ドリームス・ライク・ダイヤモンズ

朱々(shushu)

ドリームス・ライク・ダイヤモンズ

 運命の出会いなんて信じてなかったけど、君には、まるで運命を感じてしまったんだ。

 生まれて初めて知ったんだ、どうしようもないくらいに。




「おはようございまーす」

 ルーシーが勤める惣菜屋は、テイクアウトとイートインが出来るタイプで、量り売りで様々なデリを扱う店だ。ニューヨークにあるものの、どちらかといえば地元住民が来る地域密着型のショップである。野菜の種類は豊富に、デザートも忘れない。飲み物はアルコールが少々、ヨーグルトやフルーツジュースなど、健康志向のものがメインだ。


 昔ルーシーは、ブロードウェイミュージカルに立つ夢を持ち、マンハッタンまでやってきた。オーディションを受けては落ちて、受けては落ちてを繰り返し、年齢と共に気力すらなくなってしまった。周囲は、まだまだ若いんだからと引き留めたが、ルーシーのメンタルは保てなかった。今では友人とルームシェアをしながらニューヨークに住み、稼いだお金でなんとか生活をしている。自分が立てなかったその舞台を、間近にしながら。


「ルーシーおはよーぉ。今日のご機嫌はいかがぁ?」

 独特な喋り方をする店長は、ルーシーの恩人でもある。体調が悪く倒れたとき、いわば拾われた形で食事をもらった。さらにその後は、仕事までもらったのだ。昔はブロードウェイのそのまた奥の小さな小屋で、ドラァグクイーンをしていた。


「おはよ〜ママ。ん〜、今日も普通〜。ただ昨日はお酒を飲んでないから、いつもより胃が落ち着いてるかなぁ〜」

「あーら、もったいない! じゃあ今日の帰りはバー直行ね!」

「えー。せっかく断酒して痩せつつあるのにぃ?」

 店主ことママとルーシーの仲は良好で、いつも軽口を言い合う。出会ってから、もう何年も経っているのだ。


 ママのお店はニューヨークのなかでも少し入り組んだ場所にあり、知る人ぞ知る場所にある。手作りのお惣菜とデザート、フルーツジュースは、ママがドラァグクイーンと並行して学んだ料理の技だ。いつか自分のお店を持ちたいという夢を叶えたママは、夢を追う若者を応援している。


 元々ルーシーに興味を持ったママだったが、ママも夢の果てを知っている身だ。ルーシーの言いぶんを尊重し、今はスタッフとして働かせている。

「本日のオススメはほうれん草のキッシュよ〜。ヨーグルトドリンクがおすすめねぇ!」


 ママはお店のインテリアにもこだわっており、窓際に向かっているカウンター席と、四人席テーブルが三つ。オープンキッチンにもカウンターが付いており、馴染みの常連はそこに座ることが多い。壁紙は柔らかい水色に派手すぎない花模様。電球はシャンデリアの形を模したオレンジ色。入り口のベルは、店内中に響き渡るよう音に注視して注文をした。


 お昼近くになると、お店も少し混むようになる。イートインをするお客様や、会社で食べるためテイクアウトをする人。おすすめを冠したおかげか、ほうれん草のキッシュはよく売れた。健康志向のニューヨーカーにも定評があり、お店にはわざわざ来てくれる方もいるのだ。

「はいこちら、ほうれん草のキッシュとヨーグルトドリンク、テイクアウトね。ありがとうございました〜」

 ルーシーはすっかり看板娘と化しており、笑顔を絶やさない。


 ここで働き始めたのはママと出会ったことと、ママの料理に感動したことだ。オーディションに落ち続けた日々、希望が見えない未来。そんなときに出会い救ってくれたママに、恩返しをしたいのだ。

「ルーシー、そろそろ休憩にしたら? いつもよく働いてくれてありがと」

 ママはルーシーにハグとキスをし、ルーシーは休憩に入る。店員価格でヨーグルトドリンクとチョコチップクッキーを買い、休憩室に入った。


 ルーシーはオーディションを受けなくなってから、食が細くなった。満腹中枢が壊れたのか、お腹いっぱいという感覚がない。吐いてしまうことはないので、拒食症ということでもない。ママや友人たちは非常に心配したが、特に不便なく生活しているため、ルーシーは普通に生活をしている。






 舞台女優を目指したのは、六歳のころだった。

 学校の催し物で主役に選ばれたルーシーは、その楽しいドキドキ感に魅了された。祖父の家がブロードウェイから近いこともあり、祖父や父に頼み込んではブロードウェイミュージカルを観に行った。自分もあぁなりたいと思うのに、時間はかからなかった。


 眩しく美しい照明、煌びやかな衣装、大掛かりなセット、縦横無尽に動くキャストたち、会場全体に響き渡る凛とした歌声とハーモニー。

 そのどれもが、ルーシーを虜にした。

 学校の成績で歌は高得点を出しており、ルーシーはいつも得意気に両親に話していた。いつかきっとあの舞台に立って、自分も輝く一員になる。そう信じていた。


 十歳のある日、子役のオーディションがあった。

 出番としては少ないがルーシーはすぐに応募し、歌に励んだ。

 その後言い渡されたのは、不合格の文字だった。


 十二歳のある日、有名な演出家のオーディションがあった。

 歌に自信のあったルーシーはすぐに書類を送ったが、書類選考で落ちてしまった。


 十三歳のある日、有名ミュージカルのオーディションがあった。

 書類選考を突破し、特技の披露で歌を歌う。結果は不合格だった。


 十四歳のある日、小さな劇団のオーディションを受けた。

 身長も伸びスタイルも良く歌も上手い。ルーシーはすぐ採用され、劇団の仲間になった。ただ、立てる舞台は自分たちで作る小さな箱で、テーマもオリジナル。チケットは手売りだった。

 こんなはずじゃないと思ったルーシーは、一年も経たずに辞めてしまった。


 十六歳のある日、以前とは違う有名ミュージカルのオーディションを受けた。その舞台は有名人演出家が作るものであり、ルーシーの気合いも入る。

 書類選考も無事に通り、歌も完璧。面接で、監督や演出家たちに質問を受けた。


「君は赤毛だが、差別される役柄でも、もしくは服を脱ぐ役でもやれるかい?」


 瞬間、ルーシーは怒りと落胆で鳥肌が立った。泣きそうになるのをなんとか下唇を押さえて我慢する。

 そうか、これが理由だったんだと悟った。


 ルーシーの一家は元々イギリス系で、皆赤毛である。その昔、差別を受けてきた過去があるのだ。だんだんと減ってはいるものの、年齢が上のものや、偏見のある人には未だ通じない。

 また、ルーシーのイギリス英語にも違和感を持つ者が多く、オーディションではそれを理由に断った人もいたのだろうと想像してしまった。


 幼いときは、あんなにも期待と希望を持っていたのに。

 あの場所に、夢を持っていたのに。


 オーディションからの帰り道、ルーシーは泣いた。

 愛されて育った日々。恨むことのできない家族との縁。誰に、何に怒りをぶつけていいのかがわからない。

 何も考えずに歩いていると、ブロードウェイに辿り着いていた。


 華やかで煌びやかで豪華で、夢を掴みたいと心から願っていた場所。あんなにわくわくした場所を見ても、ルーシーの心は閉じてしまった。

 その日以降ルーシーは、オーディションを探すことも受けることも辞めた。


 大学はミュージカル専攻に行くつもりだったが、生きる気力をなくしたルーシーにとってはもうどうでもよくなってしまった。心から応援していた祖父も父も、もちろん祖母も母も心配していたが、落胆するルーシーを見ては、将来のことは何も言えなかった。




 十八歳になり、ルーシーは実家を出た。友人のサリーとルームシェアを始めたのだ。

 サリーは大学生で、建築の勉強をしている。サリーもまたルーシーの夢のことを知っており心配しているが、表立ってアドバイス出来ることはなく、見守るしかなかった。


 昔ルーシーは、サリーに誘われてオフブロードウェイに行った。正直複雑な気持ちだったが、「ルーシー! 気分転換に行きましょ!」と割と強引に誘われたのでもはや行くしかなかった。十六歳のあの日から二年。自分でも、大丈夫だと思っていた。

 ブロードウェイは変わらずに華やかで、住人も観光客も受け入れる。二人はオフ・ブロードウェイを目指しぐんぐんと進み、比較的小さな箱についた。開演のブザーが鳴り、ショーがはじまる。登場人物たちがステージから現れ、音楽に合わせてセリフを言う。


 そのとき、ルーシーの心がぎゅっと締め付けられるように痛くなった。

 胸が苦しい。指先が冷たい。口のなかがどんどんと渇いていく。

 ルーシーは隣のサリーを置き去りにして、施設を飛び出した。震える体は落ち着かず、自分でもどうしていいのかわからない。しゃがみこみ、なんとか息を整えていた。


 どうして。どうして。

 どうしてこんなふうになってしまったんだろう。


「…あらぁ? こーんなところで、体調悪いのぉ? あたしのところで休憩するぅー?」

 声をかけられ顔を上げると、一際目立つドラァグクイーンがいた。

 それが、ママとの出会いだった。




 舞台がどうなっているかもわからないなか、サリーも慌てて飛び出してきてくれた。ママとサリー曰くルーシーの顔面は蒼白としていて、息も絶え絶えだった。

「あたしの名前はパティ。ご覧の通り、ドラァグクイーンよ〜」

 人見知りが一切ないパティはルーシーとサリーを連れ、自分の小屋に連れて行ってくれた。パティ特製のオニオンスープは暖かくておいしく、ルーシーは飲みながらボロボロと泣いた。

「とっても美味しい。ありがとう」

 サリーはルーシーの事情を知っているだけあって自責の念に駆られたが、「私の問題だから、大丈夫よ」とルーシーは告げた。サリーは泣きながらルーシーを抱きしめた。


 その後、パティとルーシーとサリーは頻繁に会うようになり、パティのショーにも二人は足を運んだ。パティのショーはストーリー形式ではないおかげか、ルーシーも最後まで見届けることが出来た。

 ルーシーは時折話してくれるパティの昔話や、将来の話を聞くのが好きだった。


「あたしね、料理が好きなの〜。作るのも食べるのも。出来ればブロードウェイの近くにヘルシーなお店を作って、みんなへパワーを与えたいわぁ〜。それが、一番の理想」

 夢を語るパティは輝かしく、いつも笑顔だった。

「じゃあパティがお店を開いたら、私をスタッフにしてくれる?」

「あらぁ! もちろん! ルーシーがいてくれたら百人力だわ!」






 それから二年後、パティは本当に夢を叶えた。


 縁と出会いとタイミングもあるだろう。理想としていた立地に、お金の諸々。調理師免許は既に持っていたので、メニュー作成や、お店のインテリアを考えた。

 その頃ルーシーはファストフード店で働いていたが、即刻辞めてパティの店にやってきた。

「ルーシー! 本当にありがとう! ここでは是非あたしのこと、ママって呼んでね」

「こちらこそありがとう! ママはいつも私を救ってくれるね」

 ママはルーシーを長くハグし、ルーシーの未来を想った。

 自分の夢が叶ったのである。この子の夢も叶ってほしいと、思わずにはいられなかった。


 ママはサリーから、ルーシーの過去や状況を聞いていた。

 あくまで客観的な視点で、本人からは何も聞かずに。本人からは、もし本人が話したくなったら聞こうと、そう思っていた。ルーシーの並々ならぬ熱意に、ママはもちろん応援したくなった。だが、肝心の本人が塞ぎ込んでしまっている。その心は、簡単に開けないこともまた知っていた。






「ありがとうございました〜」

 その日の繁忙タイムをなんとか終わらせ、ルーシーは一息つく。いくら好きな仕事だといっても、体が追いつかないときもある。首を回せばバキバキと鳴り、腰も鳴った。

 お客様は誰一人いなくなり、気付けば閉店時間まであと一時間。今日はもう、ほとんど人も来ないかな、とちょうど思ったころ、来店のベルが鳴った。

「いらっしゃいませ〜」

 そのお客はキョロキョロとお店を見渡し、かけられているメニューを凝視していた。

 少し背が高い、黒髪の少年。アジアン、ジャパニーズかタイワニーズあたりだろうかとルーシーはぼんやり思った。なんせこの街には、いろんな人種がいる。


 少年はお店の構造を理解したのかグラム数で会計する形式のデリをお皿にいくつか取り、レジにやってきた。

「こんばんわ。飲み物はどーする?」

「なにがおすすめ?」

「今日はヨーグルトドリンクかしら」

「じゃあそれも」

 少年は辿々しながらも日常英会話は可能なようだ。お会計をもらい、商品をまとめて渡す。

「お待たせしました。ありがとうございます」

「ありがとう」

 受け取った少年は窓際のカウンターに座り、食事を始めた。食事をする際「いただきます」のポーズをしていたので、彼は日本人なんだとルーシーは理解した。

「ルーシー、そろそろラストオーダー終わりだから、看板閉まってもらってもいーい?」

「オーケー、ママ」

 ルーシーは少年の後ろを通り、入り口の看板をしまう。少年は野菜中心のヘルシーな食生活で、そのせいなのか、とても細い。日本人の特性なのだろうか。ルーシーの頭の中は「日本人」でいっぱいになった。


 そして、なんの抵抗もなく、ルーシーは少年に声をかけた。


「ねぇねぇあなた、日本人? それならマンガやアニメは好き?」

 突然話しかけられて、少年は目をパチパチさせた。

「うん、日本人だよ。マンガもアニメも好きだ。こっちでも流行ってるみたいだね」

「そうなの! 私も大好き! デーモンスレイヤーにハマってるわ!」

「デーモンスレイヤー…? あぁ、『キメツノヤイバ』、だね」

「キメツノ、ヤイバ?」

「そう。日本語だとそう言うんだ」

「知らなかった! 教えてくれてありがとう。…ねぇ、ご飯、それだけ?」

 たしかにママのお店はヘルシー志向だが、そのせいかなかなか成人男性は来ない。ダイエットや鍛えている人は来ることも多いが、少年はそうには見えなかった。

「ひとり旅でね。食費を抑えてるんだ。ここ、美味しいね。安いし」

 少年に褒められ、ルーシーは嬉しくなる。

「そうなの! ママが作る料理は最高なの! ヘルシーで健康的だしね」

 ルーシーの笑顔につられ、少年も微笑む。

「あなた、ひとり旅なの? ニューヨークは初めて?」

 ルーシーは途端に彼と話がしたくなり、隣の椅子に座った。

 そんな様子をママは見ていたが、ルーシーが珍しく他人に興味を持っていたため、見てみぬフリをした。

「ひとりだよ。ニューヨークは初めて。大学の休みの合間で、ブロードウェイミュージカルが観たくて来たんだ」


 笑顔だったルーシーの顔が、まるで張り付いたようになる。


「今日はレミゼを観てきたよ。やっぱり本場はすごいね。言葉は少しわからなかったけど、言葉なんて関係ない。どんどん伝わってきた」

 『レ・ミゼラブル』は、ルーシーも好きだった演目である。

「…明日もブロードウェイへ?」

「うん。明日はアラジン、明後日はフローズンを観るつもりだよ」

 ルーシーの心に、ささくれのように残っていたミュージカル名たちが顔を出す。キャラクターたちが、音楽が、ルーシーの心を揺らす。

「どうしてブロードウェイに? 舞台ならイギリスも有名でしょうし」

「初めて行くならブロードウェイがいいなって思ったんだ。ニューヨークっていう街にも興味があるしね」

 少年の横顔は、夢を追う人間そのものだった。

 溌剌としていて、輝いている。

「あなた、英語がとっても上手。今すぐでも暮らせるわ」

「いやいや、まだまだだよ! リスニングも難しいから、確認してばっかりだ」

「でもあなた…、えっと、私はルーシー。ここで働いてるの。ニューヨークへようこそ!」

「はじめましてルーシー、俺は恵斗けいと。ニューヨークに出迎えてくれてありがとう」

「恵斗、食事の邪魔してごめんなさいね。最後までどうぞごゆっくり」

 そう言ってルーシーは立ち上がり、キッチンへと戻った。会話を少し聞いていたママは、ルーシーになんて声をかけていいのかわからず、肩を優しく叩いた。




 次の日のほぼ同じ時間、恵斗はまた店にやってきた。店のベルが鳴ったので、ルーシーは恵斗と知らずにまずは挨拶をする。

「いらっしゃいま、」

「やぁルーシー、昨日振りだね。聞いてよ! 今日のアラジンもとても素晴らしかった! どうして知っている話と知っている音楽なのに、あんなに感動するんだろう!」


 恵斗は注文前からブロードウェイの興奮をルーシーに声高に話しかける。恵斗の興奮がこちらにも伝わり、ルーシーは思わず苦笑いをしてしまった。


「恵斗も魔法のランプにお願いごとをしなくちゃね」

「そうだなぁ。もっともっといろんな作品をブロードウェイで観たいよ」

 恵斗は手際良くデリの量り売りたちをお皿に乗せ、申し訳ない程度に一枚肉も乗せた。今日の飲み物はオレンジジュースだ。

「恵斗、あと何日いるの?」

「明日がフローズン、明後日はキャッツを観るよ。それで今回の旅はおしまい」

 恵斗は眉を下げながら、悲しい顔をする。恵斗にとって本場ブロードウェイでミュージカルを観ることは、長年の夢だったのだ。

「こちら、お待たせしました」

「ありがとう。ねぇ、ルーシーはこれだけ近くにいるのに、ブロードウェイには行かないの?」


「………」


 その質問に、ルーシーは答えることが出来なかった。

 なんて言えば正解なのだろう。簡単に流すこともできる。笑い話にすることだって出来る。


「…昔はよく行ってたのよ、ほぼ毎週末。楽しいよね」

「そうなんだよ! 楽しいんだ! あんなにわくわくするなんて!」

 会計も終わり、商品とドリンクを渡す。恵斗は席に行かず、後ろにお客さんがいないのを確認して話し続けた。

「俺、演出家になりたいんだ! 日本の大学でも、映画や舞台の勉強をしてる。英語も習っていて、いつか本場に挑戦したい。だから今回お金が溜まって、絶対にニューヨークに来ようって決めてたんだ」


 恵斗の姿は、昨日よりさらにキラキラして見えた。

 彼には明確な夢がある。目標がある。だから輝いているんだ。


 その輝きが、眩しい。


「…ルーシー? ルーシー、どうしたの?」


「ルーシー?」


 キッチンにいたママもルーシーの元へ行き、顔を覗き込む。ルーシーはレジで立ちすくんでしまい、気付けば涙がポロポロと流れていた。


 恵斗が眩しい。輝きすぎている。羨ましい。

 まるで、昔の私だ。


「…ルーシー、裏に行く? それとも、彼の話を聞く?」

 ルーシーはママからの問いに何も答えられず、無言で頷くことしか出来ない。

「あ、俺、ごめんなさい。何か気に触るようなことを、」

「違うの。これはルーシーの問題よ。そうね、あなた、よかったら席に座ってて」

 恵斗は昨日と同じようにカウンターの席を選び座る。チラチラとルーシーの様子を伺いながら、食事を始めた。


 ママはルーシーをキッチンの少し奥に連れて行った。

「ねぇルーシー? 彼、昔のあなたにそっくりじゃない? キラキラしてる。もしよかったら、もう少し話を聞いてみてもいーんじゃない?」

「…私にその権利、あるのかな」

「もちろんよ〜。夢を追うのは、いつだって出来るんだからぁ」

 ママの笑顔に、ルーシーの顔も綻ぶ。ルーシーは深呼吸をひとつし、恵斗の隣の席を目指した。

「ママ、ありがとう」


「恵斗、隣座ってもいい?」

 急に声をかけられ、恵斗は肩をびくりとさせる。

「も、もちろん! 座って座って」

「………ブロードウェイ、すごいでしょ? っていっても別に、私のものでもなんでもないんだけどさ。小さいときよくおじいちゃんやお父さんに連れていってもらったから、その記憶が強いんだ。みんな笑顔で、キラキラしてて、眩しいの」

「わかるよ。ひとりひとりが自立していて、パワーがあって、こっちにも伝わる」

 ルーシーは微笑み、意を決した。


「あのね、私…昔、舞台女優になりたかったの。あの舞台に立ちたかった…」

「………」

「でもね、ある日心が折れて、諦めちゃった。それ以来、ブロードウェイミュージカルは観に行っていない。でも、どの作品も今も素晴らしいんだって、観客の顔から伝わる」

「………」

 恵斗は、話してくれるルーシーに何も言えない。本当は舞台女優を目指したきっかけも、諦めてしまった理由も聞きたかった。

「ねぇ恵斗。あなたの夢、絶対に叶えてほしい。明日のフローズンも明後日のキャッツも、きっとあなたの心を豊かにするわ」

 気付けばルーシーの目からは涙が溢れており、泣きながら、笑っていた。

 恵斗は驚き、思わず、隣に座るルーシーの手を握った。

「恵斗?」

「…ルーシー。今の俺に、君へ伝えられるものが何もなくてごめんね」

「いいのよ。明日も明後日も楽しんでね。そしてよかったら、帰る前にまたお店に来て」




 翌日、フローズンを観たはずの恵斗はお店に来なかった。

 ルーシーは時間が近づくたび入り口を気にしたが、結局閉店時間まで来なかったのだ。そんな様子をママは見ていたが、何も声はかけられなかった。




 そのまた翌日、恵斗の話曰く、キャッツを観に行くと言っていた日だ。

 あろうことかこの日ルーシーのシフトは休みで、ただ自室のベッドでぼんやりとしていた。ルームメイトのサリーは大学へ行っており、家には誰もいない。

 ルーシーは恵斗に話したことによって、あの日のオーディションのことを断片的に思い出した。


 赤毛について言われたこと。服を脱げるかと問われたこと。男性審査員たちの、こちらを見る奇怪な目つきたち。泣きながら帰り、ブロードウェイの真ん中で夢を諦めたこと。

 その全てがまるで、昨日のことのように思い出される。


 悔しかった。悲しかった。つらかった。


 長年の夢があんなことで台無しにされて、今もまだ心に傷がある。

 歌には自信があった。けれどもう、あれ以来歌っていないこの声は、もう使い物にならないだろう。

「amazing grace how sweet the sound…」

 天井に向かって歌うそれは、お世辞にもとても上手いとは言えない。普通に上手い、くらいのレベルだ。舞台に立てる声じゃない。


ーーー俺、演出家になりたいんだ! 日本の大学でも、映画や舞台の勉強をしてる。英語も習って、いつか本場に挑戦したい。


 輝く恵斗。眩しい恵斗。


 まるで自分の中心に問われているようで、自然と涙が出た。

 ずっとずっと、ブロードウェイミュージカルに立つ女優になりたかった。歌も習わせてもらった。ダンスも習わせてもらった。毎週末ブロードウェイに連れてってもらっては、感動を持ち帰った。

「あたしね、いつかブロードウェイミュージカルの主役になって、グランパとグランマ、パパとママをとっておきの席に招待するわ! 約束よ!」


 幼い私は、なんて儚かったんだろう。

 その夢は、絶対に叶うんだと信じてやまなかった。


「………そうだ。あれ、まだ残ってるかな…」

 ルーシーはふと思い立ち、ベッドから降りて出かける準備をした。






「あらルーシー。いらっしゃい」

 ルーシーの行き先は祖父母の家で、彼らはマンハッタンのとあるマンションに暮らしている。

「グランマ、ひさしぶり。急にごめんね」

「いいのよ。孫娘が来てくれて嫌なおばあちゃんなんていないわ」

 ルーシーの祖母は品がある女性で、若い頃はコンテストで選ばれるほどの美貌の持ち主だった。

「今日グランパは?」

「お友達と朝からゴルフ。だから今日は私ひとりなの。ルーシーが来てくれて嬉しいわ」

 グランマは紅茶が好きで、何種類もコレクションしている。同時にカップも壁一面に並んでおり、相手に合わせて選んでいるのだ。

「ルーシー、最近はどう? 元気にしてた?」

「あー…うん。ルームメイトとも仲良しだし、仕事先も順調」

「でもなぜか、浮かない顔をしてるわね」

 言い当てられたルーシーは、返す言葉がない。ルーシーは下唇を噛み、今の自分の心境を伝えるか迷った。けれど、自分のことなのに上手く言語化が出来ない。

「ねぇルーシー。私思うんだけど、大学に通うのってどう?」

 グランマの突然の発案にルーシーは顔を上げ、目を丸くして驚いた。


「え、…え?! 大学ぅ?」


「きっと新しい世界が広がると思うの。もちろん今のルーシーの生活も素敵だと思うわ。でもどこか、さみしそう。…違ったらごめんなさいね」


「………」


 ルーシーはグランマの提案に心底驚いた。ルーシーが大学を進学しなかったのは、ミュージカル専攻に行かなかったからだ。それ以外の学部に進んでも意味がないと、当時は感じていた。


「大学って、いろんなお勉強が出来るでしょう? お友達も出来るでしょうし。今のルーシーなら、あのときと違う選択、出来るんじゃないかしら?」

「…あのときと、違う選択……」

 目の前にある紅茶は湯気を立てながら、どんどんと温度が下がってゆく。グランマは何口か飲みながら、ルーシーの様子を伺っていた。

「お金のことなら心配しないで。あのときのが、丸々あるのよ」

 グランマはウインクをひとつし、ルーシーに微笑む。


 そうか、今からそんな選択肢があるのか。


ルー シーにはその考えが全くなく、目から鱗でもあった。けれど今の自分に、何か学びたいものなどあるのだろうか。

「…スクラップブック」

「え?」

「そう、私、それを取りに来たの。グランパなら捨ててないかなって思って。書斎に入ってもいいかしら?」


 言うやルーシーは立ち上がり、祖父の書斎へと入る。ウォークインクローゼットの一番高いところへ脚立を使い、ルーシーが昔落書きをして装飾した箱を下ろした。

「あら、懐かしい」

 蓋を開けスクラップブックを見てみてると、当時のブロードウェイミュージカルのチラシや半券、拙いながらも感想文が出てきた。ルーシーが初めて催し物で被ったティアラも入っている。

 スクラップブックは当時のルーシーにとって宝物であり教科書だった。

 思い出すのは、当時の愛と熱と、夢たちだった。

「これ、借りてくね!」

 ルーシーはスクラップブックを取り、家を飛び出した。

「グランマ! ありがとう!」

 突然嵐のような行動をとった孫娘に驚いたが、きっと何かを得たんだと思い、グランマはまた紅茶をすすった。




 ルーシーはスクラップブックをカバンに入れ、ブロードウェイを走って目指した。人通りの多い道を潜り抜けて、当日券のチケットカウンターへ向かう。

 買えた演目はアラジンだった。


 大丈夫。きっと大丈夫。今の私なら、最後まで観られる。


ーーーでも、どの作品も今も素晴らしいんだって、観客の顔から伝わる。

ーーーきっとあなたの心を豊かにするわ。


 だって自分で言ったじゃないルーシー。みんな、あんなに楽しんでるんだから…!

 ルーシーは買ったチケットの指定席に座り、開演時間を待った。

 両腕が震える。顔は引き攣る。心臓は予想以上に早鐘を打つ。

 そして、開演ブザーが鳴った。まるで、体の芯まで響き渡った。











「いらっしゃいま、あらぁ? ルーシー?」

 お店のベルがなり、ママは来店の挨拶と混ざってルーシーの名前を呼んだ。

「今日お休みでしょう? どうしたのぉ?」

「あ、あ、あの…恵斗は来てる?」

「ルーシー?」

 その日の恵斗は、これまでと同じように窓際のカウンターに座っていた。突然やって来たルーシーに驚いたのである。

「よかった! 間に合った!」

「ルーシー、どうしたの?」

 ルーシーは迷わず恵斗の隣に座り、興奮気味に話す。


「恵斗聞いて! 私今ね、アラジン観てきたの! これが半券!」

 カバンをがさごそと乱し、恵斗の目の前に半券を差し出す。日付は間違いなく今日だ。その話を聞いていたママも驚き、開いた口が塞がらなかった。

「すっごく、すーっごく楽しかった! 心が震えた! あんなに楽しいもの、私、他に知らないよ。キャラクターがみーんな生きてる。舞台の上で輝いてた!」

 笑顔で話すルーシーに、恵斗は笑みを浮かべながら聞いていた。ついこのあいだまで、ブロードウェイミュージカルを久しく観に行っていないと言っていた子と、同じとは思えない。

「アラジンもジャスミンもジーニーも、みんな存在してる! 生きてる! 観終わってからね、私の心臓がずーっとうるさいの。興奮して、早く早く!って叫んでる。ルーシーも歌わなきゃ!って言ってる気がするの」

「それがきっと、今のルーシーの本音だね」

「…見てほしいものがあるの」

 ルーシーはカバンの中からスクラップブックを取り出し、恵斗に見せた。


「小さいときの、私の宝物。教科書でもあるかな。観た舞台のチラシや半券、記事、楽譜、感想、キャラクターたちの名前や相関図。とにかくいっぱい書いた」

「すごいね、ルーシーの歴史が詰まってるよ」

「これ、グランパの家にあって、ほんとは最初恵斗にあげようと思ってたの。素人の、子どもの拙いスクラップブックだけど、なにかしらのヒントになればなぁって」

「うん」

「夢をまっすぐ語る恵斗の力になりたかった。私から、何か渡したかった。でも、ごめんね。渡せなくなっちゃった」

「そうだよ。これはルーシーの努力の結晶だ。持っているべき人が、持つべきだよ」

 ルーシーは無言のまま首を縦に振る。

「俺、大学でもっともっと努力するよ。なんでも吸収する。この旅も、俺にとって毎日学べた大切な時間になった。一生忘れない。だからこそいつかここに戻って来たいって、本気で思うよ」

 恵斗はルーシーが見せてくれたスクラップブックを大切にめくりながら、やさしく微笑む。

 きっと当時のこの子はこの本を作りながら、ずっとずっと夢見てきたんだろうということが、否応なしにも伝わってくる。

「ルーシー、俺絶対またニューヨークに来るよ。そうしたら会ってほしい。それから、いつか俺が仕事が出来るくらいビッグになったら、一緒に仕事をしようよ。どう? いいアイディアだと思わない?」

 恵斗はこれ以上ない笑顔で問う。

 そしてルーシーの心にふつふつと蘇る、過去の熱さ。夢を追いかけていた記憶。朧げになっていたものが、はっきりと形になってゆく。


ーーーねぇ、いまのルーシーなら、なにがしたい?


 幼少期の自分が、笑顔で今の私に尋ねる。

「それって…」

 ここ数年忘れたフリをしていた、あの、夢舞台への憧れ。もしかしたらもう一度、いや、何度だってチャンスがあるかもしれない。

「それって、とってもいいアイディアね!」

「俺は日本で、ルーシーはニューヨークで。いつかまた、ここで会おう」

「うん!」

 本来渡すつもりだったスクラップブックはルーシーの手元に戻り、ギュッと抱きしめてる。

「ケイト、アリガトウ」

 ありがとう、はルーシーが初めて覚えた日本語だ。

「ルーシー、アリガトウ」


 どちらかともなく腕を広げる。ふたりのハグは愛情とも友情とも名付けられない、もしかしたら、戦友という言葉が正しいのかもしれない。

 それでも抱きしめているあいだ、抱きしめられているあいだ、ふたりの心の支えになった。






 それからしばらくしてルーシーは、兼ねてから憧れていたミュージカル専攻のある大学の試験を受けることにした。

 祖父も祖母も父も母も、ママもサリーも、笑顔で送り出してくれた。試験当日、ルームメイトのサリーは泣きながらハグをしてくれた。


 数週間後、無事に試験をパスしたことがわかり、まずは家族で宴をした。食が細かったルーシーだが、一人前はペロリと食べられるようになった。

 次にサリーと、その次はママのデリで。

 最後に、恵斗とテレビ電話で話をした。


「すごいね! やったじゃん! おめでとう!」

「もうね、超〜緊張したの! でもでも、やる気が伝わったってかんじかなぁ?」

 ふたりの関係は、海を超えても良好である。

「俺もさ大学で、舞台の演出担当に推薦で選ばれたんだ! 英会話も続けてるし、またニューヨークに行きたいよ」

「すごーい! 恵斗の演出いつか観たいけど、日本語難しいからなぁ」

「日本語なら俺がいつだって教えるよ。それじゃあまず、私の名前はルーシーです。ワタシノ、ナマエハ、ルーシーデス。さぁどうぞ!」

「ふふふ。ワタシノ、ナマエハ、ルーシーデス」

「上手だよ、さすが!」




 ルーシーはミュージカル専攻の傍ら、興味のある授業を片っ端から選んだ。どんなことも全て、表現に繋がるからだと信じている。

 久しぶりの歌のレッスン、ダンスのレッスン、表現、表情、舞台作り、キャラクターの解釈、本読みなど。その全てが、ルーシーの地肉となる。

 新しい友達も出来、一緒にブロードウェイミュージカルに観に行く機会も増えた。とても数ヶ月前までは、ミュージカル恐怖症だったとは思えないほどである。


 ママのデリでのアルバイトは続けているが、前よりシフトの数が減ってしまった。それでもママは、ルーシーの生き生きとした姿に大満足である。

 大学学内でも舞台発表があり、祖父と祖母と父と母が鑑賞に来た。皆、小さいときのルーシーを思い出し、涙目になっていた。






 ルーシーが大学に入学してから、一年後。

 恵斗の元に一通のメールが届いた。


コンニチワ、ケイト。ルーシーダヨ。

聞いて! やっと情報解禁なんだけど、

オフ・ブロードウェイのオーディションで役をもらえたの!

主役じゃないけど、とても愛着が持てるキャラクターでキュートなのよ。

主人公の親友役! 稽古もとっても楽しい!

QRのチケットを送るわ!

恵斗、ぜひあなたに見てほしいの。

来てくれる?


Lucy

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ドリームス・ライク・ダイヤモンズ 朱々(shushu) @shushu002u

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