第1話 発端

「夢……?」


 目元を擦る。

 空気は朝の湿気のせいで生ぬるく、水の中の様。ただ、この僅かな寒気は季節特有のもので、秋口の寒さを受け俺は羽織ってるトレンチコートの前を留めた。


 座りながら簡単なストレッチで身をほぐす。

 そこは地面に落ち葉を敷き詰め、枝葉の付く太めの枝で組んだテントの中。


 そこでしばらくボケっと過ごし、だんだんと頭のはっきりしたところで金属製の水筒から水を飲む。

 歯に染みる冷たさ。

 だが目は覚めた。


 さらにポーチから干した果物を取り口に含みつつ、テントから這い出ると背の高い針葉樹の森。


 肩から革帯で吊るす猟銃を片手に立ち上がる。


 今は狩りの最中だ。

 冬の前、越冬に備えた食糧確保は急務。

 特に肉類が不足しがちで、干し肉を作るため鹿は何頭か仕留めておきたい。


 そんな目論見で簡単な食事をしつつ落ち葉を踏みつけ、歩き始め、


 ——そうして30分ばかり経った頃


 視界の端に動く影を捉え目を凝らす。


(いた……)


 焦茶色の毛並み。

 立派に枝分かれした巨大な角を持つ牡鹿。

 キョロキョロと周囲を伺うつぶらな瞳は草食動物特有の視界の広さ、見つからないようこちらは草陰に身を隠す。


(風下。匂いで気づかれることはない)


 状況を頭の中でまとめていく。

 俺が川の近い場所で陣取ったのは水を飲みに来る動物を狙うためで、その意図が功を奏したようだ。


(かなり運が良い)


 森に潜ってからたった2日で丁度良い獲物にありつけた。


 村のみんなもきっと喜ぶだろう。

 だが、あんまり欲をかき過ぎたり、感情に気を取られては行動に支障が出る。だから頭はなるべく空っぽに、冷静にしていく。


 そうだ。俺はそれが得意なのだ。


 なんとなく、いつも自分の行動を頭の中でもう1人の自分が捉えている気がする。

 だから、確信が待てるほどに落ち着けば、それは確かな冷静さ。


 そうして呼吸を整えウォールナットの木で作られたストックを肩に当て、猟銃の照門を覗き込む。

 スコープは付いていない。


 帝国の崩壊に伴い軍用銃は結構な数が市場に出回ったが粗悪なコピー品も多く。

 そんな品々が氾濫する市場で質の良いスコープなど高望みも良い所。

 この猟銃、払い下げの38式歩兵銃も、これだけ良い物を見つけるのは苦労したと師匠は言っていた。

 それを借りて、こうして畑の手伝いの傍ら狩りに出る。

 やり方は師匠に教えてもらった。

 元々あの人が村で猟師をしていたが、近頃は体調が悪いらしく、元々教わっていた俺がその役目を引き継いだ。

 一応、代わりが務まる程度に才能があったらしい。


 自分ではピンと来ないが、目が良いとは言われた。

 その目でたった今、標的の動き一つ一つ、筋肉の微動に至るまで捉えていく。


 生物とは本来予想のつかない動きをする物だ。

 だが筋肉の動きさえ読めてしまえば、その次の瞬間の動作が分かる。前へ進むのか、頭を下げるのか上げるのか、そして皮と肉に詰まった臓器の位置さえも。


 臓器も大切な食糧だ。できれば傷つけたくない。

 だから俺は常に眼球を狙う。

 眼球を撃てばその奥の脳に弾が侵入し、標的は即死する。なるべく苦しませずに済む。


 だから、銃口はその延長線に据えて迷うことなく引き金を徐々に引き絞ってゆく。

 装弾数は5発だが、弾薬は1発しか込めていない。

 あまりバカスカ撃っては弾が勿体無い上、次の弾を撃つ甘えを残す気がする。


 そして


——ストックに載せた頬に衝撃


 野鳥が空を舞い、耳へ響く炸裂音。

 全て予定調和の様に視線の先、牡鹿はヘタリと力を失いその場に倒れ、ほんの少し山の斜面を滑った。


 そうして照尺から目を離し、小走りに周囲を素早く伺いながら片刃のナイフを抜き、手早く血抜きにかかる。


 肉と皮の、硬くグニグニした物を引き裂く感触。


 俺は今、命を感じている。

 首から流れ出るトロトロした血液。

 口に含めば間違いなくマズいのだが、少しその想像の心地よさに、舐めてみることもあった。

 すると俺の冷静な部分は何をやっているんだ、とツッコミを入れてくるのだ。


 ただ、そうした価値は邪念に似ている様で、それは森で一際目立つ物。

 それを時折漏らしてしまうのが、俺の猟師として半人前たる所以ゆえんだ。


「うわ」


 30mは離れた木の影。

 冬眠前の熊がこちらを窺っている。


 息は荒く、その目は俺が今仕留めたばかりの鹿を爛々と眺めていた。

 どうやら鹿を狙ったのは俺だけじゃなかったらしい。

 そして、熊は常に獲物に執着する物。

 それを横取りされたとなれば、ブオッブオッと鼻を鳴らし四つん這いのまま一直線にかけずり、こちらへ迫ってくる。


 速い。

 人と肉食動物のその身体能力の差。

 人がどれだけ走っても高が知れてる一方で、獲物を狙う獰猛なクマは軽く時速60キロを超え追ってくる。


 だから、逃げても意味がないのでその場にとどまり、こういう時は銃をあまり信用していなかったのでそれは地面に放り、ナイフも地面に放り、もう一本持ち歩く刃物、細身のバヨネットを引き抜く。


 そして——人生には程よい手加減が必要だった。


◆◆◆◆


「あ、お帰り」


「ん、ただいま」


 山を降りたところ。

 山道と地を這う野道のちょうど境界にその岩は位置して、俺の身の丈ほどの高さのてっぺんで彼女は待っていた。


 足をプラプラ揺らして座り、何が楽しいのかニマニマ顔を綻ばせながらこちらを見てくる。

 見つめられると目を逸らしたくなるのが俺の性分で、そうしながら会話を切り出す。


「畑仕事は?」


「んー……今日はちょっとね」


 やや間を置いて返しつつ、彼女は飛び降り、道行く俺の横に続いた。

 年は14。相応に小柄で、成人を前にしてあまり畑仕事に精を出さず、こうしてプラプラ遊んでることの多い彼女。

 名はアルカ。


「村長に怒られるだろ」


「いんや、もう諦められてる。それに兄貴に目をかけてるから、私はとっくに放任主義よ」


 肩のあたりで切り揃えた黒髪が、風に吹かれてなびく。

 ここいらの地域は夏から秋にかけ日差しが強いはずなのに、彼女の肌には日焼けがまるでなく、白い。

 彼女の父親の村長も、その息子である彼女の兄も、肌は結構焼けている。

 先祖に日焼けしづらい人間がいて、その要素を隔世遺伝で受け継いだのかと、そんなことを考えながら、しばらく横顔を眺めた。


「何?」


「いや」


「見惚れてんの?」

 

 イタズラっぽく笑ってくる。


「そんなわけあるかよ」


 なるべく冷静に言った。

 村長彼女の父親から、娘を嫁にもらってくれ、みたいな圧を受けることはあったが、そんな気にはなれない。

 仲が悪いわけじゃないが、自分がこいつ——アルカとそういう仲になるのはちょっと想像がつかなかった。

 多分、彼女もそうだろう。

 俺とこいつの関係は友人がいいところ。


「つーか、並んで歩くならこれ引っ張るの手伝えよ」


 俺は今、縄で繋がれたソリを引いている。

 それには粗方切り分けた鹿の肉を載せていた。

 獲物を仕留めた後、それが1人で持ち運べる量なら、こうして運搬用のソリに乗せ、引きずってくる。

 正直言って獲物を仕留めるまで山でウロウロするよりこっちの作業の方が大変。


 1人で運べるとはいえ重たい物はやはり重たい。


「やだよ。こんな細腕にそんなの期待しないでよねー」


「そうかいそうかい。じゃ、いいや」


 期待はしていなかった。


「そんなことよりさ、仕留めたのって本当にソレだけ?」


 鹿を指差し言う彼女は、時折勘が鋭い。


「……なんで?」


「なんでってことは……ま、いいや。ナガト兄ちゃんはいつも秘密が多いからねー」


 多分、俺が彼女を気にかけている理由もそれだった。


 重ねて述べるが、——人生には程よい手加減が必要だ


 俺は遭遇した熊をバヨネットで刺し殺した。


 熊を刃物で殺すなら、心臓を正面から刺すか、眼球を深々突き、脳を傷つけるかの二択。


 今回は後者を選んだ。


(鹿はともかく、クマ殺したことバレたら引かれるしな……)


 自分の全力は発揮しない。

 手札は常に伏せ、隠しておく。

 必要となるその時まで。


 ただ、アルカにはその場面を一度目撃されていた。

 それは師匠と俺がこの村に居付き半年経ったくらいのこと。

 彼女が山に遊びに行ったきり戻らない事が一度あり、村人総出の捜索が行われた。


 その時、俺は納屋にあった鉈を手に山へ分け入ったのだ。

 ときたま猟の手伝いに出て山でウロウロしているので、地形に詳しい自負があった。


 その時、その時だ。

 俺がたまたま木から落ちて骨を折ったのか寝そべったままのアルカを先に見つけ、たまたま狼の群れが彼女を襲おうとしていたので、それを助けた。

 別々に過ごす事の多かった彼女に付き纏われる様になったのはそれからだ。


「それよりさ」


 アルカが話題を変える。


「また、アレ、『鋼骨塊』載せてよ」


「もう無理だろ。ありゃ元々1人乗りだし、お前最近背ぇ伸びただろ」


「えー……詰めれば乗れるでしょ。あれ元々兵器なのに畑の水撒きにだけ使ってるんじゃ勿体無いよ」


「目的もなく乗り回すのももったいねえわ」


「えー、だって、リョウコさんに色々たまに教わってるじゃん。そう、その実力を発揮する機会をさあ、あげようっていうさぁ……」


「ダメダメ。そんなんやってる暇ねぇよ」


「えー……ケチ」


 なんて他愛もない会話。

 俺と師匠がこの村に居着いてからの、ここ数年の生活は、このようなテンプレートなタスクに追われている。

 闘争に身を置く生活から抜け出てたどり着いた、この穏やかな日々を愛おしくは思っていたが、時に、もう1人の自分が急き立ててくる。


 己の本性を思い出せ。

 闘争を求めろ——と。


 果たして、その自分がこんな事態を呼び寄せてしまったのかは知らないが、この日々がほんの一時、崩れることになる。


 「あれ、なに?」


 俺の方が先に気づいてはいた。畑道を過ぎ、藁葺き屋根で漆喰の壁の家々が立ち並ぶ中、剥き出しの道の途中、ぽっかり開けられた広場に人が集まる。


 よく見知った村人達が遠巻きに眺めるその場所に、とても見覚えのある衣装を纏う男達、しかし明らかに余所者である男達が居た。

 そしてその背後に控える全長5メートル弱、暗めのパープルに塗られた細身の鋼鉄の巨人、『鋼骨塊』が3機、両膝をつく姿勢で駐められていた。

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