第3話 痛み

 月明かりに照らされた森が、紅く染まっていた。

 地には二人の男が倒れ伏し、既に事切れている。その体には殆ど傷は無く、ただ深く鋭利な傷がひとつ、胴と首を分かつのみだった。


 あっという間の出来事だった。

 腕を切り落とされ激昂した男が、リーダーの静止を振り切って飛び出した。そうして大岩へと辿り着く前に、首から上を失った。変わらず大岩の上に佇む仮面の少女は、刃を振るったわけでも、魔術を行使したわけでもない。ただ静かに、鋏の持ち手を動かしただけであった。警告も、慈悲も、僅かな逡巡でさえも、その数秒の間には何一つなかった。


 長身の男が飛び出したその隙に、リーダー格の男は武器を手にしていた。


『加護』を持つ者は、己の意志一つで何時でも武器を呼び出すことが出来る。

心象具現エスト』と呼ばれるその武器は、読んで字の如く心象が形になったものだと言われている。


 戦士の加護を持つものならば剣や槍、斧といった武器を。魔術師の加護を持つものならば、魔術行使の補助となる杖を。狩人の加護を持つものならば短剣、或いは弓と矢を。それぞれ個人の加護に合わせたものが、それぞれに最も適した形で具現化する。故に同じ『戦士』の加護を持つ者でも、剣と槍など、それぞれ違う武器種になることが当然だった。


 また、加護の強さによって生み出される武具の性能も変わる。より高位の『心象具現エスト』には、特殊な能力が備わっていることもある。基本的には人の手で作られた武器よりも強力なものが殆どだが、加護によっては、そこらの店で売っているものと大差のない性能になることもある。


 戦士の加護を持つ者が何の変哲もない、ただの長剣を生み出すこともあれば、勇者の加護を持つ者のように、聖剣などと呼ばれる強力な剣を生み出すこともある。その性能差は上から下までピンキリで、ある意味『心象具現エスト』の性能差が、そのまま加護の強さを表しているといっても過言ではない。


 リーダー格の男の『心象具現エスト』は、飾り気のない二振りの短剣だった。だがその無骨さが、男の内面を表しているかのようだった。武器を握るということは、相手の生命を奪うということ。そこに余計な感情は必要なく、ただ純粋な殺意さえあればいい。男の無骨な双剣からは、そんな意志が垣間見えた。


 男はこの二振りの短剣と共に、これまで多くの任務をこなしてきた。他国の加護持ちと戦ったこともあれば、騎士と戦ったこともある。そうしてその度、死線を潜り抜けてきたのだ。当然ながら男の実力は相応に高く、今回の任務に抜擢されたのも頷ける話だった。


 だが、今この場に於いて、そんなことは毛程も関係がなかった。

 『断罪者』が一度手を動かせば、ただそれだけで簡単に首が飛ぶ。それは『加護』持ちであるリーダー格の男も例外ではなかった。『心象具現エスト』の能力を発揮する間もなく、彼の首は虚空を彷徨う。長身の男と、リーダー格の男。二人が地に倒れ伏すまでに、ほんの十数秒もかからなかった。


 そうしてこの場に残っているのは、正体不明の仮面の少女と、終始怯えていた気弱な男の二人だけだった。あれほど腕に自信を持っていた二人の仲間が、何の抵抗も出来ずに死んでいった。それを間近で見ていた気弱な男は、もう一歩も動けなくなっていた。男は震える唇で、絞り出すように言葉を紡ぐ。


「……だ、断罪者……」


「……」


 そんな男の呟きが聞こえているのか、いないのか。仮面の少女は返事をすることなく、ゆっくりと男に近づいてゆく。そうして震える男の前に立ち、男を見上げてこう言った。


「盗んだ『聖遺物』を、返しなさい」


 つい先程二人分の首を飛ばしたというに、何の起伏もない平坦な声色だった。いっそ怒るか笑うかしてくれていた方が、まだ良かった。何の感情も感じられないその声が、男にとっては酷く恐ろしかった。


 男は少女の言葉に従い、背中に背負っていた荷物を震える手で差し出した。荷物の中身を確認している少女を前に、男が出来ることなど一つしかなかった。


「た、頼む……見逃してくれ」


 それは何の捻りもない命乞い。

 気弱な男にも多少は武の心得があったが、先の光景を見て逆らう気にはなれなかった。『コレ』に挑めば確実に死ぬ。故に、僅かでも可能性のある方を選んだ。


「何を今更」


 当然の反応だ。聖教国にとって重要な物を盗んでおきながら、進退窮まった途端に命乞い。そんな勝手が通るはずもない。だが、虫の良いことを言っているのは男も理解っている。それでも、この細くて今にも千切れそうな可能性に縋るしかなかった。


「お願いだっ!! こんなこと、本当はしたくなかったんだ!!」


 厚顔ここに極まれり。

 少女が仮面の下でどのような表情をしているかは分からないが、恐らくは呆れた顔をしているのだろう。首を傾げ、胡乱げに男を見上げていた。


「……聞いてあげる」


 だが意外にも、少女は男に先を促した。

 ただの気まぐれか、或いは興味か。一体どういうつもりなのかは分からないが、どうやら男には幾許かの希望が残されているらしい。そうして、気弱な男は必死に語った。感情を込め、少しでも断罪者の同情を得られるように。


「……子供が、生まれたんだ」


 その言葉を聞いて、少女が少しだけ反応を見せた気がした。


「……」


「こんな仕事だとは聞いていなかった……俺はてっきり、聖教国近くの危険な場所での、調査か何かだと思っていたんだ……知らなかったんだ……」


 頭を抱え、地面に蹲る気弱な男。嘘をついているようには見えず、心底後悔しているような、悲痛な震え声だった。それに対する断罪者の反応は、やはり意外としか言いようのないものだった。


「そう───分かるわ。子供を育てるのは大変よね」


 冷酷で無慈悲な最悪の死神。断罪者の口から出るとは、到底思えないような言葉だった。そんな意外な言葉に希望を見出したのか、男ははっとした表情で顔を上げ、涙を流しながらその希望に縋りついた。


「っ!! そうなんだ! 家族が、家で帰りを待ってるんだ! だからお願い───」


「でも駄目」


「───ぇ?」


 少女が軽く手を振る。

 するとその手には、先程と同じく巨大な鋏が握られていた。そうして持ち手を軽く動かせば、二対の刃が口を開く。


「なんでっ、待───」


 それが、男の最後の言葉となった。先の二人と同様に、泣き別れとなった首から上がごろりと地面に転がる。


「聞いて損した」


 やはり抑揚のない、平坦な声で少女が呟く。

 子供がどうだのと言っていたが、とどのつまりは金の為だ。巡回中の聖騎士を二人殺しておいて、その程度の理由で罪が無くなる筈もない。家族が待っている?それは彼らも同じだっただろうに。盗まれた『聖遺物』のことなど、はっきり言って少女にはどうでもよかった。


 実際に手を下したのは他の二人なのだが、それもどうだっていい。殺された聖騎士の家族が、『彼は直接手を出していないので許して上げて下さい』などと言われて納得するだろうか。


 理由があろうと無かろうと、いつだって踏みにじられる側に残されるのは結果だけだ。そしてその結果を突きつけられ、全てが終わった後に、何も出来ずただ嘆くことしか出来ないのだ。彼女にはそれが許せなかった。


 そうして仕事を終えた少女は、今しがた自分が作り上げた死体を一瞥し、次いで静かに夜空を見上げる。殺した事を後悔している訳では無い。人を殺したくらいで乱れる心など、今更持ち合わせてはいないのだから。

 ただ少し、ほんの少しだけ。眩いほどに輝く月を見て、かつての楽しかった日々を懐かしく思っただけだ。街から離れたこの場所は、星空がとても綺麗だった。あの子と見上げた、いつかの星空のように。


 これは六年前のあの日に踏み込んだ、終わることのない痛みの連鎖だ。


 盗みを働き、聖騎士を殺した男達。その罪を裁くのが私の役目。ならば男達を殺した私の罪を裁くのは?この六年間で、数えきれない程の痛みを無視してきた。そんな私を裁くのは、一体誰なんだろうか。


『断罪者』などと呼ばれるようになってから、彼女はずっとそう考え生きてきた。


 そして少女は、既にその答えに辿り着いていた。

 闇を祓うのはいつだって英雄だ。悪者を倒すのはいつだって勇者だ。口調も、性格も、価値観さえも、いつの間にかこんなにも歪んでしまった。そんな私を終わらせる事が出来るのは、きっと───あの子だけ。


「───貴女は光」


 なら、私は?

 星空の下、月明かりに手を翳し、呟きと共に自らの手を見つめる。絹のように滑らかで、小さく美しい手指だった。


「……真っ黒」


 しかし少女には、罪と血と、無数の痛みで汚れきった、おぞましい手にしか見えなかった。そんな自分を物言わぬ六つの虚な瞳が見ているような、そんな気がした。

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