ACT.3 秘密

「おじさんの基って人を調べるのが早いかもね」

 少女は事も無げにそう言った。

「基……[[rb:本物 > オリジナル]]のことかい? だけど調べるって言ってもどうするの?」

 男としては皆目見当がつかないので少女がどうするつもりなのかを尋ねた。

「んなの簡単。おじさんのデータを手がかりに調べればいいじゃん」

「俺の?」

「うん、DNAとか指紋とか。やりようはいっぱいあるよ」

 おじさんのデータはあたしが隅から隅まで知ってるしねぇと少女は悪戯っぽく[[rb:微笑 > わら]]う。

 男としてはうん、その通りだねとしか返せないが、照れ臭くなって質問を続けることにした。

「で、でもさ、それをどうやって調べるんだい?」

「おじさん、あたしが何か忘れてない?」

「え?」

「あたしはドールだよ、それもとびきり上等の! もうそんなのお茶の子さいさいだってば」

 胸を張って少女は言うが、男としては疑問を持ってしまう。

「お嬢ちゃん、もしかして不法アクセスとか言うんじゃないの、それ?」

 言葉は知っていてもそれがどういうことなのかは男は知らない。ただ、時折そんな言葉が噂話に出て来たのを思い出しただけだ、ついでにそれがあまりいい終わりを迎えなかったことも。

 それらの情報はあくまで噂であるから真偽のほどは定かではないが、ただ少女へ危害が及ぶのは途轍もなく厭だった。

「大丈夫、大丈夫。要はバレなきゃいいの!」

「そんなもん…かな?」

「そんなもんだよ」

 これだけの遣り取りで男の疑問が解消したわけではないが、あまりにもケロリと少女が言うものだから男はそれでいいと思った。どうせ自分には逆立ちしても出来ることではないし、何よりもここから先に進むためにも今ある手がかりはそのくらいしかないのだから。

「でも、お嬢ちゃんは何処でそんなの、覚えたんだい?」

 素朴な疑問だ。少女のいた場所は歓楽街だからハッキング、クラッキングとはあまり縁がない場所のはずだ。無論、裏取引はあるだろうが、不特定多数の人間を相手する生業のドールがそれに関わるとは考えにくい。

「パレスのね、役人ってヤツも客でいたことあるんだ。そいつの趣味がクラッキングでいろいろ教えてくれたよ。バレない方法とかいろいろ」

 それは少女の口から初めて語られる他人の話だったから、男は内心何故だか穏やかでなかった。

「そいつは……まだいるの?」

「どーだろ。割といいとこのヤツだったからいるんじゃないかな。捕まるヘマはしなさそうだったし」

 割合に気に入っていたのだろうか、いつになく少女が客について語っていた。珍しく気の合う客であったし、他の客のように野暮なことはしなかったからだろう。

「ずっと来ていたの?」

「うん、一ヶ月かそのくらい? 最後の日にはすごく馬鹿でかい造花の花束をくれたよ。あんま一つのところでは長居しないんだって。珍しくあたしには割と長く会いに来てくれたみたいだったもん。いざというときのために何処にも足跡を残さないようにしてるって言ってたからね」

「…随分、用意周到なヤツだね。役人なのにそんなこと教えて」

「うん、そうだよね。でも、馬鹿正直に役人やっててもお金なんて儲からないからいいって言ってたよ。人は人なりに大変だよね」

「へぇ…」

 感心しながらも何処か面白くないと男は感じていた。決して彼女に対してではなく、見たこともない相手に対して、である。

 少女が話すのは別に他愛ない思い出話であってその意図するところはどうやって知識を得たのかという経緯についてに過ぎない。深い意味なんて無いことは分かっていたのだが、何処か面白くなくて胸の中がどんどんムカつくのが増していく。

「おじさん?」

 少女が訝しげに尋ねてきたので、男は思った以上に自分が酷い顔をしているらしいことにようやく気が付いた。

 どういうことにしろ少女にそんな態度を取っている自分がとてもいやらしく感じてしまい、男としては

「……もしかしておじさんってば妬いてくれたの?」

 その声は男がいつも聞いている少女の声よりも一段トーンが高く、そしてかなり明るいものだった。

 聞いたことがない声の調子に思わず驚いて男が振り返ると少女は陽光を浴びた花のように輝いて微笑って男を見つめていた。

「そっか、おじさんってば妬いてくれたんだぁ」

 少女はくるくるっと回って男の周りで楽しそうに踊り出した。見ているだけでもどれほどに彼女が喜びに満ちているのか[[rb:理解 > わか]]るほどに素敵なものだった。

「お嬢ちゃん……?」

 男にはどうして少女がそんな態度に出たのか[[rb:理解 > わか]]らなくて無粋だと知りつつも問いかけてみた。

「うふふ、そんなに好きでいてくれたんだね」

 少女は嬉しいのだろう、勢いに任せて男に飛びついてその頬に自分の頬を思い切り擦り寄せた。

「あはは、おじさんの顔ってば髭が痛~いっ!!」

 もとからさほど手入れなどしていないが、旅に出てからは放っておいてるから無精ひげが伸びまくっている。そんな顔に頬擦りをすれば当然痛いだろう。

 それでもちっとも止めようとしないで、少女は更に強く頬を擦り寄せてその感触を味わって男の存在を確かめる。

 暖かくて優しい[[rb:男 > ひと]]。

 だから何でもしてあげたいと少女は思う。この優しい男のために。

「おじさん、好きだよ」

 少女は真っ直ぐ男を見つめてそう告白する。口にするのは簡単だけれど、難しい。でも言わないといけないのだと思うから。

 男は少女への答えの代わりに彼女を強く抱いて、ゆっくりと口づける。そしてそのまま深く彼女を求めた。それは男からの初めてのアプローチとも言えるほど情熱に満ちた口づけだった。

 少女はその答えがとても嬉しくて力一杯抱き締める。

 そうして二人はお互いを求めるままに求め合い、夜は更けていった……


‡ ‡ ‡


 男から求めるのは初めてに近い。いつでも少女が積極的だからと言うのもあるが、男がその手のことに今ひとつ疎いというのもあって彼の方から抱くというのはなかった。

 少女が男を求めて、そのままというパターンが常であったから。

 しかし男は自分がどれほど少女を求めているかをついさっき自覚した。知りもしないどころか会ったこともない男に嫉妬するなんて!

 自分にびっくりするばかりだった。

 けれどそれは少女には嬉しいことでしかない。

 何しろ、嫉妬心を持ってくれるということは、自分に対して独占欲もある証だから。

 つまりそれは自分を愛してくれている!

 作り[[rb:物 > イミテーション]]ではなく、[[rb:本物 > オリジナル]]として自分を想ってくれるものなどいなかった。

 だから少女にとって男が何であろうと構わない。[[rb:複製人間 > コピー]]だから何だというのだろう? 彼女にとって本物は紛れもなく今自分の目の前にいる彼だ。

 少女や男にとっては街が決めている[[rb:法律 > ルール]]自体が無意味なのだ。

 二人でいる限り。

 だから思うがままに求めて欲しいと少女は思う。すごくすごく気持ちいいから。

 これほどいい人なんていない。

 あたし、この人が好きだもの。ううん、愛してるんだ。

 逢った年月なんて知らない。今までより今がいい!

 男が嫉妬を感じてくれたことが嬉しくて仕方がない。

 あたし、ドールなのに、おじさんにとってはドールじゃないんだ!!

 だから少女はいつだって喜びに満ちあふれて男に身を任すのだ。そこに本物を感じるからこそ。

 男はいつも少し緊張気味に震えながら、それでも不器用な愛撫を少女への愛を込めて丁寧に丁寧に続ける。

 乱暴になんてとんでもない。そんなことをする奴がいたら許さない。

 求めて、求める余りに強く激しくはなっても少女への敬愛を忘れたりはしない。

 愛しくて堪らない、何物にも代え難い存在なのだから。

 恐らく彼はその手のことはうまくはないだろう。彼女を抱いてきた連中には劣るかもしれないが、愛の強さ、深さは勝ると思う。

 それを少しでも表せるように男は少女への入るとき、必ず抱き締めてその頬に口づけする。

 初めて少女を抱いた日から変わらない男の癖であるが、少女にとってはくすぐったくて、そしてとても大好きな仕草だった。

 どれだけ愛してくれているか伝え続けてくれる男は少女にかけがえのない存在であり、今まで出会ってきたどんな人間より人間らしい。

 自分にも人にも敵にも、そうどんな相手でも感情を素のままにぶつけ、それ故に激しくそれ故に傷ついてしまうのに決して不器用な生き方を変えない。不器用だけど、だからって否定したり卑下したりしない。

 ただあるがままに受け入れる、でも流されたりはしない、これは彼の持つ強さだと少女は思う。

「おじさん、好きだよ」

 もう一度そう言う。やはり軽い口調で言うけれど、そこには少女のありったけの想いが籠もっている。何処までも真っ直ぐで純真な想いが。

 男と少女は野良猫がじゃれ合うように口づければお互いに貪欲に求め、無邪気に貪り合う。

 お互いしか見えないから、彼と彼女にはこのときこそが本物。何が作り物であるかなど二人には本当はどうでも良いことで、ただ相手を知りたいからこその抱擁なのだ。

 男は少女の唇、首筋、鎖骨、胸、臍へと必ず上から下へと向かうのが常であった。少女の顔を見ていないと不安になるのもあるようで、決して後ろからは抱かない。

 少女は男の背中に爪を立てるのがとても好きで、必ずその背に残る傷を負わせるのが癖だった。それがまるで絆の証とでも言うようにはっきりとしたものだから当然男は痛いはずなのだが、その痛みすら喜びらしくとても嬉しそうに微笑むのだ。

 その笑顔は少女を魅了し、興奮させてくれるから男のために何でもしてあげるのだ。

 長い長い口づけの後、少女は自分から積極的に男の上に跨っては彼のものをしっかりと自分の中に入れて銜え込み、激しく男を責め出す。

 そうなればもう男は翻弄されてしまい、必死に少女がもたらす快楽に堪え続けるだけだ。

 それは男にとっては我慢すればするだけ待っている快感を得るためのある意味では至福の時間だった。

 彼女と繋がれっていられる素敵な瞬間なのだ。

 だからこそ男は彼女の腰を抱き、己は快感のためにというよりも男にとっては彼女をもっと深く知りたいからこそ激しく突き上げる。

 少女の幼げな薄い胸を強く揉みし抱き、指先でその先を弾き、むしゃぶりつく。

 少女は男からの如何なる好意も気持ち良さげに瞳を潤ませ、その口から涎を止めどなく溢れ出させながら酔いしれる。

 男の抱擁ほど彼女を高みに上らせるものはいない。

 こんなにも抱き合うのが気持ちいいなんて誰も教えてくれなかったと少女は思う存分に男が与えてくれる快感に身を浸らせながら嬌声を上げ続ける。

 どんな風に喘げばいいかとかどんな風に感じる振りをすればいいのか、そんな態とらしい演技などいらないことが少女には何よりも嬉しかった。

 どちらもお互いに与え合うものでお互いの結びつきを強くしていくようにくたびれ果てるまで相手を求め、そうしてやがて二人で暖かい[[rb:微睡 > まどろ]]みに落ちていった。


‡ ‡ ‡


 心地よい眠りから男が目を覚ますと少女の方が先に目覚めていたようで何かしているのが見えた。

 随分真剣な顔をして何やら睨めっこしているらしい。

 いったい相手は何だろう?

 男としてはどうにも気になる。

 此処にはいない誰かと話しているのだろうか? それとも独り言なのだろうか。

 悶々としていてもはじまらないので意を決して少女に声をかけることにした。邪魔してはとは思うのだが、気になるのを止めることが出来ない。それは男が少女を独占したいという現れなのだろうが、彼は自分のそんな思いが不思議だった。前ならばきっと声すらかけられなかったろうに。

「ねえ、お嬢ちゃん、何をしてるの?」

 疑問のままに尋ねると少女はあっと振り返って微笑み、直ぐさま男へと飛びついた。

「おじさん! やっと起きたぁ!」

「そんなに寝ちゃってたかい?」

 少女の様子に男はしまったと思った。自分はきっと大分寝坊したのだろう、それなのに少女は起こさないでいてくれたのだ。有り難いやら申し訳ないやらで頭を下げると、少女はやだなあと[[rb:微笑 > わら]]った。

「ううん、違うから。ホントはね、あたしが早く起き過ぎただけだよ」

 ドールである少女は人間で言う眠りはないが、休み無くフルで稼働していれば当たり前だがオーバーワークするので眠りに該当する[[rb:休息 > レスト]]がある。この[[rb:休息 > レスト]]の間に起動していた時間内に得られたデータを整理し、蓄積していく。[[rb:休息 > レスト]]は機能停止とは違うので、その間に彼女らが見るものたちが人で言うところの夢に該当するだろう。

 少女はよく男に夢を話し、男もその話を聞くのがとても楽しみである。男は反対にあまり夢を見ないので余計になのかもしれない。

 睡眠時間も男に比べれば少なくてもいい少女はそれでも男のバイオリズムに合わせてくれているのか、いつも男よりも少し早めに目を覚ましている。彼女に言わせるとそれが嬉しくて幸せなことらしい。

 実際、男がふと目を覚ました際に寝息すら感じる自然な姿で傍にいる。男の知る限り誰よりも人間らしさが彼女にはあって、それが彼を惜しみなく包んでくれるのが。

 少女が嬉しそうに男の頬に擦り寄ると、数本のコードが絡んでくる。

「どうしたの? これ?」

 一本を手に取りながら男が尋ねると、よくぞ聞いてくれましたとばかりに少女が[[rb:捲 > まく]]し立てる。

「へへー、おじさんのために頑張っちゃったよ。褒めて褒めて!」

 少女は男に撫で撫でして貰うべく自分の頭の上に男の手を載せた。男はそのまま良い子良い子とばかりに撫でながら、心配げに少女の顔を覗き見た。

「うん、有り難う、でもね、頑張ってくれたのは嬉しいんだけど、無理してない?」

「大丈夫だよ、こんなの朝飯前だもん」

 少女はコードを引っ張り、何と格闘していたのかを見せた。[[rb:携帯専用小型端末 > ポータブル・ターミナル]]ではあるが、持ち歩くには重量があるから車搭載専用型らしい。

 見かけよりも力持ちな少女が外して持ってきたのだろう。

 言ってくれれば俺がやるのになと男は思ったが、少女がそんなことでいちいち自分を起こしたりしないことを誰よりも知っていた。

 でもそんなものを何処からと考えたが、すぐに少女から答えが返ってくる。

「これさ、あの[[rb:狩人 > ハンター]]が持ってたやつなんだけど、使えないかなって思って」

 そう言えば狩人はどうやら車で来ていたらしく、それなりに装備の整ったままのものを後で二人で見つけたのだった。

 考えなくても男と少女のいる場所は辺境だからそれなりの装備が無くては生き延びてはいけない、こと狩人ともなれば基本的に他者からの支援は当てには出来ないから余計にだ。

 男としては追跡を恐れて破壊してしまおうと言ったのだが、少女は便利だからそのままにしようと提案したのだ。確かにこのままこの場所にいても不毛だし、何処か遠く行くなら足がある方が良い。それにまた誰か追ってくるなら同じことなのだ。

 とっくに持ち主はもういないから文句を言うヤツもいないのだから尚更に好都合である。

「んでね、試しに繋いでみたら結構良いところまで行けるのが分かったんだ」

 少女が試したのはまず簡単なネットワーク介入、次いで情報収集できるレベルの確認、最後に少女が知っている偽装パターンでネットワークを騙して情報を引き出せるか否か。

 結論としては程良いくらいいい加減なネットワークシステムであったがために少女が考えていた以上に容易に情報を引き出すことが出来た。

 これはおそらく[[rb:狩人 > ハンター]]という特殊な職業のネットワークだからだろう。他のネットワークのように公のものではないし、外へと開かれてもいない。しかし逆に入り込めてしまえばこれほど楽な侵入もない。外からの接触には敏感でも内部のものには甘い、これがこのシステムの最大の特徴だ。

 明らかに独自のネットワークであるが、狩人たちにとっては所詮これらは自分たちに有利に動くための補助でしかないから詳細なログなど残されないからそう簡単に特定はされない。

 彼らは同業者に抜け駆けされるのを何より恐れるからだ。

 故に少女が多少荒っぽく繋いでもすぐにそれが何であるかを判断は出来ない仕組みらしい。

「凄いね、そんなこと出来るんだ」

 男が素直に感心して少女を褒めると、

「へへーっ」

 自慢げに笑う顔がとても可愛い。

「こいつらのこと、ちゃんとあたしの言うこと聞いておじさんが壊さなかったからね」

「ごめんね、単純で」

 半分反省、半分拗ねながら男はそう言った。

「謝んなくていいよ、だっておじさん、あたしを助けてくれたんだから」

 それにと少女は照れくさそうに続ける。

「格好良かったし」

 少女からの言葉は男にとってもかなり照れくさいもので、でも彼女の素朴な賛辞が心から嬉しかった。

 何となくそのまま二人で[[rb:微笑 > わら]]い合ってから、こほんと少女が咳払いをした。

「ではあたしが見つけ出したデータをご覧くださいな」

 すました顔をしてまるで舞台で挨拶するかのようにお辞儀を一回、それは彼女がいつも踊り始める際の決められた仕草であったが、今は踊らない。代わりに踊るのは幾重もの光たち、やがてそれらは文字に転じていった。

 データを少女は自分を媒介してその周り走らせて空中へ投影し、男にも見えるようにしてやっているのだ。

 それはとても綺麗な光景だった。緑色の光が飛び交い、その中心には少女が輝く。鮮やかで艶やかで幻想にたゆとう儚い妖精のよう。

 ああ、なんて素敵だろう。

 男は少女の作り出した光景に見とれるばかりで、本来の目的を忘れてしまっていた。少女は男が何も言わないので見えていないのかもしれないと思い、尋ねる。

「おじさん? これでおじさんも見られるよね?」

「う、うん、有り難う。とてもよく見えるよ!」

 そう、今は見とれるための時間ではなかったと男は思い、慌てて少女が作り出してくれたデータに目を走らせた。

 幸い男はとりあえず最低限の字は読むことが出来たので理解る限りにそれを辿々しく読み取っていく。

 名前はヴェレン=オルスタン。軍人、都市国家主席、将軍……

 この男の持っている肩書きはものすごい数で、到底その全部を男が理解するにはどうにも難しかった。読めたとしてもそれがどういうものなのかが[[rb:理解 > わか]]らないのだ。

「んー、あの場か男の言うとおり、おじさんの基の人ってまだ生きてるねぇ」

「お嬢ちゃん、これ[[rb:全部理解 > わか]]る?」

 肩書きたちを指し示して、男が尋ねると少女は難しい顔をする。

「ある程度は、かなぁ。でも細かいのは分からないよ。何しろ、あたしの知識は商売柄、偏ってるから」

 少女の持つ知識は確かにそうだった。男がびっくりするくらいに物知りかと思えば、男が知っていることでも知らないことがあったりもする。

 恐らく店側がドールにとって客と話すのに必要な情報を与えていくうちにそうなってしまうのだろう。

「うん、でも俺よりは遙かに識ってると思うよ」

「んー、そりゃ、この人が結構エラい人くらいは[[rb:理解 > わか]]るけど」

「そうみたいだね」

 いわゆる経歴というヤツが馬鹿みたいに長いから何かしら功績があるのだろう。その功績とやらが何なのかは知らないが。

「あ、そいつの写真出せるよ」

「見せてくれる?」

 少女が[[rb:立体映像 > ホログラフィー]]として見せてくれたのは当たり前ではあるが、男と不気味なまでに似ている男だった。ただ男よりも精悍な顔立ちで厳しい眼をしているのが特徴で、軍人といわれればなるほどと思う。自分の基とはいえ、何処がぞっとしない。

「割にいい男だね、うん」

 少女が興味深そうに見つめて、そう言った。男としては自分よりもああいう方がいいのだろうかと喉まで出かけて止めた。

 仮にも基なのだから少女が魅かれても止められないではないか。

 そう思うと少女との距離が酷く遠いものに思え、寂しさと切なさと苦しさが男を容赦なく苛む。

 最初から自分の基など探さなければ好かったんだとすら嘆いたとき、彼女の声が明るく聞こえてきた。

「でも、でも……やっぱりおじさんの方がいい男だなぁ」

 少女はしみじみそう言うと、男の方を見遣る。

「おじさんでよかった!」

 破顔して少女は[[rb:微笑 > わら]]う、それは嘘偽りなどない明るい笑顔。

「お嬢ちゃん……」

「おじさんの基の人間がいるのがね、七都市の一つだ、えーと……」

 突然、ビープ音が鳴り出し、それはどう考えても明らかに異常を知らせる音だった。

「うーん、残念! コイツの端末だととりあえず此処までみたい」

「どうしたの? 何の音?」

「警戒音だよ、何かヤバそうになったら鳴るようにしておいたの。向こうのトラップにかかりそうになっただけ」

「トラップ?」

「うん、狩人って多分あんまりこいつらを使わないんだろうね、ある程度の時間を過ぎて繋ぎっぱなしだと本当に登録したヤツかどうか確認に来る仕掛けみたいだ」

「大丈夫かい?」

「全然平気。パターン照合は一番誤魔化しやすいから。まったくもう! もっといい環境だったらもっと深くいけるのに。これだとバレちゃうから駄目だ。やるとしたら間を少し開けないと」

 ちょっと不機嫌にそう言う。自分の能力はこんなモンじゃないんだよと少女の瞳が如実に語っていて、男としてはその仕草がとても愛らしくて溜まらなかった。

 分かったことは少ないが、少なくとも誰の[[rb:複製人間 > コピー]]であるのがはっきりしたのはいい成果だ。

「ねえ、おじさんってさ、どこから来たのか覚えてるの?」

 綺麗にアクセス跡を消してから少女は尋ねる。

「ん? はっきりとは覚えてないけど、ぼんやりとはね」

「どんなとこ?」

「暗い部屋だったな、いつも寝てたような気がする。定期的に誰かに起こされたかなとも思うけど」

「おじさんの他にもいたの?」

「うん、そうだろうと思う。今更だけど」

 暗い部屋で行われたことはよく覚えてはいないが、自分は恐らく恵まれた方だったのだと思う。

「おじさんはどうしてそこから出たの?」

「何でだろうな? 起きて……何故かそこにいてはいけない気がしたんだ」

「へぇ、それでパレスに?」

「うん、きっとね。何しろどうやってきたのかは全然覚えてないし、いつの間にかあの街に住んでいたから」

「ふぅん、おじさんってば謎がいっぱいだね」

「そうかな?」

「うん、面白いや。それに素敵」

「とりあえずこの先はどうしようかな?」

「んーとね、おじさんが追われてるかどうか調べてないからそれを確認してからの方が良いかも。あたしはあんな変なのしか来ないだろうけど、あたしも念のため。あの女将がもっと吹っ掛けて賞金かけてるかもしれないから」

 むぅと腕を組んで少女は言う。あのババァならやると断言しながらも何処か面白くない風である。

「不満なんだね?」

「だってもう少しさあマシな追っ手でも良いんじゃない?」

「マシも何も俺としては二人で静かに暮らしたいなぁ」

「あたしだってそうだけどさ」

 少女はそんなことが出来たらいいなあと思っていた。きっと楽しい。絵本で見たような生活が出来るのかな。

 少女が逃亡の祭にも忘れないで持っているたった一つの宝物がある。

 少女の客が気紛れでくれた贈り物だったのだが、彼女はいたくそれが気に入ってしまい、暇さえあれば見ていたほどだ。

 話は他愛もないものだが、男は笑いもしないで一緒に感動してくれたのだ。

 そんな絵本のような暮らしをしたい。

 だから……。

「そのためにもちゃんと対策しておかないと」

「そんなに俺の基は面倒くさいってこと?」

「うん、そんなに見れたワケじゃないけど。だから先手必勝しておいた方が良いよ、絶対っ!!」

 先手必勝する……?

 少し悩みつつ、どう考えても微妙に間違った言い回しをしているが、男は少女の言いたいことは[[rb:理解 > わか]]るし、結局のところそれでいいと訂正もせずにおく。

 何となくそれで合ってるようなが気がしたからだ。

「それはその通りだね。でも追われてるかもって思うのは?」

「んとね、[[rb:複製人間 > コピー]]ってのは大概本物が死ぬから作るものらしいんだ。もしくは影武者、とか何とかいうヤツ?」

「うん」

「んでね、おじさんの場合、逃げてきたわけだから基の人間が困ったりすると」

「ああ、なるほど」

 男はそこまで言われてようやくことの重大さに気が付いた。男の場合、[[rb:複製人間 > コピー]]であるだけで抹消される理由があるのだ。使い道がないから花火によってあそこはなくなってしまった。つまり自分は相手側には存在してはいけないイレギュラーの存在としてあるのだ。

 幸い今回の狩人はもういない。だから男のことを吹聴するものは今はいない。

 だけれど、今後は分からないのだ。

 誰がどこから来るのか[[rb:理解 > わか]]らない。

 少女の方にだって敵がいる。男の知らない女将という存在が何処まで彼女を追うかなど知り得ないことであり、どうしたらそれから少女を解き放てるのか。

 どちらもまだ何も見えない、見えないけれど、それでも二人で歩いていく道は怖くはない。

 少女がいつの間にかデータを地図に変えて、現在位置とそこから行ける範囲の街々の位置を確認していた。町は結構点在しているが少女はどうやら大きい街を捜しているらしく、情報検索に余念がない。

 地図は分かるが、記号の意味が分からない男は静かに、それでも自分なりに地図と睨めっこをしながら少女が口を開くのを待った。

「とりあえず此処へ行こうよ。この町からなら何処でも行けるし、結構いい情報も手に入るかも」

 少女が指し示した地図を見ると、成る程此処から車ならさほど遠くない町だ。

「うん、此処なら結構揃ってるから今よりは何か[[rb:理解 > わか]]るよ、絶対」

 妙に確信する少女に急かされるように男は車へ乗ってみる。意識もせずに運転席へ、少女は驚いた様子で男の顔を覗いた。

「そういえば……」

「なんだい? お嬢ちゃん」

 有り難いことにこの車は完全電子制御の[[rb:自動 > オート]]ではなく、どんな外で使えるように[[rb:手動 > マニュアル]]で動かすタイプであったので、男としては動かすにはワケないものだ。

「おじさん、それって運転できるの? [[rb:自動 > オート]]じゃないよ? あたし、[[rb:自動 > オート]]のなら分かるけど」

「あ? ん……たぶん。俺はたぶん[[rb:自動 > オート]]だと分からないな」

 そう言いながらも動かすために手が勝手に手順を踏んでいく。しかし少女の言葉でやっと男はどうやら自分が運転というものを知っているらしいことに初めて気が付かされた。

 考えてみればパレスでは自動だろうが手動だろうが一度も車には乗ったことがないのだが、今此処にある車に対して何の途惑いもない。

「やっぱりおじさんってば凄いね!!」

 感激する少女に分からないように戸惑いつつ、それでも少し誇らしげに微笑み返して男はキーを回した。どうにも楽を決め込んでいたせいか、狩人は装備だけでなくキーもそのまま車に残してあったらしい。

 少女をそこまで軽く考えるヤツだったと改めて怒りを覚えるが、もう既にいないヤツに憤っても意味はない。

「行くよ」

 小気味よいエンジン音が鳴り響く。

 エネルギーはたっぷりあるから目的の街まで辿り着くには問題なさそうだ。

「Let's Go!」

 少女が楽しげに行くべき方向を指し示すと、男はアクセルを踏んで走り出した。

[newpage]

[chapter:エピローグ]

 小さな壊れかけた一枚のデータボックス。今ではそんなものを持っていることすら珍しい代物で、骨董品というにも保存状態は良くないので価値は殆どないだろう。

 それでも少女にとっては何よりも素晴らしい宝物だった。

 はじめは男にも言えなかったが、旅の中で男は少女の宝物に素直に素敵で羨ましいと言ってくれた。

 少女が大切にしているのは童話の詰まったデータボックスで、それだけはあの場所から飛び出したときに持ち出した。

 これは、これだけは、あたしのものだから。何一つ自分のものなどなかったけれど、この[[rb:記憶 > メモリー]]だけは嘘偽りのない本物。

 生まれたばかりの時に作り主がくれたことだけを覚えている。でもどうして捨てられたのかは覚えてない。

 このデータボックスだけは少女とずっと一緒にいてくれる。

 今は一緒に見てくれる人もいる。

 男はすべてを話しても少女の話を決して[[rb:嘲笑 > わら]]わなかった。それどころか思い出がそこにあるんだねと人懐こい笑顔をしながら少女の頭を撫でてくれた。

 ああ、きっと自分はこの人を待っていたのだと少女は思う。

 だから何処までも一緒に行く。

 おじさんが何者でもいいよ。あたしが何者でもいいよ。

 これからずっと一緒にいるのに理由なんていらない。

「おじさん、いい男だよね」

 そう少女が言うと、男はいつものように照れくさそうに有り難うと御礼を述べた。

 少女はそんな男の素朴さがとても好きだった。あるがままに受け入れてくれるのがとても嬉しい。

「そ、そうかな、俺はお嬢ちゃんは世界一可愛くて素敵だと思うよ」

 男は物凄く口下手なのに時折とびきりの褒めことばを言ってくれる。飾り気のない、でも本当に彼自身で思っていることだけを言葉にしてくれるのだ。

 少女は男の発する声も言葉も、いや何もかもが好きだった。

 暖かくて。

 優しくて。

 側にいるだけで安心できる。

 そんな人は今までいなかったから、少女はとても幸せだった。

 ずっとずっと護りたい。

 ずっとずっと一緒にいようね。

 少女は宝物を決して[[rb:嘲笑 > わら]]わないでくれた男にたまらない愛しさを感じていた。データボックスのお話がまるで実現したように、いやすくなくとも少女にとっては実現したのだから。


 お姫様と王子様は幸せに暮らしました。めでたしめでたし。


 自分たちだってきっとそうなるんだと少女は願い、そして信じた。


‡     ‡      ‡


「あのね、おじさん、あたしの宝物を見せてあげる」

 ある日、そう少女は言った。大分悩んだらしく、少し緊張しているようだ。

「宝物なんて凄いもの持ってるんだね」

 男は自分には全くないだろうものを少女が持っていてくれて、それが本当に嬉しくてたまらなかった。しかもそれを自分に教えてくれるなんて!

「見せてくれて有り難う」

 男は御礼を言うと少女は花のように微笑って、宝物を見せてくれた。それは少女の夢そのもので、数多の話が書き込まれてたデータボックスだった。見ただけで古いものではあったが、大事にされていたようでとても綺麗だった。

 いわゆる子供に聞かせる[[rb:御伽噺 > おとぎばなし]]だと少女は言う。

 男の生きてきた時間には御伽噺などには当然というか、まったく無縁だったからどの話も珍しく、そしてまた楽しいものだった。同時にどれだけ少女がそれを支えにしていたのかも理解した。

 誰もいない部屋で一人だけで楽しむ時間は恐らく彼女にはかけがえのないものだっただろう。最初は誰かに見せようとしたこともあるようだったが、ドールがそんなものを持って何になると危うく処分されそうになったことがあるらしい。

 なんて馬鹿馬鹿しいことだろう。少女は小さな夢を見ていただけなのに誰もそれを理解しようとしなかったのだ。

 男は憤り、同時に少女の健気さを知る。宝物を護るために彼女は頑張ってきたのだ。

 少女の何もかもが眩しく、愛おしい。自分にすら執着がなかった男に生きることを思い出させてくれた少女。

 だから護ってあげたいと心から思う。

 そのために何が出来るのかはまだ正直分かってはいない。

 それでも少女の笑顔があれば何でも出来る。

 自分が何であろうとも二人で描いた夢が叶うならそれでいい。

 あれほど世界は灰色だったけれど、今はなんて輝いているのだろう。


 ずっとずっと二人で。

 この先も、これからも。

 二人で歩いていく。

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Green Angel 飛牙マサラ @masara_higa

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