第36話 ドラマは終わりて
「結局、これが報いってものか……。神よ……僕は本当に愚かだった」
二学期が始まって間もない頃、ミュージカルの舞台俳優のように田中は身振り手振りを交えて天を仰いだ。
「名演だ。完全に田中葉太になりきっている」
「いや、当人だから」
花屋敷さんが滝沢のボケに突っ込んだ。田中は、それを無視してチラリと僕を横目で見ると演技(?)を続ける。
「ああっ、滝沢のみならず、三日森にも美人の彼女ができて僕だけが独り身だなんて……」
名優田中は片膝を突いて両手を広げ、まるで神を呪うかのように言った。
それを半眼で見つめながら僕は思ったことを口にする。
「ほっとくと、このまま歌い出しそうだな」
「美声に期待させてもらうわ」
つづいて言ったのは花屋敷さんだ。
田中はガックリとうなだれたあと、恨めしそうな目で僕を見てきた。
「お前だけはずっと独り身のまま歳を取って、寂しい晩年を送るものだと心の底から信頼していたというのに、この裏切り者め」
「いや、そんな信頼はいらないから、お前も早く彼女を作りなよ」
「作ろうったって、そんなに簡単にできたら誰も苦労しないよ。だいたい、お前らの彼女に釣り合うような女なんて――」
そこで言葉を止めると田中は月子を見た。
彼女は少し離れたところで別のクラスメイトと楽しげに話し込んでいる。
田中の視線を追いかけたところで滝沢は言った。
「無いな」
「うん、あり得ない」
花屋敷さんがつづけると田中は渋い顔をしたが、結局なにも言い返さずにうなだれた。
夏休みの間中に田中と滝沢の関係は修復されていた。どうやら田中が、きちんと頭を下げてあやまったらしい。そうなれば気の良い滝沢が許さないわけもなく、仲直りは思った以上にすんなりいったようだ。
僕としても殴った責任があるので田中に頭を下げようとはしたけれど、それは当の田中に断られてしまった。
「ダチが間違ったことをしたんだから、殴ってでも目を覚まさせるのはダチの仕事だろ。それともお前は俺のことをダチって思ってくれていないのか?」
正直なところ僕は田中が、こんな男気のあることを言うとは思っていなかった。それどころか結局は田中も昔の僕の級友達と同じような人種なのかと失望してさえいた。
そのことをかいつまんで田中に説明して頭を下げると田中は苦笑して言ったものだ。
「三日森、僕を見直しただろ? ――実は僕もだ」
自分で自分を見直す――言われてみれば、そんな気持ちが僕の中にもある。
今年の春の僕は自分が今のようになっているなんて夢にも思っていないだろう。爽子を恋人にして友情を本物に変えて、これからはクラスのみんなとも、もっと良い関係を作っていけると思う。
ぜんぶ、沢木南月子のおかげだ。
たとえこの先、また誰かに裏切られて傷ついたとしても、月子のことを忘れない限り、僕は大丈夫だろう。
そんなふうに、ひとり感慨にふけっていると田中が話しかけてきた。
「けど、ちょっと意外なんだよな」
「うん? なにが?」
「お前がつき合うとしたら、絶対に月子さんだと思ってたんだよ。彼女もお前に気がありそうだったし」
田中は窓際で友達と笑い合う月子を眺めて言う。その視線を追うように僕も月子を見つめた。その姿は夏の木漏れ日のように目映く輝いて見える。
疑いようもなく魅力的で、事実として僕は月子にこの上ない好意を抱いている。それでも恋愛には結びつかない。それは僕が爽子に心を奪われているからだろうか。
「彼女は他に好きな人が居るんじゃないかな? 前に偶然会ったときもデートだって言ってたし」
僕が言うと田中も納得したように頷いた。
「まあ、あれだけの美少女だもんな。学校でも人気者だし、彼氏が居たっておかしかないか」
「うん、そうだよね」
答えながら僕は月子が海で見せた奇妙な行動を思い出していた。まるで自ら命を絶とうとしていたかのような、あの振る舞い。
でも、今の月子からは、そんな不穏な気配は微塵も感じられない。
だからだろう。当たり前の毎日がつづく中で、いつしか僕はそんなことがあったことさえ思い出さなくなっていった。
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