神託

深川夏眠

the oracle


 足を止め、複式アルバイトフレームの黒いレンズを跳ね上げて日陰を見た。背嚢は重いが飲料水は切れていた。のぼりは涼しげな青に白抜き文字で〈冷水アリマス〉。

「いらっしゃい」

 売り子は年端も行かぬ小僧で、レジャーチェアから腰を上げ、暇潰しに読んでいたらしい本に栞紐スピンを挟んで座面に置いた。

「水をくれ」

「あい、よく冷えてます。神域の湧き水でやんすから、ご利益がありやしょう」

 小僧は大型のクーラーボックスに沈んだ瑠璃色の細いボトルを引き上げ、表面の水滴を拭って寄越した。見ると、いわゆるの中には色とりどりの直方体の瓶が切り分けられたきんぎょくのように整然と並んでいた。だいだい中黄ちゅうきうすみどり本紫ほんむらさき――。

「お代はそちらへ。おつりは出ません。あしからず」

「ああ」

 値段はあってなきが如し。維持・管理費の足しに、ばかり……と言いたいのだろう。浄財と墨書された木箱に小銭を入れ、

「ありがとう」

「まいど。お気をつけて」

 レンズを元に戻し、強い日差しを遮った。じょうめんの飲み口から栓を抜き、歩きながら水を呷ろうとした。すると、

「グァッ」

 何かが粘膜を刺した。その場にくずおれ、喉を掻き毟った。異物の正体と身体反応より、倒れた瓶から水が零れる方が気懸りだった。砂地に転がったコルクの在りを這いつくばって突き止め、急いで蓋をした。

 肩で息をつき、ストローの切れ端に似たものを視界の隅に捉えた。摘み上げると、ペロンと捲れた。小さな加工紙だった。細かい文字が印刷されていた。もう一度、黒レンズを持ち上げてきんがんきょう越しに見つめ直した。曰く――


たつみの方角に吉兆あり。やまい寛解せむ」


 他にも財産やら恋愛やらが何だとか書き連ねてあったが、どうでもよかった。あの小僧が無造作に引き当てた御託宣に感謝して、放浪を続けることにした。



             the oracle【The End】



*2023年8月書き下ろし。

**縦書き版はRomancer『掌編 -Short Short Stories』にて

  無料でお読みいただけます。

  https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

***⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/8fUBMw2X

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神託 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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