第27話 きょうだいなのに発病しなかった理由
統合失調症に遺伝的要因があることは確からしい。
近年の大規模調では有病率は100人に0.7という割合になるが(Saha, Chant, Welham, & McGrath, 2005; 安藤, 2013)、きょうだいのリスクはその10倍に跳ね上がる。
だからどうしても、なぜ自分は発病しなかったのか、と考えてしまう。
ネットをみても、「控えめ・内気・おとなしい人や神経質な部分と無頓着な部分を持ち合わせている人、人からの言動等に傷つきやすいといった性格の人、人とコミュニケーションが苦手な人」が病前性格としてあがっている。
筆者にはすべて当て嵌まる。
兄は子どもの頃は社交的な方で、内気な筆者は後にくっついて回っていたものだ。どう考えても、発病するなら自分であって兄ではなかったはずではないか?
数年前、『精神病棟の二十年』(松本昭夫著、新潮文庫、2001)という本を読んで、その答えが見えてきたような気がした。
この本、タイトルから20年間、精神病棟に閉じ込められっぱなしと想像したのに、出たり入ったり。
おまけに、まだ入院中から再就職の活動をして、しかも、広告会社の営業マンなどという、どう考えても統合失調症に向かない職種なのに、現に何度も再就職に成功している。
女性関係も華やかだし。ホントに統失ですか?と聞きたくなるくらい、症状が軽い。元松沢病院院長の金子嗣朗氏が付録で書いているように、漱石と同じく、統失と躁うつ病が重なり合った非定型精神病かもしれない。
症状が軽すぎ、色々恵まれ過ぎだ‥‥
こんなことをいうのも、どうしても兄と比較してしまうから。兄が発病したのはこの本の著者松本氏、と同じで21歳のとき。
その時は半年あまりで退院したが、大学を出て商社員になって2年目で再発し、それ以後はこの手記に長々と述べてきた通りの経過をたどった。
私は関西の大学に行っていて滅多に帰省しなかったが、後で母に再発の経緯を聞いて、よくもまあ、これほど、節目節目で最悪の選択を続けたものだと、あきれ返ったものだった。
その理由は、両親も一流大学出のはずの兄本人も、文学的教養と無縁だったことにあるのではないか
この本を読みながらそんなことを考えたのだった。
兄の話に戻ると、1964年という時代に、母は、主治医から、「今は医学が進歩しているから治るんですよ」とか、「5年たって再発しなければ治ります」などと、奇妙なことを吹き込まれて、すっかり真に受けていたらしいのは以前の記事で述べた通り。
そもそも、医者の言う統失が「治る」とは、「退院できる」という意味なのに、家族の方では「完全に元に戻る」という意味にとってしまって、就職にも結婚にも「人並み」を本人に強要して、結果的に再発させてしまう。
そんな悲劇を、後に兄弟姉妹の会に出たりして、散々見聞きしたものだった。
兄の場合も、卒業どころじゃなかったのに、親のプレッシャーで無理やり卒業させ、あげくは就職先は大手商社などという、服薬自宅療養者には最悪の所。もし、少しでも教養があれば、初回の発病の時点で、エリートの出世コースなど問題外だと分かっただろうに。
その点、著者の松本氏は、フランス文学科を出て詩人志望だっただけあって、世俗には半身に構えていられた。そこに余裕が生まれて、良い方に作用したのだと思うのだ。
筆者の知るフランス文学者は、地方の国立大で教えていたが、ゼミでカミユの異邦人を原書で読ませていた。
その効用について、こう語っていたのを思い出す。
「最初、学生たちは、世の中のために役立つ人間にならねば、という固定観念でガチガチになっているんだよ。けれども、異邦人を読んでいるうちに、あるところで、回心とでもいうものが起こる。世の中に役立つような人間にならなくていいんだ、と悟るんだよ。」
これを聞いて筆者は、尊敬の念を新たにしたものだった。
松本氏にあって筆者の兄になかったのは、このような意味での文学的素養だったのかもしれない。
ちなみに兄は、大学の卒論では毛沢東をやり(会社の面接では「蒋介石をやりました」と誤魔化したらしいが)、就職しても職場の「党細胞」に属するという、社会的正義感でガチガチの人だった。
【参考文献】
安藤俊太郎(2013)疫学.日本統合失調症学会(監修),統合失調症(pp.115-127).岩崎学術出版社.
Saha, S., Chant, D., Welham, J., & McGrath, J. (2005). A systematic review of the prevalence of schizophrenia. PLoS Med 2(5): e141. DOI: 10.1371/journal.pmed.0020141.
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