第7話 三度目の入院 付:ヘルダーリンの詩「帰郷」

 ある夜更け,これまでにない激しい暴力を受けたという電話が母から来た。

 翌日はまず家族のひとりが様子を見に行き,入れかわりに筆者も夕刻に着くと,母は「施設に入れよう」というのだった。

 それまで回復への一縷いちるの望みをつなぎながら自宅でのケアに努めてきたのに,とうとう完全に希望を捨てたのかと,胸をかれた。

 施設といっても当てがないので,また入院しかないと考え,S医師に電話連絡を取りC病院への再入院の了解を取り付け,連れてゆくことになった。

 連れて行くと言っても電車を二時間半かけて乗り継いで行く自信もなく,タクシーも問題外で,保健師の方に相談に来てもらい,警察か救急車を呼ぶと言ったところ,そのような強制入院のような場に行政の者がいると人権上問題になるので協力できないと言われてしまった。

 (ここで個人を責める意図は全くなく、自宅まで何度も足を運んでいただいた保健師の方には感謝しているが、その時は、行政のいう人権とはていのよい責任逃れの方便ではないかと、思ったことだった)。

 結局は家族任せかと途方にくれてひらめいたのは,引きこもりの子ども(成人している場合が多いらしいが)を病院まで移送する仕事を請け負っているという民間業者の話だった(この業者はその後,『子ども部屋に入れない親たち』という本を出した(押川,2001))。

 調べてみると費用は50万から100万。高すぎると思案しているうちに,母の付き添いで行ったことのある近所のペインクリニックの待合室から取ってきていた,患者移送業者のパンフレットを思い出した。

 業者に電話したところ,精神疾患でも引き受けるがバット等を持ち出されてスタッフに危害が及びそうな場合はお断りするという答え。三日前から泊まり込んで包丁をはじめコウモリ傘や父のステッキなど目につきしだい片っ端からかたづけて,予約した迎えの日を待った。

 その日は早朝から男性5人ほどのスタッフを乗せた大型移送車がやってきたので,スタッフに兄の寝室まで入って貰い,打ち合わせ通り「C病院からのお迎え」と口裏を合わせて貰うと,存外素直に従って移送車に乗り込んだ。

 こうして隣県のそれも反対側に位置するC病院までの2時間半を筆者も同乗し,ようやく入院に漕ぎつけたのだった。

 その日は主治医のS医師が不在の日で,院長自ら病院中の男性スタッフ十数人を集めて車から降りる兄を遠巻きに取り囲んで病棟まで送り込んだ。この日のことは一生忘れられない。

 ちなみに後日,この日のことをエッセイ風にまとめて全家連の機関誌に投稿したところボツになってしまった。

 理由は示されなかったが,ヘルダーリンの悲歌エレギー「帰郷」を引用し,雑木林になかば隠れたC病院の落ち着いたたたずまいを描写し,兄にとっては故郷に帰ったようなものだったかもしれないなどと書いたことが,当時から言われるようになってきていた精神医療の地域移行の精神に抵触ていしょくするとみなされたのではないかと,想像している。


付記

 ヘルダーリン(1770-1842)はドイツの詩人。歴史上,統合失調症であることが確実視される資料の残っている最初の人物とされる。晩年の36年間は指物師さしものしの親方ツィンマーのところの家庭看護にゆだねられ,ネッカル河畔の塔の小部屋に住んだ(ランゲ―アイヒバウム,1989)。

 「帰郷」の詩の一部(4連から5連にかけて)を引用しておく。ボツ原稿に引用した部分かどうかは定かでないが、あらためて読みかえすと詩人の運命を予兆するかのようで,鬼気迫るほど美しい‥‥

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しかしさらに心をそそるのは、清浄な門よ!

故郷への帰還だ 花咲く道のなつかしい国

この国を巡り、ネッカルの美しい谷を行く。

森 神聖な木々の緑 かしわはここで

静かな白樺やぶなと入りまじり

山中で 一つの場所が やさしい絆に私をからめ取る。

   5

ここで私は迎えられる おお街の声 母の声!

声は私を捉え 久しい昔に学んだことをよみがえらす。

昔ながらの姿のまま 陽は照り喜びは萌え

愛する者たちの眼に かつてなく明るく映る。

古いものは確かにある。育ち実る自然の転変の中でも

生きかつ愛したものはすべて まめやかに取り置かれる。

     (『ヘルダーリン詩集』川村二郎/訳,岩波文庫,pp105-106)


【参考文献】

押川剛 (2001)『子供部屋に入れない親たち―精神障害者の移送現場から』.幻冬舎.

ランゲ―アイヒバウム,W.(1989)『ヘルダリンーー病跡学的考察』西丸四方/訳、みすず書房(原著初版1909)

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