第16話:本当の敵と新しい目的

 帰宅直後、私はラビリスを連れ、父の書斎に突撃した。

 月はとうに登りきり、それでも父は仕事をしているのはわかっている。

 基本的に、父は朝、昼、夕と家にいない。

 父と私の時間が交わるのは、寝る前の僅かな間のみ。

 元をたどれば、私が立案した様々な事業を押し付けてしまったのが原因だが――。


 母は、私を産んだ時に亡くなった。

 良くも悪くも、父は仕事に没頭した。

 ……してくれた、と言うべきなのだろうが。


 正直、父アマルガン・ミュールに対して、娘のフリーダ・ミュールとして触れ合うことができない。

 私にとって、父は他人なのだ。

 私にとって、本当の家族は、元の世界に残してきてしまった……人たち。

 良くも、悪くも――。


 故に、わざわざこんな時間に、それもラビリス連れでやってきた私に父は少しばかり驚いていたが、今回は本当にラビリスの根底に辿り着けそうなので、諸々の遠慮は一切しない。

 感謝はしている。同情もしている。

 だとしても、私は今まで得た信頼やら何やらのリソース全てを使い切る覚悟だ。


 私は意を決し、ラビリスの本当の母についての質問をすると、父は慌てた様子で椅子から立ち上がる。


「な、何を――」


 しかし、父は次の言葉を紡げず、一度目を泳がせてからようやく口を開いた。


「何を、馬鹿なことを。つまらん噂だろう? キミたちが気にするようなことじゃ無い。そういうやっかみは……どこにでもあるものだ」


 その狼狽えぶりが、答えだった。

 同時に、こうも思う。


(これで、ラビリスの思い込みという線は本当に消えた、か――)


 私はすぐ隣にいる宿敵に対して、少しばかり同情する。

 ――結局、お前も利用される側でしかなかったわけかい……。

 あるいは、私自身が勝手にラビリスを神格化していただけか。

 彼女の持つ力は、魔力は、確かに絶大だ。

 封印された古代兵器を集結させても、敵わないのだ。

 神にも等しいと言って過言では無い。

 ……だが、心は、精神は、ただの――十四才の、子供。


 やがて、ラビリスが噂の出処として数名の貴族の名を挙げると、父は今度こそ絶句して、椅子に力なく座り込んだ。

 うつむき頭を抱えた父の唇は「……下衆どもが」と呻いたように見えたが、言葉としては聞こえなかった。


 こんなにも不愉快な様子を顕にした父を見るのは初めてだ。

 名を挙げられた貴族たちは、皆古くからトライン家を支える重鎮だ。

 中には、建国の時代からトライン家に仕え、今も尚帝国を支える五大貴族の名まであったのだ。


 私は自問する。

 何故、私は気づけなかった。

 何故、私の耳に入らなかった。


 味方だったループも、あったはずだ。

 徹底的に、調べたはずだ。

 彼らと共に手を取り合い、ラビリス軍と戦った時もあったのだ。

 だのに、何故――?


 ふと、考える。

 彼らは、トライン派である。

 しかし、ラビリスの味方ではない。

 あくまでも、トラインの正統な血筋を守る者。

 そして私はかつてトライン家に牙を向いたミュールの血筋――。


 ……共倒れを、狙ったのか――?


 しかし、何故ラビリスの耳にだけ入ったのだ?

 そういう隙があれば、私の耳にも入ったはずだ。


 ……別に、一夫一妻という決まりがあるわけでは無い。

 妾を取る貴族は割といるし、皇帝だから許されないという決まりも無い。


 では何故、ラビリスの母は、妾という立場にすらなれなかったのだ?

 何故、存在そのものが抹消されてしまったのだ?


 ……恐らく、ただの不貞では無い。

 あくまでも仮説だが……ラビリスの母は――例え一時の関係であったとしても、代々トライン家を支え続けた五大貴族が認めることのできないほどの……汚点。

 存在そのものを亡き者にしたいほどの――。


 考え、考え、私はようやく父の『下衆ども』という言葉の意味を理解する。

 連中は、偶然を装い、わざとラビリスだけに、聞かせたのだ。

 決して権力の座につかせないよう、そんな考えを微塵も起こさせないよう。

 ラビリスだけを、潰すために。

 お前の血は汚れていると、伝えたのだ。


 ようやく、私はいかに自分が迂闊だったのかを思い知る。

 ――前だけを、見ていた。

 勝つために、救うために、この世界でできてしまった仲間、友達、繋がりを守るために。

 立ち止まれば、後ろを見れば、きっと心が折れてしまうと思ったから。

 本当の家族を思い出して、泣きたくなってしまうから。

 前だけを見て、ひたすらに走り続けてきた。

 だが一番恐ろしい敵は、ずっと私の直ぐ側で、味方の振りをして、私の背中を押していたのだ。

 恐らくそれは、ラビリス側の中にも入り込んでいたと見て良い。


(最後まで裏切らず、私の背中を押し続ける敵、か――)


 怖いな、と私は身震いする。

 私を、応援してくれる人たちの中に、敵がいるのだ。

 こんなに恐ろしいことは、無い――。

 しかし……だとしても。

 私は、足を止めるわけには行かない。

 だって、まだラビリスは十四才で、私は父と比較しても、ずっと年上なのだ。

 私が弱音を吐く訳には、いかないのだ――。


「……お父さんが知ってること、教えてください」


 まっすぐに、父の目を見て言う。

 他人をお父さんと呼ぶことへの後ろめたさを、置き去りにして――。


 ちなみに、私が父に敬語で話す時は本当に重大な話、という暗黙の了解がある。

 あれもこれもそれもみんな、敬語で私が説き伏せたのだ。

 おかげで家はかつてないほど大きくなった。

 父もそれを理解しているから、無下にはできないはずだ。

 さて、どうなる――。


「…………フリーダ。そしてラビリスさん」


 父は真面目な声で前置いてから言った。


「確かに、私は全てを知っている。それは間違いない」


 一瞬、隣にいたラビリスの瞳に希望の色が見える。

 彼女は強張った体をわずかに震えさせ、


「では――!」


 と期待の色が滲んだ明るい声を出すも、父はすぐに言った。


「だが、それがミュール家から――私から漏れたとなれば、多くの勢力を敵に回すことになる。その意味はわかるね」


 国を二分した大戦争の終結から、二十年。

 確かにバルタザール・トライン皇帝の人気は高かったが、戦後の統治が全て順調だったわけでは無い。

 災害もあった。

 年寄りの中には、ミュール家の独裁時代の方が良かったと言う者もいる。

 結局のところ、国の運営は未だに危ういのだ。

 であれば――。


 私は言う。


「……トライン派は、ミュール家を完全に潰す機会を狙ってる。隙を見せれば、私やお父さんだけじゃなくて、ミュール家に関わったみんなが、職を失うかもしれない」


 一口にトライン派、と言っても勢力は大きく分けて二つある。

 一つ目は、かつて父や皇帝と行動を共にし、革命軍として戦った勢力だ。

 最前線で戦い抜いた彼らは、共に同じ釜の飯を食べ、背中を預け、命を賭け戦ったことからミュール家と言えど父アマルガンに対しても全幅の信頼を寄せている。

 これは、父の人徳によるものもあるだろう。


 だが、問題は二つ目だ。

 ミュール家による独裁時。頭を垂れながらも、内側から手を回し、資金の援助を始めとする様々な手助けをしてくれた勢力。

 彼らの働きは非常に大きかったようだが、それでも現場での父の働きを知らない。

 彼らにとって、父はトライン家に取り入ろうと目論む最後の敵なのだ。

 だが、私はそこに活路を見出していた。


「ラビリスの責任は、半分だと思います」

「……半分。妥当でもあるし、詭弁でもあると私は思う。フリーダの理屈は、彼女を愛する者にしか通用しない」

「通用しないのは、証明できるものが無いからです」

「確固たる何かがあれば変わる、か――」


 戦闘面では頼りないが、それ以外での父は割りと頼りになる。

 私が言いたいことも、わかっているようだ。

 父は一度ラビリスを見、優しく微笑んだ。


「ラビリスさん。キミは本当のお母さんの……彼女のことを知って、どうしたい?」

「どう、とは――」


 ラビリスは怪訝な顔になり言葉を詰まらせると、父は言った。


「ああいう連中が忠誠を誓っているのは、トライン家の正統な血筋だ。キミの目的次第では、奴らは皇帝への反逆と見なすかもしれない。であれば、彼らを納得させる何かが必要だ。その何かは、キミが今後どうしたいかによって変わる」

「……会いたい、というだけでは、駄目なのですか」


 父は答えない。

 わずかに視線を落としただけだ。

 彼の表情から、ラビリスの本当の母の安否を探ることはできなかった。

 ……そして、私にそれを聞く勇気は、まだ無い。

 ラビリスが、二度と元に戻れないほど壊れてしまいそうで――。

 覚悟の、時間が足らないのだ。

 私にも、ラビリスにも。

 と、私は二人の会話に口を挟む。


「……お父さんが言うそいつらは、無視して良いと思います」

「何故だ?」

「ラビリスには、帝国の姫という立場よりももっと強い力を身につけてもらうからです」


 すると、父は少しばかり考えてから言った。


「今キミたちがやっている事業のことか……。私はそれほどうまく行くとは思っていないが」

「その台詞、私が何かやろうとする度に毎回言ってますけど、私全部成功してますよね?」

「全部では無い。確か……鉄道の計画は失敗した」

「あっ!……まあ、うん、はい、それは……しました。でもほとんど成功しています」


 あれは、本当に失敗だった。

 魔力で動く魔列車なるものを建造していたのだが、魔力に引き寄せられる性質を持つ魔獣が線路を駄目にしてしまうのだ。

 結局、全ての計画が頓挫する羽目になったのは、苦い経験である。

 だが、今回のプロジェクトは……偶然の重なりもあったが、違うはずだ。


「その連中は、ラビリスが……ラビリスのお母さんの血が、権力の内側に入り込むのが気に入らないんですよね? だったら、私の掲げるアイドルは、むしろ権力の座からラビリスを引き離すことになります」

「しかし、結果として多くの民衆の支持を得、違う形の権力を手に入れることになるだろうな?」


 父が少しばかり冷ややかな声で言うが、そんなものは想定の内だ。


「まあ……そうなります。全部上手く行けばですけど」

「怖いことを考えるものだ」

「その上で、新しい権力を得た強いラビリスが玉座から離れていく様子を見せつければ、納得せざるを得ないでしょ?」


 つまるところ、下からおっかなびっくりご機嫌を伺うのではなく、上から堂々と絶縁状を叩きつけてやるのだ。

 でなければ、一生怯えて暮らすことになる。

 それは、嫌だ。


 しかし、父も譲らない。


「だが、それは全てが上手くいった未来の話だ。今の話では無い。そして私には、今のミュール家と、ミュール家に付き従う者を守る義務がある。この理屈はわかるね?」

「それは――はい」


 まあ……そりゃそうだろう。

 というか今の今まで良く父は私の無理難題に付き合ってくれたものだ。

 いくらミュール家が潰れかけで失うものがほぼ無かった状況とは言え、私財を全部担保にかけて借金をして新しい事業を! という二歳の私の提案を飲んでくれたのには正直自分でも驚いたが、今のミュール家は守るべきものがたくさんある。


 結局、強く大きくなれば、その分しがらみも増え、自由に動けなくなるのだ。

 私もそのルールからは逃れられない。

 父は言う。


「ん、結構だ。ならば、ミュール家は無関係。ラビリスさんの母親にはキミたち自身の力でたどり着き、キミたち自身の力で見つけたのだと証明できなければならない」


 すると、ラビリスは少しばかり表情を明るくさせ、言った。


「そのつもりです。ミュール家の方々に御迷惑はおかけしません」


 …………お前の所為でうち毎回潰れてるんだけどな……。

 まあ、私がいれば家なんて何度でも再建できそうだからそこは許してやろう。他人の知識だけど。

 父は言った。


「…………であれば、ラビリスさん。私がしてあげられるのは答え合わせが限界だ。キミが知っていることを、言ってごらん」


 それは、ミュール家の全てを背負う父の、最大の譲歩だった。

 やがてラビリスがポツポツと語りだす。

 自分が見て、聞いたいくつかの噂、誹謗中傷の中に隠された言葉からの推測――。

 父は律儀に、それは違う、それは正しい、あるいは解釈が違うなどと返し、一時間ほどが経つ頃には一つの事実が明らかになった。

 ラビリスが言う。


「わたくしが三歳の時に、母は、修道院に送られた――」


 父が言う。


「私はどこに送られたかまで知っている。だが、キミたち自身の力で辿り着かなければ、ミュール家は睨まれることになる」


 ……ふと、今考えついたことを実践してみようかなと口を開いた瞬間、父が釘を刺すように言った。


「全ての修道院の名を挙げて私の反応を見ようとするのはどうかと思うな」


 やっべバレてら……。

 ラビリスが咎めるように続く。


「それでは結局ミュール家から漏れたことになります。……父はともかく、義母は決して許さないと思いますが」


 あ、あい、すんません……。


 最後に父が言う。


「全く。………………だが、妻は……彼女と本当に親しかったから――頼んだよ、フリーダ」


 最後に凄い情報ぶっ込んできた……。

 そ、そういう因縁まであるのか――。


 ※


 私は部屋に戻り、魔導灯の明かりをつけてからふかふかのソファーにどかっと腰を下ろした。

 隣にちょこんとラビリスが座る。

 彼女は、私の言葉を待っているようだった。


 私は魔導灯の明かりをぼうっと眺めながら言う。


「明日から、ちょっと忙しくなるからそこら辺は覚悟しといて」

「それは……勿論。わたくしが望んだことですから。けど、派手に動きすぎればわたくしたちの目的、感づかれませんか?」


 そこに関しては、すでに考えがある。

 修道院の数、帝国全土としたら、決して少なくない。

 だが、どの道いつかはやろうと思っていた大事な大事な行事がある。

 アイドルとして、避けては通れない――しかしたぶんリックたちは嫌がるであろう険しい道。

 すなわち、地方営業!

 帝国は広く、田舎まで回るとなれば移動の時間もかなり掛かるが、今回はラビリスの母親探しという大きな理由もあるのだ。


 と、私はこれからのことをかいつまんで説明すると、ラビリスは表情を明るくさせた。


「ああ、うん。本当に……本当にいけるかもしれません」

「でしょ? 握手会とかも開いてさ、大勢の人を集めて、目的を見えづらくさせて――」

「修道院にも、行きやすくなりますねっ。子どもたちがいるでしょうから――」

「そっ! 自然に、むしろ向こうから来てくださいって感じになればさっ!」

「うん!」


 今日、私は生まれて初めて、本当のラビリスと会話ができたような気がした。

 宿敵のはずなのに、どこか楽しく、希望に満ちていて――。

 きっと何とかなる。

 大丈夫。

 そんな思いを胸に、私たちは明るい気持ちで「それじゃおやすみ」と言って眠りに付く。

 さっそく、次の休みの日から帝国の隅々を回るラビリスの地方巡礼を始めよう!


 そうして、ミュール家が保有する最速の地竜カスタム獣車を使い片道七時間もかかる田舎町でラビリスの握手会を開いた結果、来客0人という記録を叩き出し、ラビリスはショックのあまり寝込むことになった。

 ごめん……。

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