第24話 精神医療界の知ったかぶりの構造(1)

 これまで述べてきたように、精神医療界には、統合失調症は治る・普通の病気である・脳の病気である、という「ごまかしの三位一体が」ある。

 

 これを「三位一体」と称する理由は、この三つの主張は、精神医療の「目標」であるものを「確立された科学的事実」であるかのように語るという、論理のごまかしを共有しているからだ。

 ごまかしの構造を、知ったかぶりの構造、と言いかえてもいい。


 知ったかぶりの構造の根は深い。

 それは、医学界の標準的見解が「心は脳の機能」としているところに根差しているからだ。簡単にいえば、脳が心を生み出すのであって、逆に心が脳に作用することは一切ないとする、が現代医学の根本にあるからだ。


 けれども、そもそも脳が心を生み出すところなど、世界のだれも観察したことはないのだ。

 この奇妙さを分かっている人は、どこにでも少数ながらいる。先日も、『日経サイエンス』の記事を拾い読みしていたところ、指導的な脳神経科学者による興味深い記事にであったので、一節を引用する。


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 かつて若い講師だったころ、私は医学生向きの講義で、神経生理学を教科書どおりに教えていた。脳がいかに外界を知覚し、身体を制御しているか。眼や耳からの感覚刺激がどのように電気信号に変換され、脳の感覚野に送られて処理され、知覚が生まれるか。そして運動野の神経インパルスが脊髄の神経細胞へいかに指示を出し、筋肉を収縮させることで身体動作が始まるかを熱く語った。

 ほとんどの学生は、脳の入出力メカニズムに関するこの定型的な説明を受け入れた。しかしいつも少数の、とくに賢い学生が答えに困る質問をした。「知覚は脳のどこで起こるのですか?」「運動野の細胞が発火する前に、これから指を動かすことをどこが決めているのですか?」こうした問いを、私は「すべて大脳新皮質で起こります」とやりすごした。そして巧みに話題を変えるか、ラテン語由来の専門用語を使って、権威がありそうな説明でひとまず満足させようとしたのだった。

 他の若い研究者たちと同じように、脳の研究を始めたばかりの私は、この認知と行為に関する理論的な枠組みが本当に正しいかどうか、ほとんど疑っていなかった。長年、自身の研究の進展や、1960年代に「神経科学」という分野の誕生へとつながるめざましい発見の数々に満足していた。しかし、最も優秀な学生たちのもっともな質問に十分に答えられなかったことは、私を悩ませた。私は自分が本当に理解していないことを、人に説明しようとしていたのではないか。

 だが年をへると、この不満を抱えているのは私だけではないことがわかってきた。同僚の研究者たちも(本人が認めるかどうかはとにかく)同じ思いを持っていた。

(‥‥)私たち神経科学者がここで足を踏み込んだのは「心とはいったいなにか?」という重い問いだ。(G.ブザーギ「脳は内から世界をつくる」(『日経サイエンス』2023.10月号、78-85)より、p.80)


<この項つづく>



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