燥を抱えたまま、飛ぶように森の中を駆け抜けていった。


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