開幕はド派手に
――花火が打ちあがる、半日前。
******
「やっと、帰ってきてくれたのですね」
宰相付き文官の元上司が王城に戻った私をわざわざ出迎えに来るほど、私が抜けた2か月は大きかったらしい。
元上司は少しやつれた顔で私の手を握る。
「あなたが帰ってくるのを心待ちにしてました。宰相閣下からくれぐれもよろしくと、差し入れを預かっています。ぜひ
流れるようにお菓子の箱を渡される。やはり彼らは優秀だ。
「ありがとうございます。宰相閣下にも後ほどお礼にうかがいます。そういえば……ここ数日はいつもより星が見えないようですよ」
「そうですか、それは残念です。では、しばらくは夜空を見上げずに早く帰るよう、皆に伝えます」
「えぇ、それがいいでしょう」
私の言葉に元上司は穏やかに返事をして宰相室の方へ歩き出す。私は一礼して、反対方向へ曲がった。宰相室も文官室も、第二王子の執務室とは逆方向なのだ。
執務室の手前にある使われていない会議室へ入った。お菓子の箱を開けて中を確認する。正しく、気合いが入る差し入れだ。
すべてに目を通し、空き箱を処理する。会議室を出て、執務室の前に立つ。軽くノックして中に入ると、まだ誰もいなかった。
趣味の悪い執務机の上に大量の書類が山になっている。山になりすぎてのらない分が私の机にまで高く積まれていた。
第二王子はこんな状態でどこに行ったのか。目につく位置に貼られた王子の予定表、今日の予定欄に会談と書かれていた。
いないのは好都合である。
私がやるべきことは王子の溜めた書類を一緒に片づけることではないのだ。先輩に向けて窓の外から合図を出す。
しばらくして、ノックが響いた。
扉を開けて招き入れる。先輩と、もう1人、若い男。
これでカードはそろった。
******
大きな足音が近づいてくる。この遠慮のない大きな足音は王子だ。
扉が開き、想像通り王子が入ってきた。
「おぉ、戻ったか」
「はい、休暇、ありがとうございました」
「あぁ」
王子はそう言うと、書類の山をどけて荷物を置くスペースを作って座った。
あれだけ溜めておいて、よくそこまでふんぞり返れるものだ。
「殿下、1つおうかがいしたいことがございます」
私は王子の前に立つ。不思議そうな顔をする、王子と目が合った。
「なんだ?」
「殿下には学園時代、婚約内定と言われていた方がいらっしゃいましたよね」
「……いたか?」
しらばっくれるつもりの王子に私は話を続ける。
「えぇ、私の学年でも有名なご令嬢がいらっしゃいました。けれど、卒業後、どこにいらっしゃるのか、誰も知らないと。殿下は何かご存じですか?」
「知らぬな」
王子はぞんざいにそう答えた。
「そうですか。失礼いたしました」
あっさり引いた私の言葉に、王子の表情が一瞬、動揺に揺れる。
「その、令嬢は……」
「はい?」
「興味があるのだ。私との仲を噂されていた女が、姿を消していたのだろう?」
まだ、しらを切るつもりのようだ。このあたりはよく頭が回る。
「いえ、私の勘違いだったようですので……お気になさらず」
今度は私の番だ。少しじらしてやるだけで、王子は顔をゆがませた。しばらく押し問答を繰り返すと、王子は諦めた様子で席を立った。
「そうか、ならいい。……そうだ、今晩、夕食に付き合え」
「は……」
過去に一度もそのようなことを言われたことがなかった。
「エリー、我が聖女がお前に会いたいと言っている。正式に紹介したことがなかったからな」
王子は何のことでもないように言うが、王族が妃に従者を紹介するだけでわざわざ食事に招く必要はないだろう。
そもそもこんな急に招待なんてしない。
確実に目の前で食べさせるため、そして事前に解毒の準備をさせないためだ。
妃の狙いが見え透いていて、心底吐き気がした。ここまで手段を選ばないのか。
「……お誘いいただきありがとうございます。承知しました」
毒を食らわば皿まで、すべてにおいて以前先輩から聞いた、この言葉がぴったりだと思った。
******
「急なお願いだったのに、ありがとう」
「とんでもございません。私もご挨拶にうかがわず、ご無礼を……」
和やかとはとても言えない食事の席、第二王子の住む館に招き入れられた私はあれよあれよと服を着替えさせられ食堂に連れてこられた。食堂は一面ガラス張りだ。しかし、王都側ではなく、裏の庭側のようで、暗くなった今の時間では何も見えなかった。
「似合いますわね、さすが殿下の見立て」
妃と王子が私の姿を見てにこやかに笑う。上質な作りで、サイズも気持ち悪いほどにぴったりな正装。しかし、この趣味の悪い輝きのジャケットのどこが似合っているのかだけは教えてほしい。
晩餐が始まれば、後には引けない。出てきた料理を食べる私を熱い視線で妃が見つめている。
彼女が飲ませようとしているものが何なのかは詳しくはわからない。残しておいていたメイドからの差し入れお菓子を調べてくれた先輩は、惚れ薬のようなものだと言って「この程度食べてもあなたに影響はない」と断言していたが、この食事に入っているものが同じかどうかを知るすべはない。そして、今後の計画のためにも食べきる以外の選択肢はなかった。
「お口にあったようでよかったわ」
妃の勝ち誇ったような笑顔が忌々しい。
異変を感じたのは食後の紅茶が出てきたころだった。
指先が痺れるような感覚。それはすぐに全身に回った。座っていられなくなってテーブルに突っ伏してしまう。出されたティーカップにぶつかって倒れる音がする。熱さもわからない。これはまずいかもしれない。
「おい、どうした!」
王子が焦った声で近づいてくる音がする。この男は何も知らないのか?
「酔ったのかもしれませんね。殿下、客室に泊まれるよう準備をしてありますわ。そちらでお休みいただくのはいかがでしょう?」
妃のやけに落ち着いた声が響いてぞっとした。この女の目的が明確に分かった。
「殿下、人を呼びますか? それとも……」
妃が不自然に言葉を止める。近づいてきていた王子が私の体に触れたのがうっすらとわかった。
まずい。不覚だった。これは、まずい。
頭の中で様々な思考が浮かんでは消えていく。
王子が私を抱き起そうとした瞬間。
室内の明かりが消えた。
突如として閃光が飛び込んでくる。そして爆発音が響いた。
「なんだ!?」
王子が離れていく。そしてまた光と爆発音。
花火が上がったのだ。
食堂に人が入ってくる気配がした。それと同時に王子を呼ぶ男の声がする。
「報告いたします。裏の丘で花火が上がりました!」
「丘で花火!? なぜだ! 原因を調べてこい!」
王子が叫び、数名出ていったようだ。室内の王子と妃以外の気配が消える。
丘の花火。王族にとって、いやこの国にとって重要な祝いの行事である。
王城の裏にある小高い丘、普段は防衛上立ち入りが禁止され厳重に警備してあるが、国を挙げての祝い事の時にはそこから花火が上がる。
国立記念日や王族の子供の誕生などに上がる花火は王都に住む人々を楽しませていた。
その花火が、王子に何の伝達もなく上がった。
王子が随分困惑しているのは声でわかった。
「あなたの失脚祝いの花火よ」
小さいけれどよく響く愛しい声が聞こえた。
先輩だ。先輩の声だ。
「誰なの? ……!」
妃の声は花火の音に紛れてよく聞こえない。花火が鳴りやむと、先輩の優雅な声が響く。
「お久しぶりね。第二王子殿下……あと、王子妃殿下、というべきね。あなたたち、私の後輩に何をしてくれてるのかしら?」
「……後輩? まさか、お前」
「あなた方に、国家転覆なんて馬鹿げた濡れ衣を着せられた哀れな女が戻ってきたわ。少し若くなったでしょう?」
誰かが私に触れた。感覚がなくてもわかる。先輩だ。
「少し痛むわよ」
先輩が耳元でささやいた。その言葉とともに足に細い何かが刺さる小さな痛みを感じる。瞬く間に体が動くようになった。
「せ、先輩……」
「遅くなって悪かったわね」
先輩へ抱きつきそうになるのを必死でこらえた。
今の私は後輩でいるわけにはいかない。
先輩を守れる者でいなくては。
そう己を鼓舞し、王子に向き直る。
「先輩? お前……まさか! この女と繋がっていたのか! 裏切者!」
王子の顔が怒りでゆがんでいく。私はゆっくりと彼らの前に立つ。無理やり着せられた趣味の悪いジャケットを脱ぎ捨てた。
「裏切る……? 私は最初から、臣下でも側近でも、何でもない」
一歩、また一歩、王子に近づいていく。王子は距離をとろうと後ろに下がっていくが、すぐにガラスに背中をつけることになった。
私は王子の近くまで到達すると、笑顔を作った。
「ところで、殿下。」
――私の名前、覚えていらっしゃいますか?
私の言葉に、王子と妃の顔が恐怖に染まる。
私は彼らに名前を呼ばせたことはない。覚えさせたことすらない。
それに気が付かないように、違和感を覚えないように、私はそのように小さな魔術も駆使しながら立ち振る舞っていた。
その小さな魔術をこの瞬間解いた。
名前も知らない相手にここまで信頼を寄せていたことに対する恐怖が湧き上がっているところだろう。
花火が立て続けに上がり、音がやむ。
部屋の明かりも戻った。走る足音が複数聞こえ、王と宰相、騎士が数名、飛び込んできた。
宰相と目が合う、うまくやってくれたようだ。
「何の騒ぎだ……貴殿らは……?」
王が私たちを見て目を丸くする。特に先輩の顔を何度も瞬きをしながら見つめていた。
「役者がそろったわね。さぁ、始めましょう」
先輩は静かに笑い、そう告げた。
美しい笑顔だ。
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