第一歩
ライラとの賭けが開始して丁度半年。
季節は初冬。木々に付いた葉が全て落ち、薄らと雪が積もり始めるそんな季節。
賭けの始まる前を含め、ちょうど合計8度目の密談をその日に控えた早朝。
「英雄様、最近変わられましたね? 」
いつも通り1日のスケジュールを読み上げ終わったメイドが、少年に不思議そうに問いかける。
「そうですか? 自分ではそんな気はしないのですが……」
「いいえ。以前と比べてとても明るくなられたと思います。」
そこまで分かりやすい変化をしてしまった。と、少年は不安そうな顔をするも、メイドはそれを上品に手を口に当てクスクスと笑う。
「私はそれはとても良い変化だと思います。
どんな事情があったにせよ、親しみを覚えている相手が元気に、明るくなる事は皆嬉しいモノですよ」
「そういうものなのかな? 」
「えぇ、勿論」
キョトンと首を傾げる少年に、メイドは更に優しく微笑むのであった。
***
「という事があったんだけど、どうなんでしょう? 」
その日の新月、少年は早速ライラに朝あった出来事を尋ねる。
「へぇ、良いんじゃないかな?
私も、君が明るい方が嬉しいしね」
少年の方から口を開くという珍しい状況に一瞬驚くも、ライラは直様質問に答えた。
「ライラさんがそう言うなら、良いのかな? 」
「あぁ、勿論。
さて、じゃあ今日は冬についての話でもしようか」
少年が安心したのを確認し、いつものように少年の知らない世界を語っていく。
その内容の一つ一つを少年はキラキラとした眼で聞いて、自分の知識として染み込ませていく。
そうやって今宵も時間を忘れて話を続ける。
その時の少年の頭にはもう、賭けの事などすっかり無くしてしまって。
***
「英雄殿、最近如何なさったのですか?
以前と比べて腑抜けているように見えますよ? 」
ある日の昼。
ライラの話と比べ物にならない程につまらないいつもの会談中、英雄信仰を束ねる教皇が少年に不審感を募らせた視線を当てる。
「別に僕は変わりませんよ。
気温が下がって少し気が滅入っているだけです」
少年のちょっとした反論に教皇は眉間に皺を寄せ、ガンッと成程の勢いで座っていた椅子を後ろへ吹き飛ばしながら立ち上がる。
ご丁寧に机に両手を叩きつけてまで怒りのアピールを行う。
「気が滅入る!? 英雄ともあろう方が何と愚かな事を!
英雄は常に気を張り、国民を想う! そこに自分の勝手な都合を介入させるとは何を考えておるのですか!
その上体調を崩すなど、英雄として
ライラと出逢う前なら、少年は反省しただろう。
外の世界を知る前なら、少年は
だが、今の少年にある気持ちは一つ。
─下らない
と、吐き捨てるような
言うならば、説教をされても一ミリも反省していない者が、「あー、はいはい。すんませんっしたー」とか心にも無い謝罪をしているのと同等か、それ以下。
「申し訳ありません教皇様。以後気をつけます」
なので少年は、表面に反省の色だけを貼り付けて、心にも無い謝罪を行う。
「いえ、分かっていただけたなら結構です。
私も少々言い過ぎました。
ですが英雄殿。私が申している事は紛れもない事実です。貴方が有ってこその我が国。我らが教え。
それだけは重々ご承知下さい。」
約1年前と比べ、少年は考えるようになった。
それまでは全て真に受けて、全て反省して、全て改善した。
何も考えず。相手が絶対に正しいと。そう思っていたから。
だが、今の少年は違う。
教皇が大切にしているのは教えではなく自分の立ち位置。
教皇が護りたいのは自分の生活。
英雄への信仰心など、有ったとしても結局遥かにそれ未満。
そして、少年の身を案じる気持ちなどその遙か地の底にあるかどうか。そんなレベル。
そんな者に
その事にも気が付かず、いつも通りの貼り付けられた反省に教皇は満足して椅子を戻して再度座る。
─ほら、結局貴方は僕を見ていない
そんな少年の本心など当然知らないまま。
教皇は今日も、自慰行為を見せつけるが如く身勝手な小言と説法を少年に説いていく。
***
その後も、少年の心は当然英雄信仰から離れていき、ライラへの好意と好奇心が増していく。
そして、賭けを始めて12回目。
最後の新月。
窓から来るライラを待ち焦がれ、少年はベッドに座ってソワソワとしていた。
その横には大きなリュック、服装はいつもの寝巻きと違う外用の装い。
「どうやら、いつもと気合の入り方が違うみたいだ。
そんなに最後が楽しみだったのかい? 」
いつも通りの声。
相変わらずハッキリ見えない姿。
それでもライラは自分の変化に気づいてくれた。
それだけで少年の心は踊った。
「そうですね。
今日は、特別な日ですから」
少年から珍しく感じる強い覚悟。
その覚悟に、いつも陽気なライラの気配が引き締まる。
「そっか……どうやら今日は、私の話題は必要無さそうだね。
良いよ、言ってみなよ? 」
ライラの優しさに少年は頷き、
「僕を外に連れ出して下さい」
そう、頭を下げた。
生まれて初めて人に心からのお願いをした。
生まれて初めて自分の意思を表にした。
そして、
生まれて初めて、外の世界を望んだ。
少年の想いに、ライラは目を閉じて考える。
「どうして私なんだい?
自分で出ようと思えば、君は出られるだろう? その強さを持っているのだから」
試すようなライラの口調。
それでも少年は怯まない。
「僕は、外の世界に出られても、外の世界での生き方を知らない。
外の世界の生き方を知れても、外の世界での楽しみ方を知らない。
外の世界の生き方を知れても、貴女が居なければ意味がない。
僕に憧れの気持ちをくれた貴女が居ないと、僕には結局、意味がない」
最後の言葉、その全ての真意はライラには汲み取りきれなかった。
それでも尚、今までとは比べ物にならない程の強い意思を感じた。
その意思に当てられ、彼女は深く息を吐き、
「分かったよ、私の負けだ。
だけど一つだけ覚えておいてほしい」
厳しい口調と裏腹に、少年に優しく手を差し伸べる。
「英雄の脱走。
そんな事をすれば、君はこれから永遠に命を狙われるだろう。
真っ当な人間として生きていけない可能性も高い。その覚悟はあるかい? 」
脅す様な口調。
それでも少年は伸ばされたその手を間伐入れずに握り締め、
「コレが覚悟というのか、それはわかりません。
ですが、こんな場所で人形遊びに付き合わされるより遥かにマシだ」
強く言い放った。
「うん、よく言ったね少年。
なら善は急げ! ……ってことで、早速行くぞ少年!! 」
「はい! 」
二人は手を繋いだまま窓から飛び出し、屋敷の外へと向かっていく。
元より英雄の脱走や強盗など気にしなくても良かっただけに、警備などおらず、言ってしまえば
そんな庭の中を二人は笑顔で駆け抜ける。
そして走りながら、
「そういえば少年、賭けは私の勝ちで良いよね? 」
「まぁ、1回目の時点で僕の負けでしたけどね? 」
少年も直ぐに頷き負けを認める。
「あっははは! なるほどあの時点で勝ってたのか!
なら、このお願いはもっと早くさせて貰えば良かったな! 」
静まり返った街の中、ライラは大口を開けて一笑いした後スッと立ち止まり、街灯に照らされた少年の顔をジッと見つめ、
「私は君に名前をあげたい。
どうだろう? 」
スカイブルーに輝く少年の両目を真剣な瞳で見つめてそう言った。
「僕が……名前を……」
ようやくハッキリと見えたライラの顔を。
1年ぶりに見る真っ暗な瞳と真っ黒な髪をジッと見つめ、
「良いんですか? 僕が名前を持って……」
声を涙で震わせた。
そんな少年のオオカミのような灰色の髪をクシャクシャと撫でて、
「君はもう英雄じゃ無いからね。
名前なんて、有って当然だろう? 」
平然と言い切ったライラに、とうとう少年は我慢出来ずに涙を流す。
物心がついてから初めて涙を流す。
「君にあげたい名前はもう決まっていてね。
『リラ』
というのはどうだろう? 」
与えられた名前に、驚いた様に少年はバッと顔をあげる。
「おや、気に入らなかったかい? 」
ライラの少し申し訳なさそうな顔に少年はブンブンと頭を横振って、
「逆です……僕が、あの素敵な名前を貰えるなんて思わなくて……こんなにも分かりやすくライラさんとの繋がりをくれるなんて……今まで生きてきた中で一番……一番嬉しくて! 」
再びボロボロと泣き出す。
そんな少年の頭をライラは抱き締めて、
「この程度で一番なんて気が早いよ。
君はこれから、もっと楽しくて嬉しい事と出逢うんだから。
だから、その言葉はまだ取っておきな、ね?」
「はいッ……ライラさん! 」
やがて少年の涙は止まり、再び街の外へと向けて進む。
今度は走らず、自由を噛み締める様にゆっくりと歩いて。
そしてこれから全てが始まる。
少年『リラ』と英雄を奪った来訪者『ライラ』の、楽しい事を探す、長い長い道のりが。
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