第10話

神子を危険にさらしてまで“祭”をやるべきか。その議論は朝廷内の至る所で繰り返し行われていた。


「神子にもしものことがあった時、民に大いなる動揺を生む可能性がある」

「百年続いてきた祭を明確な理由を提示しないままに祭を取りやめることのほうが人心への影響度が高かろう」


斎部内での議論は決め手となる結論を得られず、毎日のように同じ論拠が巡り巡って紛糾しているとアジルから聞き及んだ。


(ふざけんな)


その議論は当然のように“国政への影響”に終始して、その俎上に“神子の身に危険が及ぶこと”についての言及がついぞなかったことが、タスルは一番腹立たしかった。


「神子の命を軽んじすぎだろ!」


友人だけのいる場で、力任せに卓を殴りつける。


「あの人だけがなぜ耐えなければいけないんだ。あの人は、ごく普通の人間なんだ!」

「落ち着けタスル。今それをいっても何も進展しない」


シントが傍から静かに声をかける。


「兄さんは、他人事だからそう言えるんです!」


だから落ち着け、と。

つい感情が先走るタスルに、シントの低い声が被さる。


「なあタスル。お前も本当はわかってんだろ?」


年下の幼馴染を諌めるように、シントはごく低い声で静かに言った。


「この議論はただのポーズだ。結論はとっくに決まってんだよ」


祭は通常通り執りおこなう。宮内にそう決定が降ったのは祭の半月前のことだった。



* * *



次の祭である新嘗祭にいなのまつりは、秋の収穫を祝うことを主題としている。年に四度の祭りの中でも最も盛大に執り行われるものだった。

前回に引き続き神子の守護役を務めることになっている三人は、祭の三日前に統家当主のシンヨに呼び立てられた。


「今度の祭のことだ」


呼び立ての理由は言われるまでもなく明白だったから、三人は無言で頷く。


「確実に動いてくる」


何が、と主語を省いたままシンヨは話し出した。


「だからこれまで、祭を中止する可能性も、その議論を経て通常通り執りおこなうことも、すべて議論を公にしてきた」

「泳がせているということですか?」


シントの質問には、“是”と。口には出さずともシンヨのその表情が物語っていた。


「処罰の根拠が欲しい。

未遂に陥ってうやむやに逃げられるのは避けたい。現場を押さえて確実にその尻尾をつかみにいく」


神子はどこまでも囮で、道具なんだなと皮肉めいた笑みがタスルの顔に浮かぶ。


「……神子の身の安全はどうなるのです?」

「神子の衣装は、カヌンに着せる」


そう来たか、と。タスルは思わず眉を顰めた。

“身代わり”

その言葉が脳裏に浮かんだ。それと同時に、あの付き人のとことん生意気な瞳も。

生真面目で、神子を盲目的に信奉するカヌン。常に懸命に神子の付き人としての役目を全うしている彼。身分が低かろうが、その命が無条件に脅かされて良いわけない。

けれど襲撃への対応策として、神子であるケイジュを第一に守る方法が考慮されていたことに多少なりとも安堵を感じている自分に、タスルは少し罪悪感を覚える。


「背丈はやや小さいが、民衆は平生近く神子と見える機会などないから」


その点は大丈夫だろう、とシンヨはなんでもない事のように言い捨てた。


「いいか、を作ることが肝要だ。

お前たちが賊に手を出すことは罷りならん。あとは警護の衛士が上手くやるだろう」


そう淡々と伝えて、三人の顔色を伺うことなくシンヨは房を後にした。

付き人の命を守ることの優先度が、賊の襲撃の意図を明白にすることより下げられていることは明らかだった。



* * *



房に残された三人に、しばらく言葉のやりとりはなかったが、それぞれがそれぞれに複雑な思いを抱えているのは確かだった。


「……神子にせよ、付き人にせよ」


その先の言葉がうまく継げず、タスルはもう一度沈黙する。

国の平穏を守るために、人は常に駒のように使われる。


「兄さん」


強く唇を噛んだ。


「これが、大義のために見過ごした方がいい小事ですか?」

「看過できないなら。最大限の努力をするまでだろ」


シントはシントでいろいろ思うところがあるんだろう。珍しくイラついた感情をあらわにして舌打ちまじりに吐き捨てた。


「危機に瀕する対象が付き人であれ、神子であれ。今回の件で最悪の事態を一番回避できる立場にあるのは俺たちだろ?

だから、一瞬たりとも気をぬくな」

「……そうですね。

タスル、俺たちは俺たちなりの最善を尽くそう」


いつだって前向きに、その時の最善を探る。そんな長所を持つ親友の言葉が、今日ほど恨めしく感じた日はなかった。



* * * 



新嘗祭の当日。

儀式の次第として、租税として近郊から納められた穀物の荷車と共に、神子は宮城を出て馬に跨りを都の大路を練り歩く。


ただし今日は神子本人ではなく、白い神子の正装を身につけたカヌンが列の先頭に立った。その頭部を覆う紗の薄布が、大路の脇をびっしりと埋める観衆から神子の容貌を遮蔽する。


後ろに緋色の甲冑を纏った守護役の三人が随行し、護衛の衛士たちが脇を固めていた。その後に、斎部の官吏、沢山の穀物を乗せた荷車とそれを引く従僕、着飾った王宮勤めの女官と従童たちが数十人列をなす。

目に麗しい華やかな祭行列は、宮城を出て大路を一路正門に向かって南下し、正門にたどり着くとまた同じ道を折り返した。


空気が一変したのは、長い長い列の最後尾がちょうど北に向かって折り返した頃。

ヒュッと空気のなる音を、タスルの耳は捉えた。

一瞬の後、目の前を歩む白馬から神子に扮したカヌンが崩れ落ちるように落下するのが見えた。


「神子様!」


周囲がどよめき、路を埋め尽くした観衆が逃げ場のない中を左右にワッと乱れ散る。何が起きたかわからないままに、人を押し退け我先にとその場から去ろうとする者、小さな子どもを抱えながら助けを乞うもの、折り重なって倒れる者。

喚きと呻きが同心円状に周囲に波及して、大路は混沌の中に放り込まれた。

その混乱の渦中に、神子の周囲にある守護役と衛士はギラリと残忍な光りを放つ抜き身の刃を目の端に確実に捉えた。


その刃が、地に落ちて無防備に倒れたままのカヌンに迫る。

衛士達が飛びかかるタイミングは、むしろその賊の目的を明確化させるためにの方が良かったから。

偽神子はそのまま混乱に乗じて警備の衛士の手の届かぬところで、その凶刃に倒れるはずだった。


──その時。


「神子様っ!!!!!」


にわかに信じられない光景だった。


煌めいた白刃と倒れた白装束の少年。その間に割り込んだのはこの国の象徴、何よりも守られなければならないケイジュその人だった。

今回の祭行列はカヌンが密かにその代役を務めることに決まっていて、彼自身は従僕の一人として列の後方にいるはずなのに。


(なぜここに?!)


「バカっ!」


タスルは叫んだ。

間に合わない。そう判断して咄嗟に手にした抜き身の剣の切っ先を向けて投げつける。照準を定める暇もない。近接して動く賊と付き人と神子、いずれに当たってもおかしくない一か八かの賭け。


本当に俺の首が飛ぶかもしれないな、とほんのわずかの一瞬にぼんやりと脳裏に浮かんだその思惟より何より……目の前にある大切なものが、為す術なくむざむざと奪われる恐怖がタスルを突き動かした。


ほんの一瞬のはずなのに、奇妙に時間の経過は遅々として、一つ一つの動作が驚くほど緩慢に感じられた。


カヌンの前に躍り出て庇うように伸ばされたケイジュの白い右腕に切っ先がかかる直前。

タスルの投げた剣が深々と賊の喉元に突き刺さった。


赤い飛沫が周囲に散る。


その出所は……剣の突き立った首ではなく切っ先を受けた神子の腕。一瞬遅れて、今度は大量の血液がその反対側からあふれでてその衣を場違いなほど艶やかに染め上げた。


「!!」


神子を巻き込んだ流血沙汰。民の動揺は激しく、周囲はさらに混乱を極めていた。

神子を取り囲む衛士たちも、第三者が飛び入りする想定外の事態に次にどう動くべきか迷いが生じているようだった。


「衛士長はあるか?!」


その中で最初に動いたのはシントだった。


「ここに」


衛士の統轄を務める三人の兵がすぐに進み出る。


「一番は、民の誘導を。二番は賊の追尾。三番は巫女の警護にここに残ってくれ」


宰相の令息。年齢など関係のない、その身分にふさわしい明快で重みある命令にようやく衛士たちは自分の人を思い出したように動く。


医師くすしはどこに?」


今度はタスルが叫ぶ。

“不測の事態”に備えて、行列の随行の中に医師がいた。

医師はカヌンの側に駆けつけると、素早くその様子を伺い、掠めた矢に塗られた毒出しの処置を始めた。


「賊の叛逆ぞ!

お命まではとられずとも神子様がこのように害された!

怪しいものは余すところなく引っ捕らえよ」


シントの命を受けて衛士長らが大音量で叫んだ。

徐々に事の次第が明らかになりやや落ち着きを取り戻しつつあった民衆の間からもそれに呼応するような声が方々から上がり、「東の辻に怪しいものが逃げ込んだぞ!」と目撃談の叫びが方々から上がる。

賊の追尾の役を振られた衛士たちは、その声を目掛けて数人ごとに徒党を組んで方々へ駆け出した。


その様子を脇目に見届けて、タスルは右腕を抑えて疼くまるケイジュに駆け寄る。

側の血溜まりに倒れ伏した賊はすでに絶命していた。


「私は、大丈夫です。まずは神子様を」


そういって、蒼白な顔で。しかし強い光をその瞳に秘めてケイジュは微笑んだ。あくまでこの場での神子はカヌンだ。

治療を受けながらもいまだに地面に崩れたまま動かないカヌンが、荷を下ろした祭用の車に横たえられて周囲を固められながら宮城へ急ぎ運ばれていく。


ようやく、医師がケイジュの治療に訪れた。


周囲の注目を浴びながらも手早く簡易的な止血の処理を施される。出血はあるものの、幸い傷は筋や骨には届かない表面にとどまる浅さだった。

けれど手入れの行き届かない切れ味の悪い金属に醜く穿たれた傷口の洗浄や縫合などの後処置を一刻も早く受けなければいけないことは自明で。


「こちらの者は守護役の我々がお連れしましょう」


周囲からの見え方は神子を庇った英雄。その実は神子。その存在を寝殿まで送り届ける警護を申し出たのはシントだった。周囲が混乱を極めている中で、一刻も早く安全な場所へ送り届けなくてはならない。


「お前もだ、タスル。小刀しか携えてないお前に賊の追尾は無理だろう」


賊に投げた剣の回収もままならず、腰には小刀のみ佩いた状態のタスルにそう声を掛ける。


「馬に乗れますか?」


立ち上がって馬の手綱を弾きながらタスルが問うと、こくりとケイジュは頷いた。素早くあぶみに足をかけて馬上にまたがると、手を差し伸べて脇を抱えるようにしてケイジュを鞍に乗せる。

急事の手当てに引き裂かれて失われた衣の右袖から剥き出しに晒される白い腕。きつく巻かれた白布には乾き切らずに滲む鮮血が目に入る。


鞍の前に乗せると、ケイジュは目を閉じてタスルに寄りかかってくる。絶対に離してなるものかと、タスルはその腰をきつく抱いた。


「なんて無茶を、するんです」


その耳元で密かに囁くと、蒼白な顔面の中であくまで美しく輝く瞳が、後ろに向けられる。


「君の顔の方がよっぽど酷い有様だよ。死にそうなのはどっち?」


(こんな状況下で、冗談言っている場合じゃないでしょう)


タスルが眉を顰めると、ケイジュは声を立てずに笑った。


「俺は大丈夫だよ。こんなの、なんでもない」

「強がるな」


腹立ちまぎれにピシャリと言うと、目の前の肩はわずかに震えた。


「……」

「あなたに何かあったら……俺は……」

「ごめん」


俯いて、ぽそりと溢れた謝罪。


「ごめんね、タスル」


胸を塞ぐように込み上げてきた思いが一体どんな感情かも判じられないまま、タスルは無言でその細い体をそっと片腕で抱きしめた。





「衛士を数名お貸しいただきたい」


シントが衛士長に交渉し、神子を守るために必要な人員を確保すると、真の巫女を乗せたタスルの騎馬は守護役と衛士たちに伴われて早足に宮城に歩を進めた。

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