第15話:新リーダー・リック誕生
私は立ちくらみに近い感覚に襲われる。
めか……え、なんて?
…………し、知らない。何だ、それ……。
思わず、呆然としたまま立ち上がろうとし、バランスを崩して転びかけると、膝を打った痛みが私を冷静にさせ、半開きのドアのすぐそばにいた人影の存在を気づかせる。
ドアの向こう側から、アイドルたちの楽しげな笑い声が聞こえると、その人影――リックは酷く狼狽した様子でドアを閉め、消え入りそうな声で言った。
「…………ごめん、聞こえた」
しまった、と私はひやりと冷たい汗をかく。
ラビリスは、きっと意を決して私に話したのだ。
それを――。
(…………いや待て。本当に、そうか?)
私はともかく、あのラビリスがリック如きの気配に気づかないはずが無い。
これで気づかれないのなら、私はとうに勝っている。
であれば――ラビリスは……あえて、聞かせたのか。
何故――?
私は困惑していると、リックはしどろもどろになりながら、言い訳を始めた。
「あ、あの、わたし……今日の、こと……謝ろうとか、思って……」
と言ってから、焼き立ての肉がたっぷり乗った大きめのお皿と箸を、おずおずと差し出し、言う。
「そ、それから、良い感じに、や、焼けたから、外で食べてるのかなって……」
ふと一瞬、唯一味方だった最初のリックの面影を見る。
うつむいたままのラビリスは、まるで助けを求めるかのように右手をゆっくりと持ち上げ、ゆらり、ゆらりと虚ろな仕草で虚空を掴む。
その姿に一抹の虚しさと切なさを感じながらも、その亡霊めいた仕草に私の中の何かが警報を鳴らした。
リックがそっとラビリスに近寄ろうとし――。
咄嗟に、私はリックの華奢な両肩を掴んだ。
「えっ」
びくりと声を上げたリックの向こうで、ラビリスが僅かに顔を上げ、恨めしそうな目を私に向ける。
私はリックに向け、
「――大丈夫」
と言ってから、『考えはまとまった』と心の中で呟いた。
確かに、あのラビリス・トラインが妾の子、というのはかなり驚いた。
――実際、噂レベルでは聞いたことがある。
なので私は、藁にもすがる思いで、ひょっとして本当に妾の子なのか? とその陰口の出処を探り、結局ただのデタラメだったという結論にたどり着いたのだ。
噂の出処は、ただ単にラビリスの強さや地位を妬む同年代の貴族だったり、あるいは、反皇帝派の中でも地位も実力も低い小物たち。
ちなみにこれは余談だが、平民でありながら[アマルシア学園]に入学できたリックの噂をまとめると、バルタザール皇帝の隠し子でバルタザール皇帝の愛人で私の父アマルガンの愛人で私の愛人だそうだ。
こんな馬鹿げた話が、そこかしこに転がっているのが現実だ。
しかし、こうも思う。
――そういう悪意の積み重ねが、ラビリスをこう育てたのかもしれない。
私は、頭の中でいくつかの仮説と仮定を組み立てながら、言った。
「ラビリスの本当のお母さんは、私がちゃんと見つけるから、大丈夫」
すると、恨めしそうに私を睨みつけていたラビリスの瞳が動揺で揺れた。
リックが少しばかり明るい表情になって問う。
「できるんですか――」
「うん、できる。ミュール家舐めんなって。だから――」
と、私はリックの目をまっすぐに見て続ける。
「アイドルの子たち、しばらく任せた」
「え、えっ? 任せるって……?」
「私は、ラビリスと一緒に本当のお母さんを探す。その間は、リックにあの子達のリーダーをやってもらう」
返答を詰まらせたリックに、私はもう一度強く語りかける。
「リックは今日のこと謝りに来たんだよね?」
「う、うん……」
「リックは最後の最後で、ちゃんと気づけた。台本通りに、動いてくれた」
「…………うん」
不安要素が無いわけでは無い。
しかし、全てが完璧になるまで待っていたら、ラビリスが持たないだろう。
であれば、これが今の私の最善手……。
「あのまま演技を続けてたら、みんな歯止めが効かなくなって大きな事故に発展してたかもしれないってのはわかるよね?」
「……うん」
「じゃあ、次はリックがみんなを戻す役。……できるよね?」
リックが押し黙りうつむくと、私は彼女が持ってきた肉が盛られた皿を受け取り、更に言う。
「持ってきてくれてありがと。私お腹ぺこぺこだったから……ラビリスと食べるね?」
「…………うん」
「今リックが私とラビリスにしてくれたことを、みんなにもできればきっと大丈夫」
短い沈黙の後、リックは不安げに言った。
「フリーダは、アイドル辞めちゃうんですか?」
「辞めないよ、大丈夫。ラビリスのお母さんを探しながらできることがある」
「例えば?」
……お、思ってたよりしつこいな。
いやしかし、これくらいの方が良いのかもしれない。
仮にもリーダーを任せるのだから、上司に当たる私の動向は把握する必要もあるのだろう。
「帝国の……田舎の方をラビリスと二人で巡ってさ。こういう活動をしています、帝都に来たらぜひ見てってくださいって、握手したり、話聞いたりして宣伝してくる」
「ああ……それなら、本当に国中を探しながら、アイドル活動できますね」
「うん。だから――そっち、任せた」
すると、リックは一度だけニッと笑って言った。
「ん、任された」
そのままリックは一度だけラビリスを見、言う。
「……お母さん、見つかると良いね」
扉が開くと、また盛り上がっているアイドルたちの笑い声が大きく聞こえ、リックは彼女たちの輪の中に戻っていく。
……これで良い。
…………ラビリスは、良い子だ。
一緒に暮らしていて、それが良くわかった。
だが、ラビリスは――。
ふと見やると、ラビリスはまた膝を抱え、うずくまっていた。
――母親を探そうと言った時、ラビリスは動揺した。
妾の子だと言いながら、その状況を嘆きながら、本当の母を探すと言った際にラビリスは拒絶の色を見せたのだ。
(……ここから先は、賭けだ)
私は深く呼吸し気合を入れ直すと、うずくまったラビリスをまっすぐに見て言った。
「あんたが嫌だって言っても、勝手に探すから」
ラビリスの肩がびくりと震える。
「やり方はさっき言った通り。ミュール家が総力を上げれば、情報が全く無くても虱潰しにできる」
長い沈黙の後、ラビリスが呻くように言った。
「……探せるものなら、とっくに探しています」
嘘だな、と私は確信する。
確かに、私はラビリスが妾の子という証拠を見つけられなかった。
であれば、この情報はかなり深いところで徹底的に隠されているのだろう。
だが――あのラビリス・トラインだぞ?
このフリーダ・ミュールが一度も勝てなかった相手なのだぞ?
それが、こうも簡単に諦めを見せている――。
――だからこそ、これは賭けなのだ。
私はゆっくりとラビリスに近づくと、片膝をついて彼女の肩に優しく指を触れた。
私は、言う。
「……本当は――お母さん、見つけて欲しく無いんでしょ」
ラビリスは、一度だけ全身を震えさせた。
呼吸すらも忘れてしまったラビリスの小さな背中を見、私は確証を得る。
「義理のお母さんを、傷つけたくないもんね?」
ラビリスは答えない。
膝を抱えた指先に、ぎゅっと力が込められただけだ。
本当に母親に会いたくて、誰かに助けて欲しくて、しかしそれは義理の母を深く傷つけることになるから、本当の母親に会うわけには行かなくて、誰にも助けて欲しくない。
これが、ラビリスという子なのだろう。
愛して欲しいという純粋な気持ちと、家と血筋への責任感と、自分の置かれた環境、未来に対する不安と――。
彼女はきっと、がんじがらめになっているのだ。
だから、ラビリス・トライン姫という仮面を被った。
その奥に、我儘で臆病なラビリスという女の子を隠して――。
しかし、同時にこうも思う。
(お前こんなん気付けるわけねえだろ馬鹿か……)
助けてほしいくせにいざ助けられそうになると拒絶してくるとか意味わかんない……。
正直な話、ラビリスが本当に妾の子なのかどうかはぶっちゃけ今でも少し疑わしい。
しかし、ラビリスがそう確信している以上、私は何かしらの証拠を見つけなければならない。
どちらにしても、確固たる何かは必要なのだ。
とは言え、まだ考えるべき重要な要素もある。
こんなラビリスが、国に、義理の母に牙を向くような大きな何かがまだどこかにあるはずなのだ。
それを探しながら、ことを進めなければならない。
「ラビリス。ミュール家なら、ラビリスの……フランドール皇后に気づかれないよう探し出せる」
良くも悪くも、金の力は偉大だ。
選べる手段が一気に増える。
後は実行に移すだけだ。
私は、それでも動かないラビリスの小さな背中に向け、言った。
「言っておくけど、これはもうラビリスだけの問題じゃないから。つーか今のミュール家はマジで皇帝派だし、他の反対派よりも先に、ラビリスの本当のお母さんの情報を掴む必要があるって理屈、わかるよね?」
知らなければ、いざという時に守れない。
しかし、ラビリスは答えない。
私は無視して続けた。
「私は、ミュール家として、ラビリス抜きでもやる。――だから、選んで。私が一人で勝手に探すか、ラビリスも一緒についてくるか」
もう、お前の判断で事態は止められない。
止めさせない。
すると、ようやくラビリスはうつむいたまま言った。
「……あの人に知られずなんて、無理です」
「へー、そう。でもそれ試したことあんの?」
ラビリスは、答えなかった。
いや、それが答えというべきだろう。
変わることが、知られることが怖すぎて試したことすら無いのだ。
ふと、一度も人を殴ったことが無い人は加減ができないのでいざという時にやりすぎる、みたいな話を思い出す。
……ラビリスは、溜め込んで溜め込んで爆発してやりすぎるタイプなのだろう。たぶん。
「言っておくけど、私結構あの人騙してるから。バレてない嘘もいっぱいあるから」
正確に言うと、これは嘘だ。
結局のところ他人の心などわからない。
私は、嘘がバレているか否かの判断はできないのだ。
ただ現実として、フランドール皇后がミュール家に対して何かしらの行動を起こしたのは今回の本番直前介入が初めてだということ。
それ以前のあれやこれや諸々多数は、バレてないか黙認されているかのどちらかだ。
ラビリスはなおも弱々しく言う。
「どこから探せば良いかも、わかりません」
「一番わかりやすくて、絶対にバレなくて、滅茶苦茶近い所があんじゃん」
「…………どこ」
ようやく顔を上げたラビリスの顔は、どこかむすっとして不満げだった。
それで良いさ、と私は自信満々で答えた。
「うちの父親、アマルガン・ミュール」
ていうかたぶん、絶対知っている側だろう。
なのでまずはここから、攻める!
「だから、とりあえず食え! 今日帰ったら即聞きに行くから!」
私はリックが持ってきた肉盛りをずいとラビリスの顔の前に差し出す。
ややあってから、肉の匂いに負けたラビリスはむすっとしたままの顔で言った。
「飲み物無いと食べたくない……」
こいつムカつくわ……。
「……持ってきたげるから、食べてて」
と私はラビリスに皿を無理やり渡し、店内に向かう。
ドアを開けるとアイドルたちの騒がしい声がワッと大きく聞こえ、私はラビリスに向け少しばかり大きな声で言った。
「コーラで良いよね!」
もそもそとつまらなそうに肉を食べながら、ラビリスが小さく「うん」と言ったように見えたが、実際の声は店内の騒音にかき消され聞こえなかった。
全く――。
私は心の中で何度か愚痴をこぼしながら、思う。
ラビリスが、妾の子とか、今更言われてもちょっと困る。
だって、三十三回も繰り返したんだぞ?
私は帝国中を巡って、世界も股に掛けて、数ある禁断の地も踏破して、それらしい情報がまったく無いってどういう確率よ。
っていうか実の娘が革命起こしてるんだから普通はもっとこう、色々と――。
………………?
あれ?
いや、流石に、本当にそれはおかしくないか?
だって、ラビリスは実の母親に会いたいって気持ちは確かなんだよな?
でも今は義理の母親に嫌われたくないから会えなくて…………。
何か、大きな見落としがある気がする。
例えば、そう、例えば――。
そうして、私はようやく、あのラビリスが――優しくて純粋なラビリスが、思想も何もかもがおかしくなり、帝国に仇なす可能性にたどり着いた。
――ラビリスの、本当のお母さん……もう死んでるのか……?
と。
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