第40話 もう一つの記憶

「なにも言わずに一日つき合って欲しいんだ」


 僕の唐突なお願いを爽子は快く聞き入れてくれた。

 その日も晴天で、鮮やかな青空の向こうには霞のような雲が薄くかかっている、山間の道を抜ける風は爽やかで散歩をするには最高の日和だ。

 あの日、学校で盗人扱いされて親父にまで殴られた僕は、家を飛び出して線路沿いの道を無我夢中で走り続けた。

 その道を僕は今、再び辿っている。

 僕が冴えない顔をしていたためか、爽子は僕の手をぎゅっと握り続けている。実際、それは僕に勇気を与えてくれていた。

 道すがら今日までのことをできる限り詳しく爽子に説明した。あまり他人に聞かせたくない失敗も、もしかしたら爽子が怒るかもしれないことも、包み隠さずにできるだけ正確に伝えたつもりだ。

 爽子はそれを静かに最後まで聞いてくれた。

 子供の頃、転校していく彼女と僕は永遠の友情を誓い合った。だけど、そのとき僕たちは指切りはしていない。それは今日、あらためて爽子にも確かめてみた。

 僕は爽子と爽子以外の女の子の記憶を混同させてしまっていた。その相手が本当は誰だったのか。どんな約束を交わしたのか。それを僕は確かめなければならない。

 爽子の手を引くように、あるいは爽子に手を引かれるように歩いていく。

 山中を通って線路脇を走り続ける長い道だ。急な勾配はないが、ゆるやかに上がり続けるか、下り続けるかを、ひたすらに繰り返している。古びたアスファルトはところどころ舗装し直されているが、ひび割れが多く、白線も薄れて消えかけているところが多い。

 いくら我を忘れていたとしても子供の脚で動ける距離などたかが知れている。そう思っていたのだけど、当時の僕は呆れるほどのガッツ?を見せたらしく、それらしい場所には、なかなか辿り着かなかった。

 それでも山をいくつか越えたところで、ようやく開けた場所へと辿り着く。

 低い山を切り開いて作られた住宅地だ。周囲にはいくつもの田園が連なるように広がっている。

 見覚えがあるというほど記憶は鮮明ではなく、昼夜の違いによって印象も異なるだろうが、体力的に考えても、ここを抜けて次の町に行ったとは考えにくい。

 とりあえず闇夜では真っ暗になるであろう街灯のない脇道は無視して、町中を伸びる車道を進むと、長い坂を上った小高い場所に小さな公園が見つかった。

 春休みだというのに子供の姿もなく、古びた遊具が所在なさげに佇んでいる。その中の一つ、小さなジャングルジムに近づくと、僕はそこに屈み込んだ。

 やはりここだ。懐かしくも切ない気持ちを噛みしめながら、僕は傍らに立つ爽子に古い話を聞かせ始めた。


「あの日、すべてから逃げ出した僕は、ここにひとりで座り込んでいたんだ」

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