第4話 再入院・退職勧告・悪化の一途・転院の7年間
兄が27歳で再入院してから退院までの7年間を,筆者が帰省時に母が語ってくれたことと直接経験したことから述べる。
母によると,再入院ののち数週間して、突然、会社から電話が来て退職勧告を告げられたという。
それでようやく分かったことは,兄の奇妙な言動が職場ぐるみの大騒動になっていて,会社側では兄をひそかに尾行して通院先を突き止めB医師にも会っていたという。
それまで両親は会社側に病歴の一切を伏せたままで退院後の復職を期待していたのだったが,ここにいたって退職させることにしたのだった。
商社のような健常者にとってさえ厳しい職場環境へと,病歴・服薬を隠して就職することがいかに無謀かを,家族をあげて(そして母の話ではB医師もまた)思い知らされたのだった。
ちなみに父には公務員を勧められていたのに、なぜ兄が民間企業を選んだかは,推測になるが元々の政治意識の高さが一因になったのかもしれない。筆者は大学在学中に兄から,戦前からの伝統を誇る某左翼政党に「入党」したと聞いていたし,入社後も「企業内細胞」の会合に出席していたらしい。T大出のコースの一つとされていた高級官僚のような道は望まなかったのだろう。
半年後の年末に帰省した際には,再入院後初めての外泊で来た兄が,2日目の明け方に悪モノが侵入したと騒ぎ出して庭中を探し回り,三人がかりで抑え込んでタクシーを呼び,病院へと送り返した騒動があった。
母の語りを続けると,その数か月後には病室の壁に突進して自死を図り,頭に何針も縫う怪我を負った。
その後拒食がひどくなり,B医師が母に「おいしいものを作って食べさせに来てください」というので、往復4時間かけて連日病院に通うことになった。「ベッドに括り付けられ髭茫々で」と母は涙ながらに話すのだった。
ところが入院2年目になると今度は,帰省する度に兄が長期の外泊中,という事態に遭遇することになった。相変わらず拒食が続いているので,家で栄養を付けて欲しいという方針になったのだという。外泊の後は病院に戻すのが一苦労で,タクシー車内で暴れる兄を母は泣きながら止めていたという。
帰省の度に見る兄は,どんどん悪くなっていくようだった。
最初のうちこそは再入院前の面影があったが,次第に,一見しただけで「あ,これは正気ではないな」と直感することが多くなった。
入院3年目に入る頃にはさらに状態の変化があった。言葉を発せず,まったくの無表情になってしまったのだった。
母はこの頃のことを、「言葉を忘れてしまったんじゃないかと思って」と、後に述懐した。
それでも両親のB医師への信頼は揺るがず,父の言うところでは「天下の名医」という評判だというし,母は母で「B先生を神さまだと思って」という具合だった。
転院したと聞いたのは再入院して3年過ぎた頃のことだった。
外泊から戻る際にB病院へ戻るのをどうしてもいやがり,最初の入院先のC病院に行くと言って聴かないので,やむなくタクシーで県外のC病院まで行き,そのまま転院になったという。
新しい主治医のS医師は女性で兄の1歳上という若さで,B医師の門下生だという。筆者は,兄の外泊帰りの付き添いで父に同行してS医師に会ったのが初対面だったが,その時は30年後に兄を三度目に入院させるときにお世話になり,今に至るまで続く信頼関係が築かれるとは夢にも思わなかった。
こうして7年の再入院の期間の前半をB病院,後半をC病院で過ごした後,34歳で退院した兄に再会した時には筆者は31歳で,親からみれば西南の果てともいえる地の大学に就職し,同時期に式も挙げずに結婚し,つれあいを伴っての初めての帰省時だった。
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