第7話

国土の最北端、隣国に連なる大山脈の麓に位置するアショク最大の湖、ジラ。

そのほとりにあるヨスク里が丸ごと大火によって焼失したとの報が入ったのは、水豊祭りから一月余りが経った頃だった。


「不穏な動きがあるらしい」


宮仕えの官吏たちが大方家路につく夕刻。

帰宅途中にチダの屋敷を訪れたシントは、タスルの自房に入るなり竹材で編まれた椅子に腰を下ろすと、ボソッとそうこぼした。


「神子の凶宣は久しぶりだった。

そして、結果的にその託宣通りに事が起こった。神子に恨みを抱くヨスク里の生き残りの民が、都周辺に上ってきていると」

「逆恨みでは?」

「その通りだよ」


一見安定してみえる現在のアショクにおいて平穏な日常の中に半ば忘れさられているが、本来、神子はこの国におけるその存在の影響力の高さから、常にその身の危険と隣り合わせの役目だった。


「次に神子が民の前に姿を表す時……祭で何かしら事が起こると。兵部内で密かに囁かれている」

「組織的な動きですか?」

「ヨスクの大火は山一つが三日三晩焼けるかなりの規模のものだったらしい。火の回りも早く里の生き残りはほぼいないという話だったが、それでもその際に土地を離れていたものもいるだろうから生存者が一桁ということはないだろう。

組織的かどうかというと、こういう憶測が流れてきている以上単数で動いているわけではないんだろうなという推測までしかできない」


結局、自分の立場では事が展開するのを指をくわえて見ているしかないのか。タスルは重いため息をついた。


「ターゲットはあくまで神子なのですか?」

「今回の契機を考えれば、“復讐劇”としてはそれが妥当だろうと思うけどな」


「というか」と、シントはそこで少しだけ迷うような素振りを見せてから再び言葉を継ぐ。


「吐け口のターゲットがあくまで神子になるよう、父上たちが最大限仕向けると思う。

襲撃の隙を与えるために、次の祭については平生通りに執り行うことになるだろう。神子と民が相対する機会は、現状そこに限られるから」

「……なぜ、神子を?」


ピクリと眉を震わせて、タスルは問う。


「王や宰相より、神子の方が代替が利きやすいってことだろ」


あえてぶっきらぼうに、シントは述べた。タスルも極力感情的にならないよう、それを受け止めて。


「それでも、神子が凶刃に倒れたらそれなりの影響がありますよね?

あえて人心を動揺させるそのリスクを犯してまで神子を襲撃させるよう仕向けてどうするんです?」


自分の父親たちをはじめ、政を自らの手で動かすことができる“選ばれし者”にとっては、それは本当に些細な事でリスクとすら感じていないかもしれないけれど。


「感情操作。特に神子を盲目的に崇拝する一般の民の怒りや同情心を煽りたいってことだろうな」

「それで……」


その先に何があるんです? と問おうとして、タスルは口をつぐむ。


(神子の襲撃という事実をもって民の関心や同情をかい、その感情を政に利用する)


民が崇め信奉する神子が害された結果、世論に悪者にされるのは加害者と被害者のどちらかは自明だ。


「何のために……」


その同情心を、何のために使うのか。それが見えないのが一層不気味だった。


「さあな」


今の俺たちには知らなくてもいいことがたくさんある、と。シントは皮肉げに笑った。


「けど、神子はただちやほやされてる存在じゃないってことだ」


神子はダジェの化身であり、この国の象徴。何よりも大切に扱われ、慮られる存在。

王と同じく、いやそれ以上にこの国の民の心の拠所であり、したがってその存在そのものや、発言・行動が世間に与える影響力は甚大。


(いつだって最高の環境を与えられ優遇され、下に置かれない立場)


美しい容姿と聡明な頭脳。洗練された立ち振る舞いをもって人を虜にする。その天性の資質をもって得た立場に相応しい待遇。

身に纏うのは清潔な絹に匠の手で切り出された華やかな装飾具。豪勢な食事に、柔らかな寝具。毎日欠かさない湯浴み。

傍には常にその意のままに傅く侍従たちがある豊かさの約束された誰もが羨む暮らし。

世に生きる人の望みすべてを具現化したような。


(でも本当は?)


タスルにははじめてその本質が、少し見えた気がした。


『神子は人に非ず』


幼い頃からそう言い含められて育ってきた。

それは神の遣いとしてその絶対的な存在を認識させるための言葉だと思っていたけれど。


(神子は、人として扱われない)


そういう解釈のほうが今となってはしっくりくるなと感じる。

その命すらまるで政の道具のように扱われる神子の扱い。どう考えても、その存在が慮られているようには、到底見えなかった。

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