第5話

祭が終わると、タスルは治部への任官を命じられた。

治部は主に王侯貴族の冠葬を司る組織。そこに付随してついでのように諸国との外交もその役割とされていた。隣国の習慣や風俗を身を以て知り、語学も堪能なタスルがその役を任じられるのは当然の成り行きといえたが。

諸国との外交に重きをおいていないアショクにおいては、国内の政の中心である中務部や、経済を回す大蔵部との権威の差は明白で。


その選任にやや不満げな父親の視線を受けながら、タスルの気鬱は全く別なところにあった。


(……やってらんねえよな)


同い年の親友アジルは自分が不在にしていた一年で衛士としての役割を得ていたから。


(俺も衛士になりたかった)


自分が望んでいたのは、大好きな武芸に打ち込みひたすらに精進できる道だったのに。


(……実力がないわけじゃないのに)


幼い頃から、好きで好きで磨いてきた剣の道。もちろん、生粋の貴族であり、国の命で隣国への遊学まで果たした自分が衛士になれるわけがないということは最初からわかりきっていた。

それでも、兵部で官吏のキャリアをスタートさせている一つ年上のシントのように、少しでも武芸や軍事に近い存在でありたかった。

内心のわだかまり。

小さい頃からの夢がこんな妙な形で破れたことは存外自分にとって衝撃が大きくて。タスルは滅入る気分を少しでも紛らわそうと父親との面会を済ませると日暮れの迫る街へ自邸の門を後にした。




宮城の東に、周囲を塀で囲まれたひときわ広い区画がある。

そこは十二歳から十五歳の少年たちが集められ、教育を受ける“上学”と呼ばれる場所だった。

全国から里長の推薦により集められた才気煥発で優秀な少年たち。そして、特権階級である貴族の子息たちが集い官吏を目指す学び舎。

ここはタスルにとって、身分も立場も別なく、共に学ぶ友人たちとくったくなく笑いあう青春の時を謳歌した場所でもあった。


「タスル様! お久しぶりにございます!」


学舎を素通りして裏手の剣の修練場に入ると、見知った後輩たちが駆け寄ってくる。


「よお、久しぶり……アジルいるよな?」


親友はかならずここにいるという確信があった。

在学中、学舎で講義を受けなければいけない時間もちょくちょく抜け出してはここに居座っていたアジルは、任官してからも剣の指南役として教師達に呆れられながら暇さえあればここにいると風の噂で聞いていた。


「ええ。今修練を終えて、武器庫の方へ行かれました」

「相変わらずだな……」


後輩の少年から伝えられた予想通りの答えに、タスルは思わず吹き出しながら親友を追って武器庫へ向かった。




「お前、もしかして実は留年してたりすんの?」


修練場の隅に設けられた武器庫の傍で、熱心に剣を手入れしているアジルに冗談めかしながら声かける。


「そうできたらよかったんだけどね」


刃に油を塗りこみながら、こちらに目もくれずアジルは返してきた。


「あんだけ講義サボってたのにさ、なんだか押し込まれちゃって」

「っとに。うらやましい」


その恨みがましい声音に、アジルは初めてタスルの方を向いた。


「……なんかあったの?」


タスルは はあ、と最大音量でため息ついて。


「俺も、衛士になりたかった」


そう愚痴ると、ニカッと腹立つくらいに明るい笑顔が返ってくる。


「アホか。わかりきったことじゃん。ナシクに遊学までしておいて、衛士はないわ」

「身体動かせないの、やなんだよ」

「俺みたいに退勤後にここくりゃいいじゃん」

「足りねえよ」

「俺が相手してやるって!」

「お前、剣舞は最高だけど剣術はからっきしなくせに」

「言うなそれ」


タスルのツッコミを受けて、アジルは本音交じりに苦笑した。

実はアジルは武芸は好きなものの剣の腕は人並みで、別段優れているわけではなかった。むしろ剣術はシントやタスルの方が成績が良かった。ただ……剣舞の才能が“有史以来の天才”と持て囃されるほどに並外れていたのだ。


「お前、次の祭の守護役の任も確定したんだろ?」


アジルの言葉に、タスルは皮肉げに笑う。

祭はその見栄えを何より重視するといえ、出自が平民であるアジルが重用されているという現状は普通のことではない。平民にも任官の道が開かれている非常に大らかな身分制度を持つようでいて、結局貴族が絶対的に優遇されるこの国のシステムにおいても、シントとタスルを差し置いて守護役の中央を務められるのはその絶対的な才能によるものだ。

それに決しておごることなく修練を積むアジルを、タスルは心から尊敬していた。

だからこそ、大した才もなく、ただ身分と年齢が相応だというだけで数合わせのように選ばれる自分がより一層惨めで。


「そうみたいだけど」


思わず溢れるのは、自嘲。


「お前もだろ?」


結果のみに目を向ければ、水豊祭の守護三役は舞台での見栄えも出来も非常に評判がよかったらしい。次回に役持ち越しという決定が早々になされていた。


「剣舞が不得手な俺が再任って……どんだけ人材不足なんだよな」

「っていうけどさ。お前の剣舞、意外に悪くないよ?

次の祭に向けてまた俺とがんばろうな?」


本気なのかフォローなのか判別のつかない軽い感じでアジルにポンと肩を叩かれる。


「まあいいじゃん。守護役のための“修練”ですって仕事抜ける口実ができるだろ? ついでに剣技の修練つめるじゃん」

「ジャクハイモノにはどこまでそれが許されんのかねえ?」


着任したばかりの治部は、古来の先例に基づいたルールに則って運用する業務が多いため、基本血の巡りの悪い貴族で構成されている、とは毒舌のシントの言だ。

実力ではなく身分だけに奢った年長者に今後どれだけ下っ端としてこき使われるのか。自分の行く先を思いタスルは頭を抱えた。


「お前みたいに一日中頭使わずに生きたいんだよ俺はあ」

「お前の中の俺の印象、どんなんよw」


アジルはタスルの気の置けない率直すぎる言動に呆れつつ、あくまで寛容にケラケラと笑い転げた。


「ちなみに俺だってさ。衛士だけ任じられたわけじゃなくて斎部と兼任なんだよ?」


斎部は三月に一度の“祭”をはじめ、国の年中祭事を司る。つまり、アジルは文官としても任を得ているということで。


「お前、頭も使えんのかよ?」

「だからどんだけ俺のこと見くびってんのお前はwww」


アジルはひとっつも気を悪くしたそぶりなくまたケラケラと笑った。


上学に在学中もこうやって軽口ばかり叩き合って、日々を過ごしてきた。近しい友から平民の言葉を覚えて、異なる価値観を学んだ。

生まれたときから王の元でこの国の執務の主権を担う“七家”の子息として他者に傅かれ下におかれない扱いを受け、これからも常にその家を背負って生きなければいけない。

内乱や隣国との争いもなく、政はうまく機能し、平穏な時代に生まれ、側にはシントのように同じ立場にあることを共有出来る存在もいる。だから、そういう運命の元に生まれたことを別段気に病んだことはないけれど。

けれど、そういうものをすべて取っ払って一人のタスルという人間として振る舞える瞬間をくれるこの友人は、何にも代えがたい大切な存在だった。


「アジル、ここ《都》に残ってくれてありがとな」


思わずそんな本音をこぼすと。


「お前のためじゃないよ」

「知ってるよ」


冗談交じりの牽制を挟んで、アジルはニヤッと笑う。


「あ、やっぱ違う。お前のために残ったんだったわ」

「何が言いたい」

「今日の夕飯奢って。腹減った」

「やだよ、お前もう支給もらってんだろ。俺、まだ無職無賃だもん」


タスルも負けじとニヤッと笑う。


「文武兼任の官吏様、お恵みください」

「……無理、割り勘な」

「ケチ」

「はあ? お前の方が懐に余裕あるだろー絶対!」


そんな風にぎゃーぎゃー言いながら、タスルとアジルはそれでもつかず離れずいつもの距離を保って、路端に松明の灯り始めた夜の街の中に消えた。

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