ACT.2 逃亡者
「おじさん」
「なんだい? お嬢ちゃん」
「今日はあそこまで行こう」
少女はそう言い、男はそう言った。
二人は逃亡者だった。でも何からも逃げてはいなかったおかしな逃亡者であった。
呼び合う呼称も妙で、名前は呼ばないままだ。
別にお互いの名前は知っている。けれど呼ぶときは互いに『おじさん』『お嬢ちゃん』といつの間にかなっていたに過ぎず、何故だか二人ともそれが一番しっくりきたのだ。
別に追われている危機感だの、別に隠し名前があるだのではなく、単純にそう呼ぶ方が何となくいい感じで好きだった。
この二人には逃亡に関する深い理由は一切ない。少なくとも本人たちはそう思っている。
逃亡者とは言ったが、二人とも逃げる理由はない。いや、ないわけではないのだが、それに追われるような風では決してない。
ちぐはぐで、それでいてお似合いのカップルが今日も宛のない旅を続けていた。
ことの始まりは快楽の街、パレスで一人の少女と一人の男が出逢ったことからだ。出逢いの瞬間は何処にでもあるような良くあるものではあるが、二人にとっては至極大事な思い出になっている。
二人が出逢って幾日過ぎたのか、街を出ているから日付はよく分からない。着の身着のまま出てきて今に至るから計画性などは皆無だった。
けれど楽しくて仕方ない。
ただ無目的に適当な集落に辿り着いて一晩の宿を求めたり、野宿したりとその日の気分で動いているだけだ。
パレスは快楽のためだけにある街でそう言う意味では良くできた街だった。けれど欲望以外に関しては全く受け付けないような寂しい街でもあった。
男はいつからそこにいたのか思い出せないし、今更思い出したいとも思っていない。ただ、いつも浮いている存在だと言うことだけは知っていた。
だから少女との出逢いは彼にとっては青天の[[rb:霹靂 > へきれき]]、すべてを根底からひっくり返してしまうほど強烈なものだった。
一方の少女もただ快楽に溺れるだけの男たちよりも純粋に自分を見てくれた男の存在が嬉しかった。
二人の共通点は――人ではない、ことだった。
少女は[[rb:快楽人形 > セクサドール]]としてこの世に生まれ、男は何者かが作り出した[[rb:違法複製人間 > イリーガル・コピー]]だった。
[[rb:本来主人 > マスター]]を持つべきドールである少女が何故一人でいたのか、それは彼女らしい理由であった。
「だってがっつくばっかりで下手な上に乱暴でおまけに自分だけが楽しみたい男ばっかだったの。これって狡いよね」
頬を脹らませて少女は怒る。よほど腹に据えかねる相手がいたのだろう、それも複数人。
「パレスなら何処にでもある歓楽街のさ、一角にあるデカい店だよ。おじさんでも知ってるかもしれないね。客は多かったけど、金は持っているけどテクなしのロクデナシばっかだったよ」
思い出すだけでもいやなのか、少女は途轍もなく顔を[[rb:顰 > しか]]めている。
「でもね、本当のロクデナシは女将って呼ばれてたヤツ。金のことしか頭にないし、そのくせあたしと同じドールくせして偉そうに命令してくるんだよ」
少女はいろいろな男と躰を合わせるのが嫌だったわけでもないし、それが役目ならそれでも良かった。
けれど同じドールだというのに個を認めようとしない女将にはどうしても馴染めなかったし、数をこなせばいいだけのやり方も嫌だった。
少女はどうせなら常に楽しんでいたいという、かなり求めていることはかなりシンプルなことだったが、それが叶えられることはなかった。
「だから外へ出たの、そしたらおじさんに出逢えたの。ラッキーだよね!」
そう少女は華やかに[[rb:微笑 > わら]]った。
彼女が過去について話してきたので今度は自分の番だと律儀な男は思い、照れくさそうに語り出した。
男がこの世で初めて聞いた言葉は「失敗作」という宣告だった。男にその意味は分からず目前で顔を顰めている連中になんと言えばよいのか戸惑うばかりだった。
そうして男はそのまま散々理由の分からない実験というものを全身に受けながらやはり自分は何なんだろうと考え続けていた。
誰も答えてはくれないし、必要もないと彼らは言っていた。
男はやがてすべてに諦め、ただ従順であり続けた。そうすれば生きていられると何故か彼は知っていた。
似たような者たちが狭い部屋にたくさんいたが、大部分はすぐ消えていき残りもやがてはいなくなっていった。
男は自分はどうしてここにいるのだろうと思うが、その狭い世界がすべてだからそれ以上は思考できないままだった。
ある日、男は捨てられた。
何の予告もなく、道端に落ちているゴミのようにたくさんの仲間と一緒に。ぼんやりとしながら彼が周囲を見回すと動いているのはどうやら自分だけのようだった。
何が起きたのかは分からないまま、ただここにいてはいけないとだけ思い立ち彼はそこから出て行った。
すぐその後に轟音が響いて大きな綺麗な炎が見えたことだけを彼は覚えている。
そこからどうやってパレスに辿り着いたのか覚えていないが、やはり白い部屋にいたと思う。おそらくは病院で、そこへ役人がやってきて彼を住民登録をしたのだ。その際に自分が[[rb:複製人間 > コピー]]だと知らされたのだ。
元の人間は別の街に住んでいるとかで彼自身が抹消されることはなかったが、人間であればもてただろう資格は手に入らなかった。
最下級の労働層に入れられ、そこで死なない程度の稼ぎを手に入れることは許されたが、何かを知ることは禁じられた。
温情と言えば聞こえは良いが、体よく買われていたのだろう。もっともそれが何の意味があるのかは理解らないし、あの街にいるときは知ろうとも思わなかった。
男はあの街では空気のようにいることはいるが、空気のように必要とされたわけではない。
それがいいことなのか悪いことなのか男には分からないが、少なくとも例の狭い部屋の中よりは労働の方がずっといいと思っていた。自分で動けるのが素晴らしかったからだ。
けれど街に融け込むと言うことだけは出来ずに、いや彼は彼なりには努力したのだが、彼も街もお互いを受け入れることは最後までないまま終わっただけだ。
それも今となってはどうでもいいことだったが、少女には言うべきだと考えて彼なりに一生懸命言葉を紡いで語った。
少女は終わるまでじっと男を見つめて、終わるとそっと抱きしめることで男に応えた。これからはあたしがいるよと。
男も抱き締め返しながら、あの街に行き着いたのはこの温もりに合うためだったのだと少女に頬擦りしながら話を終えた。
「うんうん、おじさんはあたしに逢うために生きてくれたんだね」
少女はそう[[rb:微笑 > わら]]った。その笑顔が嬉しくて、いや少女の存在が男は泣いて泣きまくったのだ。悲しみの涙も知らない男が流す初めての涙だった。感情というものの意味を初めて知れた
「おじさん、おじさん、泣かないで」
男が止めどなくあふれさせている涙を自分の舌で優しく舐め取ってやりながら、少女は幼子を宥めるように抱きしめてやる。
男はその温もりにひどく安心して素直に躰を預けていく。
ああ、なんて暖かいんだろう。
「おじさんはホント暖かくていいね。あたし、こんなに抱きしめたいと思う人、いないよ」
ああ、少女が自分と同じことを感じ思うのはどうしてなのだろう。別にそうしようなんて意志はないのにどちらもまるで予め用意されたようになることがあるのだ。
けれどそれは不快なものではなく、寧ろ喜びだった。
「お嬢ちゃんもとても暖かいよ」
男は思うだけではなく頑張ってそれを口にするように努力していた。独りだけならいらなかった努力だが、今は必要不可欠なものだ。
分かり合いたい。
そう強く願うから。
そのまま二人はじゃれ合って無邪気に抱き合いはじめる。本当にまるで子猫がじゃれるような他愛ないものから、執拗にお互いの躰を舐め合い出せばどうにも止まらない衝動へと変化していく。
街から出て以来、二人は躰を合わせていなかった。
少しでも触れたらもう止まらないとばかりに最初に耐えかねたのは少女だった。
「ねえ、おじさん! 今日は野宿だから思いっ切りやろうよ」
少女は返事など待たずに無邪気に服を脱ぎ捨て、男の服をもいそいそと取り払ってしまう。
「ああ、なんだぁ、おじさんももうこんなになってるんじゃない」
仕方ないなぁと言いながら少女は男のモノを喜び勇んで銜えていけば、その巧みなテクニックの前に男はたちまち陥落するしかない。
快楽に身を任せ、少女に責められるままに声を出し続ける。
決して男から求めないわけではない。寧ろいつも求めているのだが、彼は不器用の上に経験が浅かったから上手くリードは出来ない。
逆に少女の場合、有り余るテクニックと豊富すぎる経験がある。
そうなれば双方の立場は自ずと決まるもので主導権はいつも少女が握っていたが、男には不満などあろうはずもない。それよりもそんな風に自分を求めてくれていることの方が遙かに重大で大切なことだった。
少女にしても男を飲み干したいという欲求は止まることを知らず、より増す一方で自分の知る限りのテクを男に与え続けていた。
切ないくらいに相手を大切に思い、求め合う二人の行為はどこか儚げでまるで出来ては壊れてしまうしゃぼん玉のようだった。
だから求め合うのか。
だから抱き合うのか。
否。
なればこそ求め、抱き合うのだ。
絆を深める方法を彼らはこれしか知らない。
思う存分欲望のままに重ね合うことこそが二人の逢えなかった時間の埋め方であった。どちらも幼く、どちらも無垢だったから。
けれど彼らを追う存在はいるのだ。
‡ ‡ ‡
いつものように二人がいい気分で朝を迎えた時だった。気ままな野宿だからいつ起きても寝ても自由なのだが、二人は太陽と一緒に生活することをとても好んでいたから早起きで早寝だった。実際問題で灯りがないというのも一つの起因ではあるが、彼らには関係のないことだ。
が、追う存在にしてみればそれは大ありになる。
その日、男はいつもと様子が違うと思った。少女は腕の中でまだ眠っていて夢の中でご機嫌らしい。
彼はそんな彼女を起こしたくなかったが、この異変は知らせるべきだろうと判断してそっと起こした。
「ん~、おじさん、どうしたの? 珍しいね、あたしを起こすなんて」
「あのね、お嬢ちゃん、変なのがいるみたいなんだ」
「変なの?」
目を擦りながらも少女は起きあがって、辺りを見てみる。とりあえず彼女に[[rb:理解 > わか]]るものはないが、彼が言うならそうだろうと思った。
「おじさん、何処にいるのかな、変なヤツ」
「多分あっちの方だと思うんだ」
「おじさんが言うなら本当だね。人形狩り《ドール・ハンター》かなあ」
そう、少女はドールでありながら逃亡者である。人に仕えるべき[[rb:機械人形 > マシン・ドール]]であるドールが逃げれば当然それを追う職種も存在するのだ。逆を言えば商売になるだけ逃げるものがいるという証明でもあるのだが。
「俺かもしれないね。俺もあの街を出れば単なる[[rb:違法複製人間 > イリーガル・コピー]]だから」
恐らく男の存在は考えなくても作り出した方も複製された人間にも大概有り難くないものであろう。事実、男はあの花火から逃げなければ抹消されていたのだから。
もっとも男が逃げ出した、と言う事実があるかどうかも把握されていないかもしれないが、パレスの街がそれを利用しようとしているからこそ男を受け入れたのだろう。だから街を出たことで男は確実な庇護を失ったことになるので今までは守られていたことが表に出されることも大いにあり得た。
ただ、男は誰の[[rb:複製人間 > コピー]]かも知らないし、彼が造られようとした理由も知らない。事実、男が知り得るのは名と言葉だが、それは自分の名前はパレスで与えられたものだったし、言葉も生活も習慣も当然それに準じていた。
だから今更追われたとしても実感はないが、相手にとって都合が悪いとなればそうするのかもしれないと男は感じていた。
そう、『感じて』いたのだ。
男の元が誰で何であったのかは知らないが、外へ出たことで男の中に眠っていたらしい本能が僅かずつ覚醒し始めていた。
そのお陰で二人はそれなりの危機に見舞われながらもちゃんと生き残ってこれたのだ。
そう、今の今まで逃げてきた間が全く平安だったわけでもない。
何しろ男と少女の組み合わせは外見からして途轍もなく怪しい。中年の体格のいい男にあどけない少女、親子には決して見えないだろう。
が、すべては見る者によるのである。
二人について全く疑わない集落もあれば疑い深く見る集落もある。ついでにいうなら集落全体が[[rb:狩人 > ハンター]]の固まりなんていう場合だってあった。
それでも彼らは今もここにいる―生きたいから。
‡ ‡ ‡
二人の前に現れたのはやはり人形狩り《ドール・ハンター》であった。[[rb:何故理解 > わか]]るかといえば特徴的なその格好にある。
ハンターは必ず[[rb:鐔 > つば]]の広い、やたら背の高い三角錐型の帽子に色鮮やかな模様のマントを常に着ている。身に着ける模様や形は様々だが、原色に近い組み合わせを、それも何色も好むので得てして無意味に派手なのだ。
どうしてそんなに目立つ姿にするのかは知らないが、彼らなりのルールがあってそうなっているのは確かのようだった。
人形狩りにとってドールはドールでしかなく、あくまで狙うための獲物であり、『生きている』ものではない。その潜伏先で如何なる生活を送っていようが、彼らは関知せずただ狩っていく。
彼らの仕事によって生まれたいくつもの悲劇が語られ、いくつもの喜劇もまた語られる。
新しい土地で静かに暮らし、愛されていたドールを無情に狩ったために命を落とした者も少なくはない。
また逆にミイラ取りがミイラになるような者もいる。
これはつまり街と辺境の差が生み出す物語とは言えようか。
街、は完全にルールに則って日々は動いていくが、辺境と呼ばれる集落に住むものたちは各々のルールに基づいて動く。
それは個性であるが、街に住む者からは野蛮人となるし、逆に辺境の者は街に住む者を煩い変人どもとなる。
ただ、昔から相互不可侵という見えない条約は静かに締結され続けているから表立っての争いは起きていない。
どちらにも相手がいた方が有利なことがあり、それなりに利益を生み出す間柄故に互いを譲歩し合っているわけである。
そんな中で街にも辺境にも、そして逃亡者にも属さない者、それが人形狩り《ドール・ハンター》だと言えた。人形狩り《ドール・ハンター》はその中でも特化して街寄りだと言えた。
個人でドールを持ち、またそれを追うのは金持ちと相場が決まっていたし、そんな金持ちは街にしか住まない。故に人形狩り《ドール・ハンター》たちも街を根城にするのが至極当然であり、また彼らが街を出るのは人形狩り《ドール・ハンター》の時だけであるのも特徴だった。
道具さえ揃えられればビギナーでもなれる狩人、それが人形狩り《ドール・ハンター》なのである。
二人の前に現れたのは定番の格好ではあったが、あまり手入れをしない方なのかみっともなさがひどく目に付く男だった。やたらぎらついた眼のくせに何処を見ているのかはっきりしない。不躾で厭らしい声で人形狩り《ドール・ハンター》は宣告してきた。
「賞金金額20000ギル、やぁっと見つけたぞ。№3489012」
人形狩り《ドール・ハンター》はそれぞれドールが生み出されてから持つ固有名詞では決して呼ばない。感傷的に相手を見ないようにモノとして賞金金額と指名手配コードのみで識別するのだ。
要は誰でもいいから捕まえろ、そうすれば金が手に入る―そういう主義なのだ。
「あたしはそんなんじゃないよ。失礼だね、あんたはっっ!!」
少女は人形狩り《ドール・ハンター》の物言いに我慢ならないというようにそう怒鳴るが、相手は小馬鹿にしたように鼻でせせら笑うだけだった。
「お前の言葉など聞きはしない。あるのは温和しく俺に従うか、逆らうかだけだ」
人形狩り《ドール・ハンター》は嘲るようにそう言うと己の武器である捕縛銃を構える。それはドールを捕らえるためだけの道具であり、人に対しては殺傷力はないが、ドールであるならば捕縛銃による電磁波で動けなくなる。大概の場合には改造してあるから人でも殺せるほどの電磁波を装備しているものも珍しくはない。
二人の前にいる人形狩り《ドール・ハンター》のものはやはり強化改造されているようで仰々しい大きさだ。
「なぁに、ちょいと暴れてくれた方がコイツをぶっ放せるから俺も楽になる。好きな方を選びな」
撃ちたいから抵抗しろとその言葉は聞こえた。恐らく人形狩り《ドール・ハンター》の持つ銃は修復不可能なまでに破壊することを目的としたものだと男には[[rb:理解 > わか]]った。
「やなヤツ……」
少女は舌打ちして毒突いた。彼女とて逃亡者がどうなるか知らないわけではない。
「この娘は俺が護ると決めたんだ」
男はぼそりとそう告げ、少女を庇って人形狩り《ドール・ハンター》の前に立ちはだかった。ゆらりと頼りなげに見えて、その立ち振る舞いには強さがあった。
「面白ぇ! 俺の一人勝ちじゃつまらねぇからお前みたいな馬鹿がいると退屈が少しは紛れるってもんだぜ」
退屈、と言う言葉は男は嫌いだった。部屋にいたときにそうよく言われていたことを思い出す。それは聞かされる相手にどれほど不快だか知っていて言うのだ、己の優位のために。何ともムカつくではないか。
「……この娘に酷いことするためだけにお前は来たのか」
静かだが、そこには男の今まで解放されたことのない感情が籠められていた。
「お前、えらそうだな。そいつは逃げてきた。だから狩られる当然のことだ。ドールなんぞが一人前に人間気取りなんぞ気色が悪い」
人形狩り《ドール・ハンター》が発する言葉には憎悪があった。
少女はまたかと嘆息しつつ、男の様子をちらりと窺う。
本当にこういう馬鹿には事欠かないよね。まったく有り難いったらない!
……でも、でも、この[[rb:男 > ひと]]は絶対に違うはず。こんなことはきっと死んだって言わないもの。
少女がそう信じながら男を見遣ると男の手がグッと握られ、更に彼の爪が凄まじく食い込んでるのが見えた。
「おじさん! 痛いよ、それっ!!」
少女はひどく驚いて慌てて男の手を開かせようと必死になる一方で、どうしてこの人はここまで自分のために怒ってくれるのだろうかと考えていた。
こんな血を流して痛いはずなのに……
少女はどんなに生きてるように見えても所詮はドール、[[rb:機械人形 > マシン・ドール]]でしかない。
彼女もいつもそんな風に考えているわけではないが、全く考えないわけでもない問題であった。
確かに[[rb:機械人形 > マシン・ドール]]が人間によって造られた疑似生命というのは間違っていないと思っていたから。
例えば痛みは[[rb:理解 > わか]]るが、その痛みだって『感じる』ように設定されてるだけだ。喜怒哀楽のすべてがそうだと。所詮造られし感情は偽りかも知れないと。
けれど今は違う。男といることで少女の考えはいつの間にか変わってきていた。
ドールだろうが何だろうが、自分はここにあるのだと! 受けた痛みだって自分が感じてるのだと!
そうして今もまた男はそれを肯定してくれた。少女の痛みは自分のもの、悲しい、悔しいという感情だって共有してくれるのだ。
これ以上嬉しいことがあるだろうか。
少女にとって彼は唯一無二の人。
「大丈夫……お嬢ちゃんを守るよ」
男は少女に微笑みながらも人形狩り《ドール・ハンター》に対して限りない怒りを感じていた。
ドールを否定する人間というのは当たり前にいる。そんな連中が人形狩り《ドール・ハンター》をしていてもちっとも可笑しいことはなく、寧ろ自然であった。
何よりも人間こそが偉大だという者、単に[[rb:機械人形 > マシン・ドール]]の存在が気に入らない者、理由など様々だがドールたちにとって有り難くない存在なのは確かだ。
造られたって何だってあたしは此処にいるのは紛れもない事実じゃないか!
そう叫んだのは何度となくだったけれど、[[rb:理解 > わか]]ってはもらえなかった。
少女は何処までも異質、だった。
だからいつも独りだった。
でも今は独りじゃない。
知らないうちに少女は男のシャツを強く握りしめ、じっと反論することを耐えてていた。昔だったらきっと泣いて騒いでいたに違いない事態だったが、それは二人にとっていいことにならないと思ったのだ。
……男がどう対応するかという計算が無かったと言えば嘘になるが、少女は少し脅えていた。この先にあるかもしれない破局を思えばこそなお。
「お前も人ならそんな紛い物の作りモンじゃない女にしておけや」
人形狩り《ドール・ハンター》はそうやって男に忠告を有り難くもしてやった。たまにいるのだ、こんなふうに作りモンを本物だと言い張る馬鹿が。まったく救いようがねぇと彼は思う。それをぶち壊すのが一際楽しいったらない。
ひげた笑いが響く。これから起きる一方的惨劇を思うと楽しくて仕方がないのだ。
だから人形狩り《ドール・ハンター》は気が付かない。男の激変には。
―紛い物の作りモン《・・・・・・・》―
その一言で、男の中で何か弾ける。
人? ひと? ヒト?!
それがそれほど偉いのか!
ドールが何だ!
この[[rb:娘 > こ]]はモノじゃない!
なんていう侮辱だろうか!
許せない、許してはいけない!
男の中で激情が駆け巡り、体が燃えるように熱い。
「おおおーっっ!!」
周囲に雄叫びが木霊し、まるでそれに呼応するように風がゴォーッと吹き荒んでくる。
男は自分と彼女を護るために武器を取る。それは一振りの鉈、鋭い刃以外は何の変哲もない過分な武装さえされていないものだった。相手の持っているものに比べれば子供の玩具のようなものだったが、それで彼は怯まなかった。
人形狩り《ドール・ハンター》は当たり前に男へ向かって自慢の武器を放つ、初めは威嚇、次は狙うために惜しげもなく嬉しそうに。
が、男は相手の攻撃をごく当たり前に読み取り、そして撃破する。
理由など分からないが、どうすればいいか、彼の体は識っていて考える前に体は動き続けた。
決して少女を傷つけぬよう確実に護りながら、そうして敵との距離を縮めていくのだ。
そう、相手は敵だと認定―行動パターン識別、これにより男の中で猛烈な勢いで『敵』への戦い方を弾き出す。
それは男が識らないはずのこと、けれど何よりも識っている[[rb:戦闘 > ことがら]]だった。
途惑い、しかし当然に受け入れながら男は闘いに向かう。事態を考えることよりも動くことが今の彼の最優先事項故に。
人形狩り《ドール・ハンター》は男の変貌に驚愕していた、何から何まで相手の行動は予想に反しすぎていた。どう見ても戦士ではない男が突然正しい闘いを行ってきたのだから当然だろう。人形狩り《ドール・ハンター》の場合、相手を弱者として見下していたために余計にだった。戦うものとしてはそれは最低なことであるが、彼はそれで今まで生き延びてきたのだ。
が、それは単純に自分が運が良かっただけだと彼は今知った。
装備という点では明らかに人形狩り《ドール・ハンター》の方がいい武器を持っている。チューンナップに金をケチったこともないし、寧ろ念入り過ぎるほどだった。現に威力は維持しているし、対人型にも切り替えてあるのだ。
だから目前の男が持つ武器など相手に本来ならなるはずもない―勝負というものがそれだけで決まるのであれば。
優れた武器があろうとも使うもの次第では愚鈍になってしまうこともあるし、逆に言うならば優れた戦士は劣った武器であろうとも最大限に使いこなすのだ。
今、人形狩り《ドール・ハンター》の置かれた立場はそれになりつつあった。
男は既に人形狩り《ドール・ハンター》の動きを見抜いているから彼の優れた武器は当たることはなく、距離は縮まるばかりだ。
人形狩り《ドール・ハンター》にはその動きに覚えがあった。それは誰よりも彼が崇拝する男のものだった、そう確かに目前の男は彼が崇拝する男に面立ちが似ていた。
でもそれならば可笑し過ぎる。彼ならばこんな所にいるはずもないし、ましてやドールを護るなんてあり得ない!
人形狩り《ドール・ハンター》としてドールたちを狩るに至ったのはあの人の導きだった。それほど心酔している相手が裏切るはずはない、それは信望者にありがちな勝手な理想像にすぎないが、人形狩り《ドール・ハンター》には唯一無二のもの。
だから叫ばずにはいられない、否、叫ばねばならなかったのだ。
「お前があの人のわけがない! あの人ならドールなんて相手にするもんかッ!!」
それは人形狩り《ドール・ハンター》の心からの悲痛な叫びだが、男には全く関係ないことだ。誰かの[[rb:複製人間 > コピー]]である以上はいつか言われるだろうことであったし、それが今になっただけだ。
あの人など知らないし、人形狩り《ドール・ハンター》にそう嘆かれる筋合いなど何処にもない。それは絶対的な溝であり、相容れることのない道理。
理解しようなどとは思わない。
今、男に必要なことは目前の敵を倒し、少女との大切な時間を護ることだけ。
人形狩り《ドール・ハンター》に必要なことはドールを狩っていくことだけ。
故に対立、だから必然的に戦うことになる。
そして男の方は負けることなど念頭にもなく、むしろ勝機だけを感じていたから余裕があった。
人形狩り《ドール・ハンター》は男に対して冷静さを馬鹿らしいまでに失っていた。自分が崇拝し続けていた男の顔が目前にあり、今まで信じていたものを打ち崩されようとしているのだから致し方あるまい。
が、自らが仕掛けた闘いにそんなことは通用はしないし、相手も優しくそんな動揺を酌み取ってなどはやらないものだ。
男はそれをチャンスとして見なし、当然のように次なる手に出て行く。
人形狩り《ドール・ハンター》は己の武器が弾切れになるとは思っていなかったのだろう、残念ながら動揺するあまりに彼は撃ち過ぎた。いつもそうやっていたからだろう、数頼みの戦い方は今此処で終焉を迎え、人形狩り《ドール・ハンター》は破滅に向かうだけだ。
男は相手が武器を補充する暇など与えるつもりもないし、この馬鹿げた茶番を終わらせるには自分が勝てばいい。
だから迷いも途惑いもいらない。
自分を待っている少女のために。
男は次の瞬間、信じられないスピードで人形狩り《ドール・ハンター》に向かって突進して行った。何故か何もかもが自然に動け、当たり前だった。だから男には理解できた、それが自分の基となっている[[rb:本物 > オリジナル]]の能力なのだと。
人形狩り《ドール・ハンター》の狼狽もそれが理由なのだろう。
でも今はそれが勝利に繋がるのなら何の[[rb:躊躇 > ためら]]いもいらないと彼は識っていたから己の武器を行使する。鋭利に研ぎ澄まされたそれはまるで意志を持っているかのようだ。
振り下ろされた鉈は目前の敵へとめり込んでいく。
鈍い音がザクリッと響き、彼は僅かに一振りしただけだったが、その威力は計り知れない。その行為を数度繰り返しただけで、敵の絶命は確実なものとなり、そこに生きていたはずのものは一塊の肉塊へと変貌を遂げていた。
その様子に特に驚愕もせずただ男は自分が持つ力の一端を識り、同時に自分の基となる男が生存していることを知った。
自分という存在は恐らくとても厄介であり、それが少女といることに障害を生み出すのは火を見るよりも明らかだった。
少女を不幸にするのが自分だというのはとても許せることではなく、だから男は決意の呟きを告げる。
「お嬢ちゃん、俺といると面倒になりそうだ……」
口にするととても辛いが、それでも寂しげに男は次の言葉を紡ごうとすると、少女の指が男の唇に当てられた。
「いいよ、面白そうだから」
あまりにもあっけらかんと返事が返って来るものだから男は嬉しかった。本当は一緒にいたくて、離れたくなど一秒たりとてないのだ。
少女は男の言葉、行動のすべてが嬉しかった。男の正体が何であろうとどうでもよかったし、それが理解ったところでこの人は変わらないんだと思うと今までに感じたことのない高揚感が彼女を支配していた。
何処までも一緒に行くんだと改めて少女は決め、男に口づけた。それは何処までも愛しさを籠めた優しく淫らなもので、彼女からの何よりの返事であった。
男は優しい甘い口づけに酔いながら、けれどこの先、何かが起こるような気はしていた。
自分はいったい誰の複製なのか。
それが問題なら解決しないといけないのだと男は理解した。
あのときは何も[[rb:理解 > わか]]らなかった。あのときはそれで良かった。
けれど今は[[rb:理解 > わか]]らなければならない。理解しなければならない。
自分の意志で歩き出すために。
何よりも愛する少女のために彼は決意した―戦うことを。
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