第23話 ストレス脆弱性仮説のおとしあな
昨日は図書館に行って、『医学のあゆみ』という雑誌の「統合失調症の未来」という特集号を手に取った。
すると、ストレス脆弱性仮説の説明のところで、「原因と誘因はちがう」という一文が目に留まった。
前回の末尾でも紹介したが、ストレス脆弱性仮説とは、現代精神医学の有力仮説である。
統合失調症の原因は、遺伝的生物学的な脆弱性に求められる。そこに環境要因としてストレスが加わって発症する、という仮説だ。
前回でも触れた受験勉強のし過ぎによるストレスといった「環境要因」は、あくまで「誘因」であって、「原因」の方は未だ未知な脳の脆弱性に求められねばならない。
それはたとえば神経発達障害仮説によれば、脳の成長発達の過程で、神経細胞(ニューロン)の「刈り込み」が十分に行われず、余計なニューロン回路が残ってしまったのだろう、ということになる。
なぜストレスが「誘因」に過ぎず脳の脆弱性が「原因」なのかというと、受験勉強をし過ぎたからといって、受験生がみんな統合失調症になるわけではないから、ということになる。
これを読んで筆者は、精神医学者は論理的にはあまり賢くないな、と思わないでいられなかった。
そもそも、科学論理学・科学哲学では、原因と誘因とを区別することはできないことになっているのだ。
「泥道を走っために自動車が故障した」という主張を例に取ろう。
ふつうこの主張は、「泥道を走る」という原因が、「故障」という結果を引き起こした、と解釈できる。
ところが生物学的精神医学の言い分を適用すると、「泥道の走行」は「原因」でなくて「誘因」に過ぎない。なぜなら、すべての泥道を走る自動車が故障するわけではないから。「原因」は、自動車のエンジン等のメカニズムの「脆弱性」に求めなければならない、という結論になってしまう。
これは明らかにおかしい。生物学的精神医学の方こそ、言葉の用法を取り違えているのではないか。
科学論理学の方では、「泥道を走ったから車が故障した」といった日常的な語法にみられる因果関係のとらえ方を、個別的因果関係と呼んでいる。
個別的因果関係の極端な例は、「風が吹けば桶屋が
これがジョークなのは、風が吹けば常に桶屋が儲かるわけではないし、風が吹かなくとも桶屋が儲かることだってある、と私たちは思うからなのだ。
原因と結果が、一対一の必然的関係にないからだ。
けれども、日常的につかう説明の中の「原因ー結果」だって、一対一の必然的関係にあるものは稀だろう。
よくテレビのニュースでやっている、今朝の地震の原因をプレートの移動で説明するのだって、プレートはいつも少しずつ移動しているのになぜ今朝の移動が「原因」なのかは説明できていない。また、プレートの移動でない他の例えば火山活動が原因で起こった地震なのかもしれない、等々。
一対一の必然的関係にある因果関係など、天文学や物理学などの精密科学のなかでしか、お目にかからないのだ。
だから、「統合失調症の原因にはストレスがある」、と言ってなぜ悪いのか。
それが正しくないというのは、「統合失調症の原因には脳の脆弱性がある」と言う方が何となく科学的に感じられるからにすぎないではないか。
さらに言えば、「脳の脆弱性」は自然科学の言葉で語れるが、「ストレス」は自然科学の言葉では語りにくい。
その違いに過ぎないのではないか。
精神医学者は、自然科学のことばで語り得ることだけを「事実」と認め、そうでないことを無視するという、自然科学信仰に
【参考文献】
(2023)「統合失調症の未来」『医学のあゆみ』Vol.286,No6、医歯薬出版
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