第25話 精神医療界の知ったかぶりの構造(2)

 前話の続きになるが、最近、『マインド・フィクサー:精神疾患の原因はどこにあるのか?』という本を読んだ。


 出版社による紹介にはこう書いてある‥‥

「第1部ではアメリカにおいて生物学的精神医学の役割が明確化されていく過程についてまとめている。第2部では疾患ごとの視点に替え、薬剤の歴史から家族、世論までも含めて考察する。第3部では破綻と今後の危機を扱い、全体を通じて精神疾患を生物学的に理解するための多元的な見方を提示する。」


 破綻、危機、という言葉が使われていることからうかがえるように、百年の歴史をもつ生物学的精神医学は、破綻し、危機にある、というのが著者の診断だ。

 ではどうしたらよいのか。「結論」の末尾近くの次の文章が印象に残る。


「これまでとは対照的に、新しい精神医学は謙虚さを美徳とし、自分たちが直面している科学的課題がどれほど複雑であるかを認めていく必要があるはずだ。‥‥結局のところ、現在の脳科学では、多くの、いやほとんどの精神活動の生物学的基盤について、まだ理解できていないのだ。」(p.276)


 まったくその通りだと思う。

 精神医学に欠如していたのは、まさにこの「謙虚さ」なのだ。

 「統合失調症は治る」かどうか、いまだに分かっていない。

 「統合失調症は普通の病気である」かどうか、いまだに分かっていない。

 「統合失調症は脳の病気である」かどうか、いまだに分かっていない。


 クレペリンいら百数十年がたつのに、いまだにこの状態だということを認めるのは、難関医学部卒で秀才ぞろいの精神医学者にとっては、難しいことかもしれない。

 けれども、相手は何といっても「精神」なのだ。

そして、「精神」の領域で専門家と非専門家の区別は、本来あってなきが如しなのだ。


 だから、私たち家族や、罹患当事者の方にも、当事者研究というかたちで統合失調症研究に貢献する余地が出てくるのだ。

 そして、「精神」がいまだに科学にとって乗り越え難い難問である以上、この病にも、治療や脳科学的解明よりも、

 症状管理マネージメントと環境調節を優先すべきと思われる。

 症状管理の方では幸い最近は、SDAM(Serotonin Dopamine Activity Modulator)系の副作用の少ない薬が開発されてきているようだ。

 環境調節の方では、いろんな専門家の方々が提言され、政策も実行に移されているようだが、筆者としては家族支援にも重点を置いて欲しいと思う。

 

 家族が(特に母親が)、無償で無期限で自己犠牲も厭わないケアラーであることが当然視されるような時代は、もういい加減終わって欲しいものだ。

 兄の発病以来の50年近くを自己犠牲的なケアと絶えざる心労のうちに過ごし,努力も実を結ぶことなく暴力まで受け,希望も打ち砕かれて終わった筆者の亡き母のような人生は、もやは繰り返されてはならない。


【参考文献】

ハリントン・A.(2022)『マインド・フィクサー:精神疾患の原因はどこにあるのか?』松本俊彦(監訳)、金剛出版

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