第4話 ある少女の独白
───私は光。
暗闇を照らし、人々を導く
どんな苦難をも乗り越える、戦場を瞬く希望の
これは私が、私とあの子が好きだった英雄の物語。
特別な力を持って生まれた少年が挫折を繰り返しながら、けれど周囲の仲間達に支えられ、そうして少しずつ成長していく物語。その物語に登場する、主人公の言葉だ。私が一番大好きな、今の私を形造った言葉だ。
幼かった私達は、その主人公の直向きな姿に憧れた。何度も何度も本を読み返したし、その度に感想を言い合った。そうしていつしか、自分達もこうなりたいと思うようになっていた。自分達もいつか、誰かを助けられる人になりたいと。共に物語の英雄に憧れ、そう約束した。
けれど私は、彼女を助けてあげられなかった。一番大事な友達を、家族を、護る事が出来なかった。その場に居ることすら、出来なかった。
私は、約束を守れなかった。
私には同い年の幼馴染が居た。そう、『居た』。
ううん、幼馴染なんてものじゃない。家族、或いは殆ど私の半身といっても良いような、そんな存在だった。
彼女は良く笑う子だった。小さなことで喜び、なんてことのない事で笑い。いつも明るくて、傍にいるだけで元気がもらえるような。そんな、笑顔の似合う子だった。
頭も良くて、私はいつも勉強を教えてもらっていた。先生に隠れてこっそり行っていた剣の特訓でも、私は一度も彼女には勝てなかった。私にとって彼女は一番近い存在で、一番の憧れだった。
彼女が泣いているところなんて、私は殆ど見たことがなかった。私の知る限り、彼女が泣いたのは私と別れることになった時だけだ。養子として貴族に引き取られる事になった私を、彼女は泣きながら、笑いながら見送ってくれた。
私を引き取ってくれた義父様と義母様は、貴族なのにとても優しくて。どこの馬の骨とも分からない孤児の私に対しても、実子と同じ様に接してくれた。およそ孤児に対する待遇ではなかったと、幼かった当時ですら思ったものだ。
別れる前日の晩に、私と彼女は約束をした。私が守ることのできなかった、小さな約束だ。それは今にして思えば、ありきたりで陳腐な約束だった。けれどその約束があったお陰で、私はこれまで頑張ることが出来たんだ。我ながら単純なことだとは思うけれど、私にとってはそれだけ、彼女の存在が大きかったということだ。
そうして私は、恵まれた環境の中で様々な教育を受けさせてもらった。剣も、魔法も、勉学も。私の望むままに教えを与えてくれた。そうして知識と技術を手に入れる度、あの子と再開した時の楽しみが増えていった。教えてもらってばかりだった私だけれど、いよいよ私があの子に何かを教える番かな? だなんて。そんな風に思いながら、一人でにやにやと笑っていたのを覚えている。もしも過去に戻れるのならば、私はそんな自分を死ぬまで殴りつけていただろう。
私がその報せを受けたのは、孤児院を出てから二年後の事だった。
孤児院が山賊に襲撃され、孤児院は焼け落ちたと、そうお義父様から聞かされた。生き残りは一人も居なかったと、そう聞かされた。その言葉を聞いた時、私は目の前が真っ暗になった。私を構成する大切な何かが、ごっそりと欠けたような気がした。
残念なことだけれど、孤児院でなくとも、辺境の集落が賊に襲われるなんて話はよくあることだ。金目の物は乏しいけれど、食料を奪えさえすれば最低限の成果なのだろう。騎士団なんて居るはずもないのだから、抵抗らしい抵抗もない。だから、彼らに言わせればローリスクでそれなりのリターンというわけだ。反吐が出る。
嘘だと言って欲しかった。これは夢だと、何かの間違いだと。
脳が現実を受け入れてくれなくて。ぐしゃぐしゃになった頭では、何も考えられなくて。ただ溢れる涙と酷い吐き気だけが、これは現実なのだと煩くがなり立てていた。気がついたときには、私は邸宅を飛び出していた。引き留めようとする義父様達には、なにか失礼な事を色々と喚いた気がするけれど、今となってはもう思い出せない。とにかく、私は無我夢中で孤児院へ向かったんだ。
私が育った孤児院は、大陸最大の国家であるフィリディア王国領土内の辺境も辺境、アルナリーゼ聖教国との国境にほど近い山の麓にある。そんな田舎に直接向かう方法があるわけもなく、何度も馬車を乗り換えて向かった。
数日かけ、やっとの思いで孤児院へ辿り着いた私の前には、焼け落ちた建物の残骸だけが残っていた。畑はぐちゃぐちゃで、皆で遊んだ広場の地面は、染み付いた『何か』で赤黒く変色していた。あの子と特訓をしていた孤児院裏も、皆で育てていた兎の小屋も。何もかもが壊れ、燃えて、変わり果てていた。
そこはもう、私のよく知る場所ではなくなっていた。私はその場に立ち尽くし、ただ嗚咽を漏らすことしか出来なかった。
そんな私へと、声をかけてくれた人がいた。孤児院から一番近くの村に住んでいた、私もよく知っているお爺さんだ。村ではまとめ役のような人で、孤児院の子供たちを、まるで孫のように可愛がってくれていた優しいお爺さん。どうやら村人達は、皆で残骸の後処理をしてくれているらしかった。
お爺さんは帰ってきた私を抱きしめ、慰めてくれた。そうして泣きじゃくる私へと、ある物を渡してくれた。焼け落ちた残骸の中から、唯一発見する事が出来たもの。炎と煙、煤で黒く変色しているけれど、私には一目でそれが何なのか分かった。それは村へ行商が通りかかった時、先生に買ってもらった髪飾り。あの子がいつも着けていた、青いリボンだった。
焼け落ちた孤児院の中で、奇跡的に残っていたあの子の『形見』だ。
それからの私は抜け殻同然だった。
目に映る景色はなにかもが灰色で。あれほど楽しかった勉強も、剣術も、魔術も、その全てが色褪せて、酷くどうでもいいものにしか思えなかった。
私は何のために強くなろうとしていたのだろうか。弱い人達を守れるようになりたくて、その為に王都へやって来たのではなかったか。年齢なんて関係ない。当時まだ子供だった私だけれど、既に『加護』に目覚めていた私なら、きっと山賊くらい蹴散らすことが出来た筈なのに。
故郷も、家族も、親友も、ちっぽけな約束でさえも。大切なものを何一つ守れなかった私には、もう何も残ってはいなかった。
それから一年が経った。
自責と後悔。虚無と諦観。私はその間、部屋でずっと塞ぎ込んでいた。自分の声すら忘れそうになっていた、そんな時。私を再び、外の世界へ連れ出してくれた人がいる。義父様が連れてきてくれた公爵家のお嬢様で、名前はオリヴィア。まだ私と同い年なのに、私なんかとは比べ物にもならないほど綺麗で聡明で、一言で言えば大人びた人だった。
彼女は空っぽな私に、色々な言葉をかけてくれた。何度も何度も部屋を訪れて、灯りの一つも点いていない昏い部屋の中、抜け殻みたいに無気力な私を抱きしめて。自分で言うのも恥ずかしい話だけれど、私の閉じきった心を、まるで少しずつ氷を溶かすように。そんな彼女の優しくも少し厳しい言葉と、そして『あの子』が、私を再び前に進ませてくれた。
『貴女にはまだ出来ることがある筈です。立ち止まるのはもう十分な筈です。貴女ならきっと、もう一度歩き出すことができる。貴女の助けを待っている人が、この世界にはまだ大勢居るんです。だからどうか───私と共に、戦って下さい』
ふざけるな。それはそちらの勝手な都合で、そんなことは私には関係ない。勿論最初はそう思った。けれどその時、私の目に映ったものがあったんだ。くすんで色褪せて、それでもなお私の中で輝き続ける青いリボン。それを見て思い出したんだ。私が、私と『あの子』が大好きだった、あの物語を。私達が憧れた、あの言葉を。
時にはオリヴィアに無理やり部屋から連れ出されたこともあった。有無を言わさず剣を持たされた事もあった。当時は面倒だ、放って置いて欲しい、なんて思っていたけれど。今となっては感謝してもしきれない。彼女が居なければ、彼女の言葉がなかったら。私の時間はきっと、今でも止まったままだっただろうから。
そうしてあれから────私が孤児院を出てから八年が経ち、私は十五歳になった。
新しい制服に袖を通す。
今日から通うことになる学園の制服だ。届いたのは何日か前のことだけど、実際に着るのはこれが初めて。学生寮の一室には不釣り合いなほどの、大きな鏡で身だしなみを整える。学園生活の為に義父様が送ってくれた鏡だ。当然、私なんかには勿体ないくらいの金額なんだろう。まぁ、隣の
……うん、大丈夫。どこもおかしくない、よね?
鏡の前でくるりと回ってみる。孤児院に居た頃は考えられなかった、きっちりとした可愛らしい制服だ。あの頃は適当な格好で野山を駆け回っていたけれど、今の私は貴族家の娘だ。継承権なんかとは無縁の養子といえど、はしたない格好で外になんて出られない。この数年で貴族についてのあれこれは、リヴィに小突かれながらしっかりと叩き込まれた。入学初日から、彼女に小突かれるわけにはいかないもんね。
そうして一人でくるくる回っていると、部屋の扉が軽くノックされた。
「エリナ、ちゃんと起きてるかしら?そろそろ式の時間よ。まさか新入生代表である『勇者』様が、入学早々に遅刻するつもりじゃないわよね?」
今ではすっかり聞き慣れた、リヴィの声だ。
平民どころか孤児だった私を軽蔑することもなく、出会った時から変わらず接してくれる、貴族らしくない大貴族のお嬢様。私の恩人で、私の親友だ。
「大丈夫! 準備出来てるよ!! すぐ行くから待ってて!」
気持ち大きめの声でそう返事をし、ベッドの上に置いていた鞄を引っ掴む。リヴィに見られていたら小突かれそうだけれど、部屋の中でくらいは別にいいよね?
そうして準備を整えた私だけれど、部屋を出る前にやらなきゃいけないことがある。
化粧台の引き出しを開け、箱の中に大切にしまってあるリボンを眺める。そっと優しく撫でると、『あの子』の笑顔がそこにあるような気がした。
「じゃあ行ってきます……私、頑張るから。見ててね───アリス」
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