Green Angel
飛牙マサラ
プロローグ
暗い、暗い闇の中に『彼』はいた。
暗闇は『彼』に安らぎを与えてくれるので、こんな風に漂うのは好きだった。
夢は見ない。
ひたすら闇の中で眠るだけだ。
けれどそんなただ眠るだけの世界はひどく心地好かった。
ゴボボ……ゴボボ……
音が鳴る。
ああいつもの時間だと『彼』は思う。
静かに目を開けると『彼』の眼に見慣れた光景が広がった。
白い集団が『彼』を興味深げにじっと観察し、何やら忙しそうに動いてる。
彼らが何をして何のためにそうしているのかなど『彼』は知らない。
そうして彼らが『彼』に飽きるまで彼らの行為は続けられ、『彼』はそれをただ受動的に受け止めるだけだった。
それが終わればまた眠る。
何も変わらない、それが『彼』の日常だった。
周囲を見れば同じようなものたちが『彼』と同じような行為を受けているようだったが、『彼』にはどうでもいいことだった。
闇の中の眠りはそれほどに心地がよいものであったから。
だから変わることはないと『彼』は何となく信じていた。
けれどあるとき『彼』の日常は激変する。
安寧の眠りは突如奪われ、『彼』はその他の仲間と共に何処か放り出されたのだ。
ひたすら寒いだけの暗い部屋は馬鹿みたいに天井が高く、『彼』と仲間たち以外何もない。
が、そんなひどく殺風景な中に一つだけ特異なものが見えた。
それは天井の突き抜けた果てにある丸いもので青白く輝いて冷たそうで暖かそうだと『彼』は思った。
果たしてあれは何だろうと考えるもの、『彼』には残念ながらそれが何であるか分からない。
ただ綺麗だとそれだけは感じていた。
しばらく『彼』はそれを眺め続け、やがてその丸いものがもたらす光で周囲を見回せることに気が付いた。
そこでようやく『彼』は自分がいる場所を改めて確認できたのだが、何故か『彼』以外は誰も動いていなかった。
おかしい、自分と同じ彼らはどうして動いていないのか?
『彼』の仲間ともいうべき者たちだからすべてが『彼』と同じくあるはずなのに。
『彼』が考え倦ねていると何処からか奇妙な音が鳴り響いて、そのすぐ後にぐおおおおんっと鈍い機械音とともに床が動き出した。
『彼』は何が起きたのか[[rb:理解 > わか]]らず、それでも此処にいてはいけないということだけを理解した。
『彼』は立ち上がり、もう一度他の仲間たちを見たものの、やはり彼らは動かないままだ。
しかし今度は『彼』は迷わずそこから出ることにし、丸いものが見せてくれる光の中にある外への出口へと動き出した。
何もないところをよじ登るのは大変ではあったが、とりあえず壁にその都度穴を開けて足場を作って乗り越えていった。
ようやく安全だと思える場所に辿り着くと、何となく『彼』は自分の来た道を振り返ろうとした。が、瞬間、目映い光が周囲を支配し、何も見えなくなった。
耳に音がまるで聞こえない。
眼をようやく開けば、鮮やかすぎる赤色の花火だけが燃えていた―――。
‡ ‡ ‡
いつもと変わらない風景と時間がそこにはあった。
『彼女』が[[rb:覚醒 > めざ]]めればいつものようにざわめいていたはずの世界。
けれどその日は静かだった。
不思議に思い、『彼女』は周囲を見回すが、やはり静かなまま。
おかしい。
そっと階段を下りてゆくものの、それを[[rb:咎 > とが]]めるものがない。
いつもであればヒステリックなあいつが鞭を振るうはずなのにそれすらいない。
恐る恐る階下に降りても世界は静かなままでどうしてそうなってしまったのか[[rb:理解 > わか]]らない。
でも一つだけは[[rb:理解 > わか]]った。これは『彼女』には千載一遇のチャンスだということが。
『彼女』は自分の過ごした部屋を一瞬見遣り、たった一つの、『彼女』にとって唯一の、宝物をその手に握り締めた。
暖かくて一番良い思い出だけがある素敵なそれだけが『彼女』にとっての持ち出すべきもの。
そうして『彼女』は決意する。
このときを逃したらきっともう外へなんて行けないに違いないのだ。『彼女』はずっと外の世界に憧れを馳せていた。けれど枷があったからそれは叶わぬことだと諦めかけていた。
だけど! 今そこに開いてる扉は間違いなく外へと誘ってくれる扉!!
『彼女』は颯爽と外へと駆け出していく。迷いなんてそこにはない。それよりも外はなんて素敵なんだろうと大きな声で叫んでしまいたかったくらいに感動していた。
ひたすら走り続ける『彼女』を奇異な目で見る者たちも時折見かけたが、だからといって彼らが何かをしてくるようなこともなく、ただ黙々と行き交うだけだった。外へ出たのならもっと危険があると『彼女』は思っていたし、そう聞かされてもいたのだが、実際はどうだろうか。
あたしはまだ走ってるじゃない? 誰も捕まえにも来ないよ?
だから『彼女』は正直言うのなら拍子抜けしたけれど、自分の行動の選択が正しかったことに満足していた。
そう、頬を赤く染めて息を弾ませ、それでも走り続けることに、鳥籠から飛び出せたことに。
どのくらい走ったのか忘れたけれど、ふと『彼女』が見上げるとそこには大きな大きな月が見えていた。
ああ、もう夜なんだとその時初めて『彼女』は足を止めた。
すると風が静かに鳴り、何処からか何かが転がる音がした。
古びたビルの一角で定住して住むものはいないようだった。少なくとも『彼女』の持つ感覚で[[rb:解 > わか]]る範囲にはいないようだ。
ああ、此処がいい。
此処が素敵。
だってこんなに素敵な[[rb:舞台 > ステージ]]はないじゃない?
『彼女』はそう決めて、優雅に廃ビルと月に向かってお辞儀をする。
誰もいないけれど、それは何よりの贈り物であり、『彼女』は生まれて初めての孤独を堪能していた。
スッと手を伸ばし、音楽もないままに踊り出す。月光を存分に浴び、風の巻き起こす気紛れな音をリズムにして。
不自由な檻よりも危険でもたった独りであることを彼女は選んだのだ。
だから踊る。踊り続ける。
もしかしたら叶うかもしれない夢を見て。
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