第6話 25年目の暗転
転機は,というより暗転が,在宅生活25年目が近づく頃にやってきた。
父は物忘れが酷くなりしばしば迷子になったりしていたが,85歳頃には完全に認知症の状態になって寝込んでしまった。
それと並行するようにして兄の状態が悪化した。
それまでの無表情の奥に何やらまがまがしさが感じ取られるようで,また常同的反復動作がひどくなった。デイケアに行くのも(母が父の介護で同伴できなくなったためもあってか)止めてしまったという。
母は,「年を取れば軽くなるというけれど,どういうわけか悪くなるんだもの」と嘆くのだった。
筆者はそのころ,老いてゆく両親に兄を任せきりの状態が気になることもあって,かなり無理をして職場を西南の果ての県から隣県へと移していた。
その関係で,家族が一人で様子を見に行くことも多くなったが,「☓☓☓☓は前に比べてずっと悪くなってるわ」と評し,腰痛を押して父の介護やペットの世話をする母の傍らを兄がグルグル歩き回る様子を描写して,「あの家はもうダメだわ」と呟くのだった。
このままでは両親共倒れになり兄は放置されてしまう‥‥。ようやく本腰を入れていろいろ手を打つことにした(ちなみに狭いマンションに娘二人が同居というわが家に兄を引き取るというのは問題外だった)。
まず家族のひとりの尽力でヘルパーが週二日きてくれることになった。
ところが母は,ヘルパーさんが来るから掃除をしておかなければならず仕事が増えるとこぼし,「どうしてあんな人が来るのかしらね」と不思議がるのだった。いくらヘルパー制度というものを説明しても,心から納得した様子がないのは,和製カタカナ英語がネックになっていると思えた。
これで,家族会に
そのうち介護疲れで母も寝込んでしまい,父は昏睡状態に陥り救急車で病院へ運ばれ,そこから遠方の老人病院に転院していった。
そのような状態でも母は這いながらも家事とペットの世話をこなしていたが,今度はそんな母への兄の暴力が始まった。主治医のアドヴァイスで以前から兄に家事を色々言いつけていたが,母の耳が遠くなり兄の方では言葉がはっきりしないという状態で意志の疎通に
筆者がいる限り暴力は起こらないので,連日のように泊まり込み職場へも直接通うようになった。
そのうち,投薬を受けるための定期的なC病院通いもやめてしまっていることが分かったので,保健所に相談して保健師の方に来てもらい,説得を試みたが,耳を貸す様子はないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます