第13話 精神医療におけるごまかしの構造

 これが,兄の発病いらい半世紀以上にわたる,家族の歴史である。


 そして、この手記を(というか、この手記の元になった論文を)書いているうちに,このような取り返しのつかない事態を招くにいたった,統合失調症をめぐる患者と家族と精神医療のもつれた構造の一端が,いまや,おぼろげに見えてきたのだった。


 それは一言でいえば,患者家族の側の「教養」の欠如と表裏一体となった,精神医療への過信の構造である。(専門化の進行する社会にあって専門外の「知識」がないのは当たりまえであり,必要なことは有事に当たっての知識を得る方法と意欲である。これを筆者は「教養」と称したい)。


 過信の構造とは、第4話で、B病院での入院治療が少しも効果をあげていないのに「B先生を神さまだと思って」と母が言っていたような,医学信仰と医者崇拝に象徴されている。(精神医療界にはあがめるべき「赤ひげ先生」などいないのに。それはけっして、精神科医が他科の医師にくらべて能力が低いからではない。精神医学と身体医学とは、同じ医学を名乗っていても、根本的にちがっているからなのだ‥‥)


 この過信の構造は,半世紀後の今日にいたっても、精神医療界に形を変えて存続していると思われる。

 

 患者家族の側のこの過信の構造が,精神医療・福祉の側に反映されると,「ごまかしの構造」となる。


 この構造に最初に気づいたのは,今まで何度か言及してきたように,「治ります」というフレーズをめぐる精神医療サイドと患者家族の側の,意味の齟齬そごに気づいた時のことだった。


 本作の最後を借りて,まず「統合失調症は治ります」のフレーズの問題性を,そこからさらに「普通の病気です」「脳の病気です」という,昨今精神医療や福祉の場でよく聞くフレーズの問題性を(より強い言葉でいえば欺瞞性を),明らかにしていくことにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る