第12話 いつまで病院に置いてもらえるか‥‥
母の死後になっても筆者は,年二回の割でC病院を訪れ,S医師と面談した後に兄に面会するということを,入院後23年が過ぎた今に至るまで続けている。
S医師には,不自由な体を押して遠路面会に来る母に並々ならぬいたわりを示して貰って以来,信頼関係が築かれるにいたった。
筆者の関心は,地域移行が叫ばれる時代の中,いつまで病院に置いてもらえるかだった。
時代は「近年,国の方針により病院から次々に退院してくる当事者を,家族は非力な自らを犠牲にして精いっぱい支えている」(野村,2010,p.28)と言われるような情勢にあった。
最初の頃,S医師は,一生入院しているわけにもいかないと言っていた。
また兄の状態も,身体的な病気を重ねて車いすに,さらにほとんど寝たきりになるに至り,大柄な兄の介護に負担が掛かるという声が周囲にあると, 介護施設への転院を検討したりした。が、結局は引受先が見つからず,「一生病院にいてもいい」ということにとりあえずなった(その後、病院の近隣に新設された特養との提携がなり、転院の目途がたちつつある)。
兄の内面は話しかけてもほとんど反応がなくて,
筆者のつれあいがまだ元気で同行してくれた頃には,色々問いかけては頷き返すやり取りで15分は持たせられた。
その後つれあいも病気がちになり,また成年後見監督者制度が新設されてからは(2017年),監督者に選任された弁護士と同行することもあったが,やはり間がもたず,菓子を渡して早々に帰ることが常となった(S医師は「男同士はダメよ」と苦笑していた)。
なお,この三度目の入院の初期にはS医師の話によると,兄は妄想の中で社長であり,弟である筆者も部下の地位にあるということで,生きるための適応として無理に妄想を取る必要はないとのことであった。
現在はS医師でさえコミュニケーションが取れず,僅かに周囲のベテラン女性看護師だけが意思疎通できるとのことであった。
ちなみに筆者は,兄が最初の入院から戻った時,幼時からの「兄的」な人格が失われてしまったと感じて以来,コミュニケーションが取れたと思ったことがない。
子どもの頃に成立した人間関係のパターンを変えるのは,非常に難しいと痛感している。
【参考文献】
野村忠良(2010)「家族が求める家族支援」.伊勢田堯・中村伸一(編),『精神科治療における家族支援(専門医のための精神科臨床リュミエール17)』(pp.28-38).中山書店.
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