第17話:イレーネの憂鬱

 イレーネ・グリスは憂鬱だった。


 ラビリス・トラインが引きこもってから、今日で二日目。

 ミュール家の邸宅、二階端にある最も豪華な客間――今はラビリスの部屋となっている――の

扉は、固く閉ざされている。


 今日もイレーネは、趣味と実益も兼ねてフリーダのために朝食を作り、一緒に食事を取り、ラビリスが心配なので学校を休むとまで言い出したフリーダを無理やり追い出してから、「よし」と気合を入れる。


 ……フリーダは時々こういうミスをやらかす。

 大事なことを、その場の勢いに任せ、無計画で進めてしまうのだ。


 身近な人を蔑ろにする、というわけでは決して無い。

 メイドも執事もコックも大事にしているし、フリーダの『おはよ、いつもありがとっ!』という笑顔は分け隔てなく向けられ、異変を感じ取れば『大丈夫? 疲れてない?』と気遣いしっかりと休暇を与えて……。

 それに[有給休暇]という制度を議会の反対を押し切り制定させたのも、フリーダ(表向きは父のアマルガン)だと聞いている。

 つまるところフリーダが生まれてから、ミュール家は民衆たちの強い支持を得、同時に現体制を支持する貴族にとって都合の悪い存在となったのだ。

 しかし――。


(フリーダ様は、魔力の存在を蔑ろにしすぎている)


 そういう直感が、イレーネにはあった。


 魔力は世界の根幹だ。

 あらゆるものに宿り、伝わり、この世界を形作っている。

 六歳のイレーネでも知っていることだ。

 だが、フリーダにはその感覚が欠如しているように思える。

 以前、彼女が掲げた鉄道計画だってそうだ。

 魔獣は、魔力に引き寄せられる。

 そんな常識をフリーダは忘れて、魔力を帯びた線路と魔導線を国中に繋ごうとしたのだから。


 故に、彼女の素晴らしく斬新で無計画な発明に、中身を入れる者が必要なのだ。


 ――と、祖父から常々聞かされていたイレーネは、一年ほど前にミュール家の邸宅に招かれ一緒に暮らすようになってから一月も経たぬ間にそれが紛うことなき事実なのだと思い知らされたのは良い思い出である。


 ふと、イレーネはフリーダへの愚痴を言う祖父の横顔を思い出す。

 祖父はため息をついていたが、口調はどこか明るく、楽しげだった。

 そして最後は、こう言うのだ。

『彼女を支えることができれば、国は豊かになる』


 イレーネが物心がついた頃にはもう、フリーダは工房に出入りしていた。

 だからイレーネは……家柄の差を考えれば酷く無礼かもしれないが、フリーダを従姉妹のように思っている。

 そしてその感覚を許してくれる気安さが、フリーダにはあるのだ。


 そんなことを考えながら、イレーネはちゃんとフリーダが学校に向かったのを確認してから踵を返す。


 ――気安いから親しみやすくて、気安すぎるから話がややこしくなる。


(こういう時のために、お爺ちゃんはここに私を送ったんだ)


 期待されている、という確信がイレーネの自信となれば、彼女は意図的に足音を鳴らしながらエントランス中央の大階段を登り、廊下を進みやがてラビリスの部屋の前で立ち止まる。


 正直なところ、イレーネはラビリスが苦手だ。

 恐らく、ラビリスはイレーネのことなど見ていない。

 視界に入っても、言葉を交わしても、ラビリスの思惟がこちらに向いていないのだ。


 ――この人は、人間が嫌いなんだ。


 というのはイレーネの直感である。

 本当なら、もう二度と関わりたく無いような相手なのだが、フリーダを支えると心に決めた手前、これは自分の仕事だろう。

 気安いフリーダは自分で解決したがっていたが、握手会で十人ほどの市民から声をかけられ『いつもありがとう』と感謝まで告げられたフリーダの言葉は、来客0人だったラビリスには届かないのだ。


 しかし、とイレーネは思う。


 自分よりもずっと年上のメイドの中には、ラビリスを熱狂的に支持――それどころか崇拝している者がいる。


 ――この違いは、何なのだろう。


 どう考えても、フリーダよりラビリスを取る理由が思い浮かばない。

 しかし、現実として長年フリーダに仕えておきながらほんの数ヶ月でラビリス側に寝返っている人がいる。

 これは認めなければならない。

 では、何故――?


 そんな興味を持てば、やがて好奇心が湧き上がり、いても立ってもいられず首を突っ込んでみようかと考えてしまうのもイレーネなのだ。


 イレーネは閉ざされたラビリスの私室の前で、すうっと息を吸い込み、大声で言う。


「おはよーございまーす! イレーネ・グリスがお部屋に入りまーす!」


 返事を待たず乱暴に扉を開けると、天蓋付きの大きなベッドの上で掛け布団にくるまっているラビリスがのそりと顔を覗かせ、低い声で言う。


「……入って良いと言ってないんですけど」


 何故フリーダよりこれを選ぶ人がいるのだ?

 とイレーネはラビリスを無視して部屋の様子を伺う。

 部屋は薄暗く、閉めっぱなしの雨戸から外の光がわずかに漏れている。

 脱ぎっぱなしの下着が散らばっており、更には昨晩厨房の冷蔵庫から勝手にくすねてきたであろうハムやパンの食べかすがベッドの側に散らばっていた。


 酷いなこの人、とラビリスへの嫌悪を強くする。

 イレーネは、だらしのない人間が嫌いなのだ。


「あー、先に雨戸開けますねー」


 イレーネはぐぐっと背伸びし、少し高い位置にある最近壁につけられたばかりの[魔導雨戸]開閉のレバーを上げる。

 カタカタと音を立てながら雨戸が自動で収納されると、窓から日光が差し込まれていく。


「フリーダ様はこれ絶対いるって力説するんですけど、私は正直いらないと思うんですよねー。ラビリスさんどう思います?」


 明るい日差しがベッドのラビリスにかかると、彼女はぎゅっと目をつむり顔を反らした。


「眩しい……」

「なんか部屋臭いので窓も開けますねー」


 言いながらテキパキと窓を開けていくと、濁った空気が少しずつ入れ替わり、足に履いたままのスリッパの先で脱ぎっぱなしの服を一箇所にまとめていく。


 ラビリスがむすっとした様子で言う。


「……無礼じゃありません?」

「ありませんよー。私、立場上はミュール家のメイドってわけじゃないので」


 つまるところ、ぴっちり着こなしているメイド服も綺麗なカチューシャも、食事の用意も、イレーネの趣味だ。

 勿論フリーダは反対したが、イレーネは我儘で押し切ったのだ。

 我儘の内容は……思い出したくない。


 と、ラビリスがなめらかに言った。


「……それは――あなたのお父様が、原因?」


 ぞわり、と悪寒が走る。

 わずかに体を強張らせたイレーネの様子を見て、ラビリスは満足げな笑みを浮かべる。


「――ご顕在のはずなのに、いつも話題に出るのはお爺さまと、時々お母様。露骨にお父様のお話を避けていましたよね?」


 ――なんだ、こいつ……。

 一瞬ラビリスの顔のイメージが、まるで卵の殻のように目も鼻も口も無い化け物に見え、イレーネは怯えた。


「ああ――ふふ、ごめんなさい。当てずっぽうだったのですけど、イレーネ……さんが、下着を蹴る様子が随分と……こなれている?……恨みが込められているように感じたので」


 やがて卵の殻にひびが入ると、中には何もない空洞が除き見え、こちらを真っ直ぐに捉えていた。

 空洞が、笑う。


「――とても、だらしのない方なのですね?」


 やがてそれは、ゆっくりと起き上がり、イレーネに手を伸ばす。


「苛立つお気持ち、良くわかります。ああはなりたくないから、毎日あなたは頑張っていらっしゃる。良く、頑張りましたね。イレーネ・グリスさん? 尊敬いたします。――ふふ、わたくしたち、お友達になれると思いません? とぉっても、仲の良い――」


 空っぽの女から伸びる白い指がイレーネの頬に触れそうになった瞬間、脳裏に浮かぶだらしのなく不愉快な父の姿と、それでも『技術者としては凄い』と褒めちぎるフリーダの姿が重なると、イレーネは咄嗟に指を振り払った。


 ふと見やれば、空っぽの女のイメージはいつものラビリスに戻っており、彼女の瞳は冷ややかな色をたたえていた。


 ――メイドの人たちは、これにやられたんだ。


 心の隙間にするりと入り込み、誰にも言えない後ろめたさを優しく肯定してくれる――怪物。

 だが、同時にこうも思う。


 ――フリーダ様は抗えている。


 イレーネは、フリーダを過大評価していない。

 というより、お世辞やおべっかをフリーダは嫌っている。

 工房で祖父の仕事を眺めていた頃からの付き合いだから、わかる。

 祖父と、そしてフリーダから、いつか対等な存在として横に並ぶことを求められているのだと、イレーネは理解していた。


 ……フリーダがどういう理由でラビリスを手元においているのかわからない。

 正直なところ、この女からは負と災の臭いしか感じない。

 しかし、イレーネはもっと幼い頃に聞いた祖父とフリーダの言葉を思い出していた。

 記憶の中の祖父が、穏やかな声で問う。


『理屈は、わかる。だが……嫌な言葉だね』


 すると、フリーダが一度だけ何かを思い出すような素振りをしてから、苦笑する。


『私も、どっかで誰かが言ってるのを聞いただけですから、これが本当に正解なのかはちょっとって感じなんですけどね』


 この時は、何があったんだったか――。

 色々有りすぎて、どの時だったのかは思い出せない。

 確か、最初に売り出そうとした魔導具の販売権を、魔術師ギルドに取られた時……?

 いや、それは自分がまだ一歳かそこらの話だったはずだ。ここまで鮮明に覚えている時期ではあるまい。

 では、実は魔導師ギルドが裏で糸を引いていた民衆たちの襲撃の時――?

 それとも、それとも――。


 記憶の中の祖父が、もう一度、フリーダから聞かされた言葉を半数する。


『本当に救わなければならない人は、救いたい姿をしていない――』


 すると、すぐにフリーダが続く。


『たぶん、倒して終わりじゃ駄目なんです。それじゃ結局、似た境遇の誰かが次を担うだけで……』

『――[第一魔導炉]が完成すれば生活の在り方が変わり、国の在り方も変わる、か……』


 イレーネは、ようやく一つの可能性に行き当たる。


 ――フリーダ様は、ラビリスを変えようとしている。


 同時に、こうも思った。


(わたしは、フリーダ様の横に立つんだ)


 気がつけば、イレーネはラビリスの蔑むような瞳を真っ直ぐに見つめ返していた。

 イレーネは言う。


「どうして、私と友達になりたいって思ったんですか?」


 一瞬、ラビリスの瞳に怪訝な色が浮かぶも、彼女は言った。


「…………いえ、イレーネ様が少し、可哀想だと感じましたので。……お嫌いでしょう? お父様のこと」


 ああ、なんて嫌な女。

 けど……なんて、可哀想な人。

 イレーネは、臆さずに言う。


「そうですよ、嫌いです。あの人だらしないし、お母さんに迷惑かけてばっかり! 私は、お父さんみたいな人にはなりません!」

「でしたら――」


 と薄く笑ったラビリスに、イレーネはうんと背伸びをし、胸を張ってみせた。


「でも、お父さんはフリーダ様も認める魔導具師で、作業用ゴーレムとか、今度納品される色んなやつはだいたいお父さんが最終調整をして、ようやく完成してるんです。だから、私はお父さんみたいな一流の魔導具師になります!」


 思考して、口に出して、ようやくわかった。

 たぶん、これが自分の偽らざる気持ちだ。

 嫌いだし好きで、あんなふうになりたくないけど、なりたいのだ。


「……そう」


 とラビリスが寂しそうにイレーネから視線を外す。

 この人はきっと、人の負の部分しか見れないのだ。

 だから、負を抱えている人たちの心にするりと入り込む。

 自分と、同じだから――。

 それはきっと、不幸なことだ。

 イレーネは言った。


「じゃあ、私は自分のことを話したので、今度はラビリスさんが話してください!」

「……そんな決まりは――」

「友達になりたいって言いましたよね! なので、なる前に自己紹介は大事ですので、話してください!」

「別に、わたくしは――」

「私六歳なんですけど! 将来フリーダ様を超える人材なんですけど! 仲良くしておいたほうが良いと思うんですけど!」


 ふいに、ラビリスの眉間にしわが寄る。


「フリーダを、超える……? あなたが…………?」


 ややあってから、こらえきれなかったらしいラビリスは「ふっ」と鼻で笑った。


「うわぁ、大人なのに失礼な人……」


 と、ラビリスは視線を反らし自嘲気味に笑う。


「いえ、フリーダがどれだけの……偉業、を、成し遂げてきたかお子様のイレーネさんには理解できていないようなので」

「知ってますけど。それ大体うちの工房でやったことですよね?――あ、ちょっと言い方ムカついたんでラビィのことは呼び捨てにしますね」


 そう言いながら、イレーネはラビリスのベッドにひょいと腰を下ろすも、肌に触れた洗ってないシーツの質感が気持ち悪く、げんなりする。

 ラビリスは眉間に寄せた皺を一層濃くしながら言った。


「それはほんの数年の話です。フリーダは……もっと、早くから行動を始めていました」

「実際の発明はアマルガン様じゃなくてフリーダ様ってやつでしょ?」

「それよりもずっと前だと言いました」

「じゃあそのずっと前の話、ラビィが話して」


 一度、ラビリスはこれみよがしに不愉快そうな表情を浮かべるが、イレーネは聞くまで絶対にこの場を動かない覚悟で腕を組んで見せれば、ややあってからラビリスは渋々語りだす。


 家族やミュール家の者以外から聞くフリーダの評は新鮮で楽しく、相手が失礼なラビリスということを忘れ、楽しんだ。

 工房に出入りする前のフリーダが何をしていたか。どんな人だったか。

 概要は祖父から聞かされた通り、優秀で、街のパン屋だったベティ家と手を組み飲食事業を拡大。

 更には戦火の傷跡が残る貧民街の人々に仕事を与え、街を豊かにし――。

 ある日を境に、フリーダの偉業はピタリと止んだ。

 ラビリスが、淡々と言う。


「フリーダは、敵を作りすぎたことに気づいたんです」


 それは、フリーダが六歳の時だった。

 街が豊かになるに連れ、貧民街が綺羅びやかな住宅街に変わり始めるに連れ、かつてミュール家の独裁を打倒し再び国を統治するようになったトライン派の力が、揺らぎ始めたのだ。

 戦後の復興にトライン派が手こずっていた、というのもある。

 フリーダのやり方が、トライン派を蔑ろにした乱暴なやりかただった、というのもある。

 様々な要因が重なり、結果としてフリーダは全ての権限を容易く手放した。


「あれだけの人を救って、あれだけの人から求められて、同じくらい憎まれて……そうやってやっと手に入れたものを、フリーダは簡単に捨てたんです」


 その忌々しげな口ぶりに、イレーネは妙な違和感を覚える。

 ラビリスは続ける。


「トライン派はすぐに、フリーダが手放した事業を自分たちのものにしようと群がって、それが、醜くて……」


 同じトライン派同士の争いで、人も死んだらしい。

 どの事業を、どの家のものにするのか。あるいは独占するか。醜い争いが繰り広げられた結果皇帝派は更に弱体化し、最終的に[商人ギルド]の管轄となった。

 そして、少し遅れて[商人ギルド]の長は国の食卓に多大な貢献をしたベティ家の者となり、最終的にフリーダは自分の手を一切汚さず敵を自滅させ、再び全てを手にしたのだ。


 ラビリスは、ほう、と重い息を吐き、俯いた。


「あんなに、誰かを……怖いと思ったのは、初めてでした」


 自分が、なんとかしなければならない。

 ラビリスは何かできることは無いかと模索するも、すでに一部のトライン派はミュール派に寝返っていた。

 それどころか、フリーダの躍進を恐れ、更には時期ミュール王朝を見越した教会が聖女の称号の授与まで考えているのを知り――。


 ラビリスは、口を噤んだ。

 彼女はそのまま黙りこくってしまったので、イレーネは仕方なく口を挟む。


「フリーダ様はそれ全部断ったって聞きましたけど」


 ラビリスは答えない。

 ただ、ぎゅっと唇を噛んでいる。

 イレーネは言った。


「聖女の称号、欲しかったんです?」


 ラビリスは小さく息を呑む。

 イレーネは続けた。


「それを、フリーダ様に取られて、簡単に捨てられて、悔しかった?」

「…………わたくしは、そんなに小さな人間ではありません」

「ええー、私はそれやられたら滅茶苦茶ムカつきますけど。っていうかフリーダ様ってなんか価値観違いすぎて、そういうのまともに相手してると疲れる人ですよ。っていうかあの人は――」


 むしろ自分で価値を作るタイプ。

 そう言いかけたところで、イレーネはようやく気づく。

 ああ、そうか。この人は――。


「……フリーダ様に、勝ちたいんです?」


 ラビリスは答えない。ただ、一度だけ目元をぴくりと反応させただけだ。

 イレーネは問う。


「フリーダ様に勝ったこと、あります?」


 ややあってから、ラビリスは首を横に振る。


「あれ、学校のテストの順位、フリーダ様そんな高くないですよね?」

「…………さっき言ったでしょ。フリーダは、わざと順位を落としてる。敵を、作らないために――」


 ……本当にそうか?

 というか、イレーネが知るフリーダの人となりから考えるに、たぶん[商人ギルド]の件は全部偶然で、それどころか最初に諸々全部手放した時は悔しくて悔しくて泣いてそうだが……。

 それに、こうも思う。


「順位で勝ってるなら、勝ちじゃないんです?」


 恐らく、フリーダがあえて順位を落としているのは事実だろう。

 この手のプライドが微塵も無いのは良く知っている。

 だが、フリーダはどちらかと言えば『本当はできるけどあえてやらない』ではなく、『やる必要がないからやらなくて良いや!』というタイプに見えるので、ある意味テストは全力だったのではなかろうか。

 だが、ラビリスは強い口調で反論した。


「そんなもの、本当の勝利とは言えません」

「うーわ、めんどくさ……」


 思わず声に出ると、ラビリスは苛立った様子で続けた。


「手を抜いているフリーダに勝っても、別の勝負で負けてるんです! これはさっき言ったでしょ!?」

「あー……はい、[商人ギルド]のくだり」

「今回だって、の握手会だったのに、誰も来なくて、フリーダには来て……」


 また、勝てなかった。

 ラビリスはそう低く呻き、ぎゅっと自分の体を抱いた。

 ほんの少しだけ、本当のラビリスが見えたような気がしたイレーネは、少しばかり考えてから問う。


「じゃあ、どうしたらラビィの勝ちなの?」


 結局、大事なのはそこなのだ。

 勝てない。勝ちたい。また負けた。勝ったのに相手は手を抜いていたから勝ちじゃない。

 じゃあ、本当の勝ちって何?


「………………わからない」


 長い沈黙のあとそう漏らしたラビリスに、イレーネは呆れた。

 この人は大人なのに、子供だ。

 と、ラビリスは恨めしそうな顔をイレーネに向ける。


「それで、イレーネさんはフリーダにどうやって勝つと? 一時は教会が無様に屈するほどの、フリーダ相手に、何を、どうやって?」


 この大人、子供に八つ当たりしてるのか? と思わないでもなかったが、勝ち方の答えはとうに出ていた。


「私が、フリーダ様の作る魔導具より良いものを作れば、勝ちですけど?」

「……フリーダは魔導具が全てではありません。例えそこを上回ったところで――」

「えっと、他は別にどうでも良くて、私が世界一の魔導具師になれば、フリーダ様は私を頼らざるを得ないですよね?」

「……それは、そう、ですけど――」

「だったら、事実上私の方が上ってことになりません? 私が嫌だって言ったらフリーダ様は何もできなくなるし」


 確か、祖父とフリーダが昔そんなことを話していたのを覚えている。

 労働者の権利とか権限とか、そんな感じの、大人の話だ。


 いつの間にかラビリスは静かになり、目をパチクリさせながら真剣に何かを考え始める。

 イレーネは言った。


「ここだけの話なんですけど……帝都の西にある大市場、フリーダ様は潰すつもりなんですよね」

「えっ!?」


 とラビリスはぎょっとしてまくしたてる。


「え、え!? あそこは、フリーダが最初に作った、帝都で一番大きな市場ですよ!? フリーダが作ったんですよ!? それをフリーダが潰すんですか!?」

「んー、なんか……もっと良い形があって、たぶんそれはそのうち他の誰かが思いつくことだから……今、自分で潰さないと、補填ができなくなるとか色々言ってました」


 残酷だが、それが一番被害が少ない、らしい。

 ラビリスは絶句する。


「一番の、市場なんですよ……」

「ですよねぇ。だから、うちの工房もそのうちフリーダ様に潰されるかもしれなくて、私が世界一にならないと駄目なんです。工房潰したら、私が他に行くぞとか、独立するぞって言えるように」


 これが、グリス工房を守ることにも繋がり、フリーダの役に立つことにも繋がり、更には対等な立場に立つための最善手だとイレーネは信じている。

 というより、単純に魔導具の発明が楽しい。


 ふと見やると、ラビリスはどこか真剣な様子で、


「世界一で、独立――」


 とつぶやきながら考え込んでいる。

 イレーネは問う。


「目指すんです?」


 ラビリスは答えない。

 だが、彼女の沈黙はどこか希望の色を感じさせる沈黙だった。

 それならば、とイレーネは笑った。


「ここから先は私とラビィで競争ですね?」

「競争……?」


 ラビリスがきょとんとした様子で首をかしげる。

 イレーネは得意げになって言った。


「どっちが先にフリーダ様を超えるか、です」


 イレーネは返事も待たずベッドから飛び降り、一度だけ振り向いて笑う。


「朝ごはん、まだあるんで来てください。食べますよね?」


 しかし、ラビリスは何も答えない。

 イレーネは彼女の頭部を軽く叩くと、ラビリスは今されたことが理解できず、絶句したまま「……は?」と抗議の表情を見せたが、全てを無視して無理やり手を引き、食堂を目指す。


 同時に、ふと思う。

 ――私は、お母さん似だ。

 イレーネはそれが誇らしいのだ。

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異世界アイドル革命!死に戻り悪役令嬢は閃いた『こいつら全員アイドルにしてしまおう!』 清見元康 @GariD

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