第8話 聞き込み
多少面を食らいはしたものの、幸いにもパン屋の女性は気を悪くした風もなく、笑顔でアリスの問に答えてくれた。
聞けば、フィルレイン伯爵とは随分とプライドの高い人間であるらしい。他人に低く見られることを極端に嫌い、特に他の貴族からの目を異常なまでに気にする。貴族であれば皆ある程度はそういった面があるものだが、伯爵のそれは度が過ぎていた。故にか、自らの住まう屋敷はもちろんのこと、領内に作られた街はその殆どが立派な外観をしているのだとか。
しかし伯爵自身の能力は平々凡々。見栄で作った立派な街は、作るだけ作って殆ど放置という有り様。ロクに管理も出来ず、まともな代官も寄越さない。故にこのソロナの街だけでなく、領内の辺境にある街はどこも似たような状況であるらしい。こんな田舎の人間ですらそう言うのだから、恐らくは相当に有名な話なのだろう。
「伯爵家の今があるのは、過去の当主様達のおかげだってみんなが言ってるわ。要するに碌でもない男ってことね」
「ふぅん」
そう言って悪戯っぽく笑って見せる女性。
もしもこれが伯爵の手の者に聞かれていれば、不敬罪で処刑されても仕方のないような言い草である。だがここは伯爵が放置した辺境の街。誰かが聞いていたとしても、それを告げ口するような者は一人もいない。
「それでも私達が希望を失わないでいられるのは、伯爵家にラス様が居るからなの。あの方が居るから、私達は笑っていられる。未来に絶望することなくいられるの」
「……誰?」
「あら、有名な方よ? 聞いたことないかしら? ラス・フィルレイン。伯爵の一人息子で、伯爵家の次期当主よ」
「知らない」
世の中の大抵のことに興味がなく、自分が所属している国のことにすら興味がないアリスが、他国の有名人の名前など知っている筈も無かった。だがパン屋の女性が言う『有名』とは、何も帝国内に限った話ではない。
プライドばかりが先行し、欲深いだけで能力のない暗愚な伯爵。陰でそう呼ばれるフィルレイン伯爵が、それでも未だに力を持っているその理由。それは彼の息子の存在にあった。
ラス・フィルレイン。
フィルレイン伯爵家の次期当主であり、彼は幼い頃より領内の仕事を手伝ってきた。武にも秀でており、現在は領内の魔物討伐を引き受けている。今はまだ当主ではない為に実権を持たないものの、領民達は誰もが口を揃えて『彼が現当主なら良かったのに』と言うほどである。正に完璧という言葉が相応しい、そんな男だった。そして周囲から『天才』と呼ばれる彼には、もう一つの呼び名があった。
「うーん、じゃあ……『霧氷の勇者』ならどう? こっちの呼び名なら、聞いたことくらいはあるんじゃないかしら?」
女性の口から出た『勇者』という言葉に、アリスの耳が僅かに揺れた。そんなアリスの僅かな変化は、しかしパン屋の女性には気づかれないほど小さなものだった。普段から行動を共にしているミラでさえ、注視していなければ気づかないほどの僅かな反応だ。大抵のことには何の反応も示さないアリスだが、それはアリスにとって、とても馴染みのある言葉だったから。
といっても、所詮はアリスが脳裏に浮かべた『彼女』と何の関係もない男の話だ。
「勇者……」
「そう! 世界に五人しか居ないと言われる『勇気』の加護を持つ者! その一人がラス様なのよ! 世界に名だたる勇者様を知らないなんて、そんな筈ないわよね!?」
「……知らない」
「もう!! 何でよ!」
アリスから突然不躾な問を投げられてもニコニコと笑みを浮かべていた女性だが、アリスがラス様とやらを知らないことに対しては憤慨して見せた。彼女たち伯爵領民にとって、ラス・フィルレインとはそれほどまでに特別な存在なのだろう。
否、アリスが知らないだけで、勇者という存在はそれだけ大きな存在なのだ。凡愚であるフィルレイン伯爵が、未だに権勢を振るっていられるその理由。それこそが、『勇者』の存在にあるのだから。
勇者。
それは、世界に五人しか同時に存在しないと言われる『勇気』の加護の持ち主の総称だ。戦いの女神スヴィアライトから与えられる『勇気』の加護は、こと戦闘に於いては最強の加護とまで言われており、『戦う意志が折れない限り、その者の戦闘能力を引向上させる』という単純でありながらも強力な権能を持つ。そしてその能力上昇量は、他の加護のそれとは比べ物にもならない程だ。
更に、彼ら勇者達の『
そんな強大な力を持つ『勇者』だ。
彼らが所属する勢力がより大きな力を得るのは、至極当然のことと言えるだろう。故に王侯貴族といった権力者達は、どうにかして勇者を抱え込みたがる。アリスもよく知る『彼女』がそうであったように。
加護というものは、その者に根ざした根源に呼応して与えられるものだ。故に『勇気』の加護を持つ者とは文字通り、どんな状況でも折れることのない強い意志を持つ者、或いは、真っ直ぐに正しい行いが出来る者だということだ。そんな加護を持ち、実際に民たちから慕われているラス・フィルレインが次期当主として控えているからこそ、領民達は現状に絶望せずいられるという。パン屋の女性の話をまとめれば、大凡こんなところであった。
聞きたいことを聞き終えた───主にミラが知りたがっただけなのだが───アリスは、パン屋の女性に礼を告げてその場を後にする。すると黙して置物に徹していたミラが、漸く喋れると言わんばかりに口を開いた。
「ふむ……アリス。これはもしかすると、その『勇者様』とやらと戦闘になるかもしれないぞ?」
アリスの標的はフィルレイン伯爵だ。つまりはラス・フィルレインの父親である。如何に伯爵が救いようのない愚者であったとしても、実の父親が殺されるのを黙って見逃してくれるとは到底思えない。最悪の場合は勇者との戦闘になるだろう。
如何にアリスといえど、勇者との戦闘経験はなかった筈だ。世界に五人しか居ない、最強と言われる加護の持ち主。それが勇者だ。いつも通りの簡単な仕事だと思っていたが、どうやら今回はそう上手くはいかないらしい。そんなリスクの高い状況を危惧するミラであったが、しかし当のアリスの反応は酷く淡白なものだった。
「かもね」
「かもね、って……大丈夫なのか?」
「さぁ?」
「さぁ、って……キミはもう少し真面目に───」
アリスの肩の上で、ミラが小さな体を弾ませながら説教をしようとする。しかし彼女の言葉は、途中でアリスに遮られることとなった。
「関係ないわ」
「真面目に考え───何?」
「関係ないわ。私の邪魔をするなら殺す。それだけよ」
どんよりと濁る瞳で、事もなげにそう告げるアリス。彼女にとって、相手が誰であろうと関係なかった。伯爵を始末することが、聖教国に於けるアリスの役目。仇の情報収集の代わりに、彼女が選んだ彼女の仕事。今までもそうであったように、今回もそうするだけだ。それを邪魔するというのなら、勇者であろうと民の希望であろうと、ただ排除するのみ。アリスにとっては、ただそれだけのことだった。
「……はぁ。あの男が知らなかったわけもあるまいし……面倒な仕事を押し付けられたものだな、全く」
「別に信頼しているわけじゃないけれど、
「……まぁ、私もキミが負けるなどとは思っていないがね。単純にリスクの話だよ」
「心配性ね」
「キミがいい加減過ぎるんだ」
アリスもミラも、ユリウスのことなど信用してはいない。所詮はただの契約相手であり、それ以上の感情などありはしない。ユリウスは必要のない事は全く話さないが、必要だと判断すれば聞かずとも勝手に喋る男だ。そして自分にとっての不利益は容認しない男でもある。信用はせずとも、それだけは断言出来る。そして少なくとも、アリスを失うのはユリウスにとっても望ましいことではない筈だ。そんな彼が何も言わなかったということは、成程、そういうことなのだろう。
そうして一応の納得を見せたミラを肩に乗せ、アリスは宿へと戻ってゆく。大した情報は得られなかったが、これ以上の聞き込みは億劫だったから。
* * *
数日後。
アリスとミラの二人はラフィネへと辿り着いていた。伯爵領の中心であり、今回の標的である伯爵の屋敷がある街だ。ソロナの街も辺境にしては随分と立派な出で立ちであったが、ラフィネのそれとは流石に比べ物にもならない。みるからに強固な壁に、大きな門。警備にあたる兵士の数も多く、また、通行人の数も凄まじい。
商人のものと思しき幌付きの立派な馬車や、市民の交通手段として利用されている乗り合い馬車等、多くの人や馬車達が街に入るための列を作っていた。
そんな街の入口を、少し離れた場所から眺めるアリス。
流石に今回は、例の難民作戦は使えそうになかった。やってやれない事はないだろうが、怪しまれる可能性の方が高い。なにしろ、難民というにはアリスは小綺麗過ぎる。だからといって、わざわざ泥に塗れるのも躊躇われる。
「……」
「まぁ、無理だろうね」
「……はぁ。それじゃあいつも通り、側面から入るわ」
「アリスがもう少し大きければね……」
「うるさい」
そう言ってアリスは門から離れ、ミラに乗って街の側面にある森へと入ってゆく。そうして丁度、街の北門と西門の間に来たあたりで森から飛び出した。ミラは走る勢いをそのままに、高々と聳え立つ壁を持ち前の跳躍力でそのまま飛び越えてしまう。そして街壁の真上あたりでミラが小型化し、そんなミラを抱えた状態でアリスが街中に着地する。僅かな音も立てずに侵入を果たしたアリスは、すぐに路地へと姿を消した。時間にすればたった数秒の、ほんの僅かな間の出来事だった。
田舎町ならばいざ知らず、各国の首都や大都市ともなると警備は厳重だ。故に、難民作戦が使えないことはこれまでにも何度かあった。その度にアリス達は、こうして壁を越えることで街へと侵入を果たしていた。
仮に門の真上であれば、警備兵や見張りの者が居ることが多い。だが側面の壁上ともなると、常駐しているような兵士は居ない。これが砦などの軍事施設であればともかく、ただの街であれば、巡回中でもない限りは誰も居ないことが殆どなのだ。
そして、門での警備が厳重であればあるほど、一度中に入ってしまえば怪しまれるようなことは殆どない。大都市には様々な種族がおり、中にはアリスのように見た目が小さな種族もいる。例を挙げれば、ドワーフ族やリリ族などがそうだ。故にアリスの見た目がどれほど幼かろうとも、宿をとろうが買い物をしようが、いちいち見咎められることはない。
街への侵入を果たしたアリスは、何食わぬ顔で宿をとった。流石大都市というべきか、宿屋の数も非常に多い。門の周辺を見渡せば、それだけで二~三軒は見つけられるほどだ。念の為、侵入した箇所とは正反対の場所にある宿で部屋をとり、柔らかいベッドに腰を下ろすアリス。
「さて……これからどうするつもりなんだ? 早速下見にでも行くのか?」
枕の上でもふもふと弾みながら、ミラがアリスに問いかける。だがアリスはその問いに答えることなく、小さくあくびをしてそのままベッドへと身を預けた。
「嫌。面倒。今日はもうおしまい」
「……まだ昼前だぞ?」
「うるさい」
ミラの言葉を一蹴し、そうしてアリスはミラへと背を向け、数分後にはすぅすぅと小さな寝息を立て始めるのだった。
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