第26話 神経発達障害仮説とストレス要因

 最近、『ストール精神薬理学エセンシャルズ』という高い本を手に取る機会があり(12500円する!)、統合失調症の最有力原因論になりつつある神経発達障害仮説が分かりやすく述べられているのに感心したので、紹介する。


「統合失調症の場合に疑われることは、シナプス形成の神経発達過程および脳の再構築が間違ってしまうことである。シナプスは正常では出生から6歳ぐらいまでの間に凄まじい勢いで形成される。脳の再構築は生涯をつうじて起こるが、競合的除去と呼ばれる過程での遅い小児期と思春期の間に最も活発となる。競合的除去およびシナプスの再構築は思春期に達するころからそのおわりまでの間にピークに達する。正常では小児期に存在したシナプスの半分から3分の2だけが大人まで生き残る。精神病の陽性症状の発達(精神病的「破綻」)は競合的除去およびシナプスの再構築がピークを迎えるこの危機的な神経発達期間に続いて起こるので、統合失調症発症の一部の背景としてこれらの過程で考えられる異常に疑いがかけられている。」(pp.172-173)


 長い引用で申し訳ないが、要するに、シナプス再構築を始めとする脳の再構築の過程で生じる間違いが、発症の原因となる、ということだろう。

 この方が、23話での「脳の成長発達の過程で、神経細胞(ニューロン)の「刈り込み」が十分に行われず、余計なニューロン回路が残ってしまった」という説明よりも適切なので、訂正しておきたい。

 余計なニューロン回路が残るだけでなく、必要な回路が形成されなかったりと、複雑な事態を「脳の再構築過程のエラー」と表現しているのだから。


 ここでさらに、脳の再構築のエラーの原因は何か、と尋ねたくなってくる。

 ストールさんの答えは次のようになる。


 「統合失調症は遺伝的要因(生まれつきの性質)とエピジェネティックな要因(育ち方)の両方の結果として発症すると考えられる。すなわち、多くの遺伝的リスク要因を有している個人が、エピジェネティックな変化をもたらす多くのストレス要因と合併するときに、(シナプスの)結合の障害という形での異常な情報処理、異常な長期増強(LTP)、シナプスの可塑性の低下、不十分なシナプスの強度、神経伝導物質の制御不全、シナプスの競合的除去の異常などが現れる。この結果として、幻覚、妄想、思考障害のような精神症状が出現する。」(p.170)


要するに遺伝的要因+環境的ストレス要因だ。

これは、同じページの図にある説明では、

「図4-62.累積する環境的ストレス要因:多数の生活上の出来事←産科の出来事・幼児期の虐待・ウィルスや毒素、マリファナ、外傷体験(例えば、戦争での戦闘)、いじめ」

 とある。


 シナプス形成の神経科学的説明にくらべると、こちらは簡単にしか書かれていない。

 たとえば、いじめられる経験が、どこのどのようなメカニズムによって、脳の再構築過程のエラーをもたらすのか。

 無理もないことで、「いじめられる経験」といった現象は、自然科学の言葉で語るのはむつかしいからだ。

 そこで、22話での光トポグラフィー実験での体験を思い出してみよう。

「論文の構想を考えることによって〔前頭葉での〕グルタミン酸やGABAに動員令をかけ‥‥」と想像して述べたのだった。

 だとしたら、いじめられるたびに、たとえば恐怖の情動を司ると言われている扁桃体での伝達物質に動員がかかり、そんな負荷が続くとシナプス増強が異常に強くなり、いじめられていない場面でも扁桃体が過活動するようになって脳の再構築過程に影響を及ぼす‥‥

 こんなシナリオが考えられないだろうか。


 このシナリオでは、「脳が心を生み出す」「脳が心に影響する」という脳神経科学のが、逆転していることに注意して欲しい。

 やはり、心理的な体験が脳の再構築過程に影響すると考えてよいのではないだろうか。

 

 神経発達障害仮説などというと、何だか遺伝的要因で脳の再構築過程に異常が生じて、それが原因で発症する、というように、因果関係で結びたくなる。

 けれども、精神的要因でも脳の再構築過程に異常が生じる、と考えてよいのではないだろうか。

 そして、精神的要因を無視する限りは、精神医学は袋小路にハマったままになってしまうのではないか。

 そんなことを思った。


【参考文献】

Stahl, S.H.(2022)『ストール精神薬理学エセンシャルズ:神経科学的基礎と応用Ver.5』仙波純一・他(訳)、メディカルサイエンスインターナショナル

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