第2話 母の語り(1)――最初の受診と入院の真相。

 母の語りによってまず,5年前の最初の発病時の状況が明らかになった。

 父の赴任地で駅前からタクシーに乗ったが,挙動不審で運転手に交番に突き出され,当地の精神科受診にいたったこと。医師は一目見て,「これは分裂病だ,なぜこんなになるまで放っておいたのか」と怒って,「今は医学が進んでいるから早く来れば治るんですよ」と言ったという。

 父の話をさらに母が話してくれたことなので正確さは保証できないが,その際筆者は2つの疑問を覚え,今にいたるまでひっかかっている。

 第一に「なぜこんなになるまで放っておいたのか」という医師の非難めいた言葉に対して。病識のない患者を知識のない明治大正生まれの親が医療につなげるのにはこれが精一杯のところではないか,と思ったのだった。

 実際,きょうだい23名の手記を収録した『精神障害のきょうだいがいます』(2006)には,警察沙汰がきっかけになったという事例も複数ある。(註)。

 (註) アメリカでのワソー(2010/2000)の調査にも「‥‥親が問題に気づいて 

  からついに誰かに助けてもらえるまで,三年から七年が経過していたことが分か 

  った。ある親は,「息子の様子がひどくおかしいと思って精神科医のところへ連

  れていこうとしたんです。でも,息子は嫌がりました。医者は医者で,自分の助

  けを求めている人しか診ないといいますし。助けを得るためにはいったいどんな

  目に遭わなければならないんでしょう」と嘆いた」(p.90)とある。

 この苦労は30年後に筆者自身が体験することになるのであるが,後年、筆者が入会することになった兄弟姉妹の会で話してみても,病院まで連れてゆく苦労に対し家族が医療側にねぎらいの言葉をかけられたという話は、ついぞ聞かないのである。

 第二に「治るんですよ」という言葉についてである。

 当時からいわゆる「3分の1の法則」(註 統合失調症では「完全によくなる人が3分の1,何回もエピソードを繰り返しているけれども個々のエピソードの間は比較的回復している人が3分の1,だんだん悪くなっていく人が3分の1,これが,精神科の間で伝えられてきた経験則なのです。」(村井,2019,p.51-52))に類したことを書物で齧っていたので,多少受診が早かろうが1964年という時代に「治るんですよ」には,そんなバカなという想いだった。

 その後筆者は,精神科医のいう「治る」と患者家族の「治る」には,重大な意味の齟齬があることに気づくにいたった。

 医師のいう「治る」が,せいぜい退院して日常生活を送れるようになるという意味なのに対し,家族の側では完全に元通りになることと受け取り,治ったはずが家でゴロゴロしている患者を叱咤激励して再発させてしまう。これが兄の場合に起こったことであった。

 「統合失調症は治ります」のフレーズにひそむ陥穽については繰り返し触れ,「精神医療におけるごまかしの三位一体」でまとめて論じる。


【参考文献】

兄妹姉妹の会(編)(2006)『精神障害のきょうだいがいます』.心願社.

ワソー,M.(2010)『統合失調症と家族――当事者を支える家族のニーズと援助法』(柳沢圭子,訳).金剛出版.(Wasow, M. (2000) The skipping stone: Ripple of mental illness on the family. Science & Behavior Books, Inc.).

村井俊哉(2019)『統合失調症』.岩波書店(岩波新書).

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