第9話 地域移行のおとしあな
もう一つ筆者が会で問題にしたことは,地域移行の名を借りて結局は病院から家族へと,負担が転嫁されることになるのではという懸念だった。
これは,かなりの参加者が共有している思いだった。
各県単位で同じような会ができつつあって,数年後には全国大会が開催され筆者も参加することになったが、この全国ネットワークが中心となって出版された手記集に、以前の記事でも引用した『精神障害のきょうだいがいます』(2006)がある。
じっさい,この本にも,次のような記述を見ることができるのだ。
「退院の延期を泣きつく父に医師は,「あなたのお子さんでしょ」と殺し文句を吐いた。/自分で面倒をみるのが当然だといわんばかりだった」(p.32)。
「姉の病気の重いときには,一生病院から出さないでほしいと,先生に頼みこんだこともあります。社会復帰をすすめる立場にある私が‥‥」(p.81)。ちなみにこの文の書き手はPSW(精神保健福祉士)だという。
「外泊しないでずっと入院していてくれればいいのにと思ってしまいました」(p.93)。
「高齢の父と痴呆の母がいる自宅に戻っても彼のケアをすることができないし,彼の居場所はどこにもないのが正直なところだった」(p.111)。
このように赤裸々な本音がいたるところに記されているのである。
親や兄弟姉妹の個人的な本音というだけでない。
脱病院化・脱施設化、地域移行といえば、いかにも聞こえがいい。
けれども、現実にどのような結果になるか、具体的に想像しなければならない。
たとえばここに、「意識の高い」病院長か精神科部長がいて、統計グラフを見ているとする。
グラフでは、精神疾患者の入院率が諸国に比べて日本がきわだって高いことが示されている。
「これはいかん‥‥」と、この先生は思う。「日本は遅れている。一日も早く地域移行を進めて、先進国の水準に追いつかねば‥‥」
で、次にこの先生が打つ、地域移行とはどんなものになるだろうか。
退院できそうな患者をとにかく退院させて「地域」に送りかえすことだ。
ところで「地域」とはどこだろう。
福祉行政がグループホームやケアつきアパートをジャンジャン建てて、準備して待っていてくれているわけではない。
たいていは、親の家、ということになってしまう。
実はこのような事態は、地域移行の先駆けであるアメリカの脱施設化政策の失敗として,とうに指摘されていたことなのだ。
最近も本を読んでいて,1960年代のこの、連邦政府主導の州立病院閉鎖などの政策についての、次のような記述にであった。
「だが脱施設化による地域移行が進むと、精神保健・医療システムは患者に対処する能力をもはや失ったように見えた。”州立病院を閉鎖したことで、責任の所在が地域社会に戻ったわけではないと思います。親に責任が押し付けられたのです!"、”私たちが死んだら、子どもたちはどうなるのでしょうか”、といった、システムの責任放棄やそのリスクの高さを指摘する声が聞かれた。」(アン・ハリントン、2022 ,p.178)
まして、個人主義の欧米とはちがって、日本は家族が重視される東アジア文化圏に属する。
じっさい、マレーシアでの同じ家族重視の中華系社会にかんする研究で、『精神障害のきょうだいがいます』と同じころに公刊された報告には、次のようにあるのだ。
「精神病院中心から地域中心へというコミュニティ精神医学の試みが進行中であるが,その著しい結果の一つは,ますます多くの重度慢性精神疾患者の家族が,介護者の役割を恒常的に担うことを余儀なくされつつある,ということである」(Chang, & Horrocks, 2006, pp.435-436)。
地域移行の落とし穴と、筆者の考えるその代案については、いずれまとめて述べよう。
【参考文献】
兄妹姉妹の会(編)(2006)『精神障害のきょうだいがいます』.心願社.
Chang, K. H. & Horrocks, S. (2006) Lived experiences of family caregivers of mentally ill relatives. Journal of Advanced Nursing, 53(4), 435-443.
アン・ハリントン(2022)『マインド・フィクサー:精神疾患の原因はどこにあるのか?』松本 俊彦/監訳、金剛出版
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