ACT.1 出逢い

 街に[[rb:帳 > とばり]]が降りる頃、色めき立つ。

 この街は浮かれた街なのだ。誰もが、何かもが。

 彩るのは春を売り続ける者たち。

 人々の欲望を一心に受けて花のように鮮やか咲いてそして誰知ることもなく散っていく。

 その花たちを求めて群がる者たちも後を絶たず、一夜の夢に賭けて破れる者、手に入れられる者、それすら出来ずに流されるままに生きる者、命すら失う者が数多に行き交う。

 刹那だけがすべて、色と欲が支配する、快楽都市パレスはそう言う街だ。

 誰も止まらない、欲色の夢を、一夜限りの夢を見続けるために。

 少女はそんな街にいた。

 いる場所はいつも決まっている。 

 古い煉瓦造りの階段の踊り場。

 夜が彼女の場所であり、陽のあるうちに彼女は動かない。エネルギーが勿体ないから。

 少女は機械仕掛けの[[rb:人形 > ドール]]、偽りに染まる街に何よりも相応しい存在なのかもしれない。けれど彼女には固定の[[rb:主人 > マスター]]はいない、もう二度と持つ気もない。

 何しろ面倒なことは嫌いであり、楽しければその方がいいのが本音だから。

 だから少女は相手が自分を見つけやすい場所にいることはするが、自分からは動いて『客』を探すことはしない。

 彼女が今いる所は壊れかけたビルの群れの狭間にあり、その合間から合間から月光が惜しげもなく照らし出してスポットライトとなる。

 この街に欠けた月は存在しない。常に満月の姿のまま宵の空に浮かんでは明けの空に消えていくのだ。常に明るいが単調で代わり映えのしない、それがパレスの月だった。

 もっとも少女にはそんなことは関係ないし、どうでもいいことだ。

 此処が綺麗で、彼女にとっては好きな場所で、そしてついでに『客』を待つお気に入りの場所がそこであるというだけだったから。

 来たい奴だけ来ればいいし、別に誰も来なくてもいい。

 そのときは一晩中好きなように踊ってるから。

 少女にすれば毎日来る連中について感じることはそんな程度のことだった。

 特に何かに執着するでもなく、ただあるがままに日々を生きている。

 でもこのところ、彼女は誰にも言わないが、一つだけ内緒の楽しみがあった。

 今日は来るだろうか? それとも明日だろうか?

 彼女はいつでも同じ場所にいるが、待ち人はいつでも来るわけじゃない。

 理由など知るよしもないが、ともあれ彼は他の誰でもない自分の元にだけ来るのを知っている。

 ああ、今日は来たんだ。来てくれたんだ。

 待ち人の気配を少女は感知して、その方へ視線を動かす。

 すると一人の男が少女を見つけて嬉しそうに近寄ってくるのが見えた。

 ボサボサの短髪によれよれの作業服を着た一見は冴えないだけの男だったが、彼の眼はこの街にいる連中とは何処かが違っていた。

 いつものように男は少女の側に少し頼りなげな歩みで近寄ってくる。

「夢を、夢を売っておくれ」

 彼がいつも少女に願うように尋ねるように言う台詞、少女もいつもと同じ台詞を返す。

「夢にいくら払うの? 夢の代金をちょうだい。そしたらあげるから」

 男は少女に向かって両手を差し出す。掌に乗っているのは色々な硬貨たち。全部合わせてもたいした金額とはならないくらいに僅かなものだ。

 彼はいつもこうやって自分の稼いできた金を全部少女に見せるのだ。少なくても多くても隠すことはなかった。

 少女はそんな男の真面目さが好ましく、またそれ故に意地悪をしたくなる。いや、意地悪と言うよりは焦らしたいだけなのかもしれない。

「今日の俺はこれだけ持っている、これではどうだ? どうだ?」

 期待に満ちた男の眼に少女の瞳が[[rb:蠱惑 > こわく]]色に輝く。

「そうね、それだけならこんなものかも」

 そう言って少女は男の手から数枚選んで取りながら、その両腕を彼の背中へと伸ばした。

 柔らかな唇を男の無骨な唇に押し当てると、すぐに相手の舌へと己の舌を絡め、長く熱くその唇を与えはじめた。男も少女の唇を貪欲に吸い取り、その舌を絡ませて少女の華奢な躰を強く抱きしめた。

 月が静かに照らし、互いの舌の絡み合う音だけが聞こえてくる。

 そうしてどれほど交わし合ったのか知らないが、やがて少女はゆっくりと男から離れ、[[rb:艶 > あで]]やかに微笑む。

「今日、あなたにあげる夢はこれくらいかな?」

 ちょっと残念と言いながら、少女は男に語り続ける。

「全部の夢を見たいならもっといるね。だって夢を見るにはお金がいるものなの」

 それは彼女の口癖、夢を見るにはお金がいるとことあるごとに男に告げる言葉。

 天使の微笑みを向けて、少女は踊りながらその場から離れていく。新しい夢を買うものを求めるふりをして。

 男は自分の手に残された僅かな硬貨を覗いてみる。その度に少女は優しくて残酷だと思った。どんなに頑張っても彼に稼げる金額はたかが知れていた。

 それでもあの緑の少女が彼には天使だった。誰もが馬鹿にする彼を決して彼女は笑わないし、ほとんどお金のない彼に僅かの夢を与え続けてくれるから。

 この街では貧しいものは貧しいまま、滅多に上へ這い上がっていくなど出来ないように出来ている。それに異を唱えても仕方ない。どう足掻いても此処で生きてく術が他にないのだ。

 けれど貧しくとも欲望があるのは切ない事実。

 それを埋めるための存在もあるにはある。安酒場、売春宿、賭博場……ある意味欲望のためだけの場所など幾らでもある。

 ただ、彼にはどれも欲しいものではなかった。向こうも相手にしないと言うべきかも知れないが。

 彼はあまりに無骨であったから、彼はあまりに真面目すぎたからいい加減を当たり前とする街では生きにくいのだ。

 だからいつも男は独りだった。寂しかったけれど、[[rb:理解 > わか]]り合えるものがいないのだからと諦めていた。彼は街に愛されず、彼は街に融け込めないまま日々を過ごすことを余儀なくされていたから。

 そんな無為な日々の中で、ある日、彼は少女に逢ったのだ。

 その日もパレスの月は相変わらず丸く輝いていたが、彼にとってその日の月は全く違うものだった。

 月夜の中、誰もいない踊り場で彼女はたった一人で踊っていた。

 [[rb:燦々 > さんさん]]と輝く月光の中で少女は薄い布を纏っただけの簡単な衣装を生き物のように鮮やかに操り、自身も艶やかに布と絡み合うこともなく舞う。

 指の先も足の先も器用に動かされ、無駄がない。

 男は遙か昔に聞いた覚えのある『天使』という言葉が脳裏に浮かび、それこそが今目前の少女に相応しいと興奮していた。

 踊りはまさに見事に素晴らしいもので、彼は見とれたままただひたすら終わるまで見つめ続けた。

 そうして彼女が踊り終わったとき、男は惜しみない拍手を送った。するとそこで初めて気が付いたのだろう、少女は[[rb:些 > いささ]]か驚いた様子で男に誰何した。

「あなた、だぁれ? ……夢を買いに来たの?」

「え? いや、違うんだ。ただ、あ、あの……あんまり綺麗だったので」

 なんて言ったらいいのだろう、きっと変に思ってるに違いないと男は焦ったが、それでも必死に言葉を紡いで彼女への賛美を送った。彼は決して雄弁でもないし、また博識でもない。ただ知っている言葉の中から気持ちをありったけ籠めて言うだけだったが、目前の少女は立ち去るわけでもなく男の言葉が終わるのを待っていた。

「へぇ、あたしの踊りをずっと見ていてくれたの? 有り難う。嬉しいな」

 男の言葉が終わるのを待って少女はそう言った。今までひんやりとした彼女の冷たい瞳にいくばかの温かみが生まれ、男の賛辞に素直に礼を述べてきたのだ。

「え、その、だから、つまり……本当に綺麗だったから」

 くすくすと少女は笑い、男を見た。その微笑は決して彼を馬鹿にしたものではない、ふんわりと暖かなもので男はとても不思議な気持ちになっていた。

 ああ、なんて素敵なんだろう!

「あなた、変な人? ううん、違うね。面白い人だ。うん、興味深いや」

 そう言いながら少女は男の方へと足を向け、いつの間にか傍までやって来ていた。

「あの……?」

 どうしてこの少女は俺の側に寄ってくるのだろう? 男は自問自答してみたが、この驚くべき行動の答えは出ては来なかった。

「そうね、あなたにお礼をしなければ」

 それは独り言のように少女は呟き、けれど男の耳には届くから思わず尋ねてしまう。

「お礼?」

「そう、あたしの踊りを誉めてくれたお礼」

「だって本当に素晴らしかったんだ」

「有り難う」

 そう言って少女は男の唇にそっと己のものを重ねていく。はじめは軽く、次第に深く彼の中へと舌を押し入れて強引に彼の舌を絡めて離さない。

 戸惑う男だったが、少女の放つ[[rb:馨 > かぐわ]]しい匂いがまるで上等のお酒のように彼を酔わせていく。次第次第に彼の方も少女の行為を必死に真似するように激しく口づけを返していけば、辿々しいものに違いない彼の口づけを少女は満足そうに微笑んで更に貪っていった。

 時間の感覚すら忘れる勢いの時間の後、唇の浸食に満足したのか、よりもっと欲しくなったのか、少女は名残惜しげな男を余所にスルッと離れ、今度は軽やかに身に纏うものを脱ぎ捨てていく。

 元々服とも呼べない衣装だったから、たちまち現れるのはどこまでも白い裸身。

 月光に映えるシルエットは決して細すぎず、そして肉付きも悪くない美しい躰だった。

 踊っている姿も美しいが、今目の前に立つ裸体の少女は格別に美しかった。

 形の良い胸に引き締まった腰、すらりと伸びる肢体、どれをとっても彼女は完璧だった。少なくとも男にとっては究極の美であったから、ひたすら目に焼き付けるように裸身を凝視していた。

 少女は男のそんな様子を優しくそれでいて妖しく微笑みながら見つめてやる。

 それだけで男はどうにかなりそうになるのだが、少女はそんな程度で終わらせる気はない。

「あなた、美味しそうだわ」

 彼を抱きしめながら服越しに体の線をなぞってゆき、そのまま見事な手並みでそれらを剥ぎ取っていく。

 まるで魔法のようだと男は感心しながらも慌てて止めようとするが、彼女の白い指が放つ魔術には一向に対抗し得なかった。

「うふふ、可愛いのね、スゴく。でもここは立派なんだね」

 少女の無邪気な、それでいて妖艶な微笑みは消えることはなくむしろ深みを増していき、すでに猛りきっていた男のモノをその細い指で軽く握り出した。

 強弱のつけた方があまりにも絶妙であまりに気持ちがよくて男はつい呻いてしまう。みっともないと思えど快感は留まってはくれないから男は為すがままになる。

「いいわ、いいわ! あなたの声ってそそる」

「え?」

「もっと聞かせてね」

 ひどく嬉しそうな声でそう言うと少女は男のものを何の躊躇いもなく、可愛いその口へと銜えだした。男は驚いて離れようとするが、彼女はさらに深く銜え、彼のモノにその舌で容赦なく刺激を与えて動きを封じてしまう。

 呻く彼を楽しげに見ながら、巧みに少女は舐り深く浅く銜えてはわざと音を立てては相手の羞恥を誘う。

 男にはそれが彼女が巡らす罠なのだと分かるほど経験はないからただ翻弄されていくばかりだった。

 やがて男が耐えられない一瞬がやってきて、彼女の口の中で爆発して果てていく。

 かなり溜まっていたのか、男の欲望の吐き出しは簡単には収まらず彼女の口から溢れ出す勢いだ。

 最初は飲み干そうとしていた彼女だったが、枯れることなく白い欲望を今度は全身で受け止めはじめる。

「濃いわ、すごい濃い……いいわ」

 嬉しげにまるでシャワーを浴びるように気持ちよさげに男のモノを浴びては己の体に塗りたくり、そしてその指に付いた残滓を舐めていく。

 男はそれをただ呆然と息を荒く吐きながら見つめていた。

「うふふ、素敵ね。今日は良い日だわ」

 少女は愛しげに彼のモノに口づけると今度は己の胸で挟み込んで刺激を与えていく。それはこのままでは終わらせないという明らかな彼女の意志のなせる技で男の否定は一切認めない恐ろしさだった。

 男はどうしたらいいのか分からないままその攻撃を受けるしかなく、しかも戸惑いより欲望が強いのか彼のモノはたちまち硬さを取り戻していくのだ。

 ああ、気持ちいい……

 彼の脳裏にはそのことだけが次第に浸食して快楽のままに声を上げていた。が、そうすればそうするほど少女は狂喜して更に彼を責めていくからそれはまさに終わりのない快楽地獄のよう。

 少女は何しろ男をすぐに果てさせはせず幾度となく果てる寸前まで追いやっては止めてしまう。

 男にある理性や思考をすべて奪い去って少女に溺れるようにし向けていくのだ。

 男は易々とその罠にかかり、彼女の思うがままに快楽に沈んで吠える。

 何度達したか分からないほどになったとき、少女は告げた。

「ああん、あなたは素敵すぎるわ……それに本当に可愛い」

 彼女は彼の上に乗り、自分の中に彼のものを銜え込みにはいる。彼女の中は恐ろしく熱く、そして気持ちよく今までの前戯で与えられた快楽など子供騙しだったと男は知らされた。

 いやらしい音が彼と彼女の股間がぶつかり合う度に鳴り響き、それが溜まらないほど淫靡な音を奏でていく。

「素敵ね、あなたのすごく熱くて堅くて大きいんだもの。こんなに楽しめたのは久しぶりよ」

 少女は彼の上で踊るように淫らに動きまくり、全身で彼を愛撫していく。舌で、指で、胸で、そして彼女の秘部で。

 まるで夢のような出来事だった。

 あまりの快楽に彼は意識を飛ばしそうになったけれど、少女が彼のためにしてくれることが嬉しくて必死に耐えた。

 少女も彼が耐えれば耐えるほどに意地悪で優しい愛撫を続けては欲望を吐き出させていった。

 その狂宴は月が街からいなくなるまで続き、最後に同時に果てて二人はその場に倒れたのだった。


‡     ‡      ‡


 彼はその日から彼女と夢を見るために必死で働いた。彼女と夢見るにはあまりにもたくさんの金がいるのは分かっていたが、それでも彼は夢を見たいと思った。

 一枚、一枚、只貯めていく。

 食費などそんなにいらないし、寝るところも寝れればいい。お金を貯めてるのは内緒。信用できる奴なんていないから。

 男はたった一人で夢を見続ける。それがいつか天使と二人になるように願いながら。

 少女にとっても過ぎ去っていく男たちの中で彼はとても変わった人だった。

 本当は金などいらなかった。しかし絆が断たれるのがとても怖かった。金で買われることにしか慣れていないから、彼との絆を保つ方法を他に知らなかった。

 確かに金を持っている奴は多いし、そのほうが彼女にとっても利益がある。金があれば、それなりの自由を買えるからだ。

 でもこの街の中で彼は違うと思っていた。

 不器用なのだろう、でも暖かい躰を持っている。

 それはとても大事なことだろう。

 こんな何もない、空っぽの街で刹那の時しか生きていけない者たちの中で彼は賢明に生きているのだ。

 彼の来る日はとても楽しみだ。

 いつの間にかそうなっていた。そうして男を焦らすだけ焦らしてからいつも躰を与える。

 自分にとってもそれが最高に気持ちが良くて、けれどその分抱き合った後の朝が辛かった。

 どうして朝が来るのだろうと彼女は一人ごちたものである。どうしたら一緒に入れるのかを考えたりもする。

 儚い妄想に過ぎなくてもそれは少女の大切な夢だった。

 二人は同じ夢を持っていたのだが、どちらともそれを口にはしない。叶うわけがないと思っているのと、お互いがお互いをどう思っているのか分からないという馬鹿らしい事態があったからだ。

 毎日逢えるわけでもなく、逢ったとしても交わす言葉はいつも少なく、けれど何かを起こして今紡ぎ上げた満足できる関係を壊したくないと思っていたのだ。

 要は二人とも臆病だった。何かを多く求めても叶うことのない街だったから。

 けれど押さえれば押さえるほど欲望は高まるもの、それが純真な願いならばなおのこと。

 だから壊れてしまう[[rb:硝子 > ガラス]]の絆を確かなものにしたくなって少女は思い切って一歩踏み込み、男との繋がりを求めることにした。

「ねえ、あなたの名前が知りたい」

 そう彼女は言った。まずはそこからにしようと彼女なりに考えて決めた質問の第一歩。

「な、名前?」

 男は随分驚いたようで、少女の顔をマジマジと見返している。

「そう、あなたの」

「俺の名は……つまらないものだよ」

 恐らくいつもそう答えていたのだろう、そしてその後の答えも知っていた。『ああ、そう』で終わるのだ。自分への感心はそこで終わる、ある意味で話もそこで。いつも独りになる、いつものことだ。

 が。

「そう? でも私は知りたいな」

 男の返事をさらっと流して、少女は無邪気に微笑って[[rb:強請 > ねだ]]る。

「……」

 男は言葉を失っていた。まさかそんな風に言われるなんて思っていなかったから。

「どうしたの?」

「え、いや、その、びっくりしただけ」

「どうして?」

「俺の名前なんて知りたい奴がいるのに」

「だって、知りたいんだもの」

 男はその台詞がとても嬉しくて破顔して自分のの名を告げた。それはきっとこの街ではじめてのことだろう。

 そうして少女も自分の名前を男に初めて口にしたのだった。

 出逢って別れてを繰り返す街で見つけた小さな絆。

 それは何物にも代え難い大切な宝。

 その日、彼らは心の底から愛し合い、貪りあって何度も何度も違う朝と夜を迎えた。もう此処には客を待っている少女はいないし、冴えないままの名無し男もいなかった。

 深い絆を得た二人はやがてその目を外に向け、この街では得られない希望を求めてパレスの外を目指した。お金ならいらないし、必要なら何とかなる。

 もうこの街はいらない。

 捨てて新しく生きようと決めた。

 二人で生きる場所が欲しいのだ。

 月が輝く夜、二人は手に手を取ってパレスから消えた。

 緑色の月が二人に羽を与えるかのように煌めく夜の街を後にしていく二つの影を優しく照らしていた……

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