第27話 続・友達の恋-4
この日は駅から学校へと向かう道の途中で月子を見かけた。
隣には花屋敷さんが居て、少しうつむき加減に歩いている。いつもより元気がなさそうだ。滝沢をふったことを気に病んでいるのだろうか。
なんとなく声がかけづらくて、そのまま距離をおいて歩いていく。
しばらく進んだところで後ろから軽く肩を叩かれた。
「よお、三日森」
滝沢が元気そうな顔でそこに立っている。
「おはよう」
「おう、おはよう」
僕の横に並んで歩き出すと滝沢は花屋敷さんのほうに視線を移した。
「彼女、もしかして気にしてくれてんのかな?」
「うん、そんな感じだね」
「悪いことしちまったかな」
自分がフラれたというのに人のいいことを言う滝沢に苦笑して答える。
「悪いことではないと思うよ」
「そうか……。うん、そうだよな」
納得したように頷き、滝沢はいつもどおりの笑顔を浮かべた。
たぶん、空元気だとは思うけど、それでも空元気さえ出ないよりはいいはずだ。
僕はいつもどおりに振る舞おう。あまりヘタに慰めるよりも、滝沢はそちらのほうを喜ぶ気がする。
そのまま僕らは今年の野球がどうとかありきたりなことを話しながら学校までの道のりを歩いていった。
校門を抜けて昇降口の下駄箱で靴を履き替えると、普通の学校とは少し趣の異なる広い廊下を歩いて教室に向かう。
前を歩く月子たちが教室に入り、あとに続こうとしたところで、突然月子の怒鳴り声が響いた。
「なによ、これ!?」
あの月子があんな声を出すことに、まず驚いたが、つづいて教室に入ったとき、視界に飛び込んできたものを見て僕は絶句した。
それは黒板に大きく描かれた相合い傘で、左右それぞれに滝沢と花屋敷さんの名前が書かれている。さらに悪趣味なのは傘の上に描かれたハートが割れていることだ。つまり、これを描いた奴は滝沢がフラれたことを知っているのだ。知っていて、これを描いた。
久しく忘れていたような激しい怒りが込み上げてきたが、それよりもまずは滝沢だ。
ふり返ると滝沢はさすがに蒼白になっていた。クラスメイト達の視線が、そこに集中している。
「た、滝沢……」
なにか声をかけようとしたところで、からかうような声が横合いから聞こえてきた。
「いや~、残念だったね、滝沢。まあ、相手は高嶺の花屋敷だししかたがないさ。でも人生は長い。次があるさ」
面白がるように言ったのは田中だった。その顔を見て、さすがにピンとくる。
「お前が描いたのか――!」
僕は自分でも驚くようなドスの利いた声を発していた。だからなのか、田中はやや焦ったように後ろに下がる。
「い、いや、ジョークだろ、こんなの」
「バカヤロウ!」
気がつけば僕は思いっきり田中の顔面を殴りつけていた。女子たちが悲鳴をあげ、教室が一気に騒がしくなる。
「滝沢くんっ!」
月子の声に振り向けば、滝沢が廊下に飛びだしていくのが見えた。
「滝沢!」
慌てて後を追いかける。背後で田中の罵声が聞こえた気がしたが、いちいち構っていられない。
滝沢は廊下を曲がって階段を駆け下りると上履きのまま裏庭のほうへと駆けていった。僕も構わず、そのままで滝沢を追いかける。
始業ベル前で
「チクショウ……ダセぇよな」
滝沢は泣いていた。いつも明るく、お調子者で、負けん気の強い男が、堪えきれない心の痛みに嗚咽を漏らしていた。
「なんとか、平気なふりをしようとしてたんだけどよ……」
「滝沢……」
「かっこわりいぜ。この俺が女にフラれたくらいで……」
失恋の痛みがどれほどキツイものなのか、幸いにも僕はまだ知らない。だけど、想像するぐらいのことはできる。もし彼女にフラれたらと考えれば……。
そうだ、僕はそれが怖くて未だに告白できないんじゃないのか?
なんだかんだ理由をつけてはいたけど、けっきょくあの頃からずっと、人に拒絶されることを怖れてるんだ。
「すまねえな……。またお前に心配かけて……。本当にかっこわりい……」
こんなときでも僕を気遣うようなことを言う男に、僕は両の拳を握りしめて言った。
「格好悪くなんてない!」
言葉の内容よりも大きな声に驚いたのだろう。滝沢がふり返ってこっちを見た。その顔を真っ直ぐに見て告げる。
「お前はすごいよ。だって、ちゃんと告白できたじゃないか! 僕と違って、ちゃんと言えたじゃないか!」
「三日森……?」
「僕はずっと片想いをしてる人がいる。見てるだけで満足みたいに嘯いて……。でも、本当は想いを告げる勇気が持てないだけなんだ!」
そうだ、僕は臆病なだけだ。臆病で卑怯者だ。だから、あの日、これ以上誰かに裏切られないようにって心を閉ざすことを選んだ。立ち向かうことから逃げていたんだ。
「滝沢、お前は僕から見て、眩しいぐらいに格好いいんだ。その男気に僕は憧れてるんだ! だから、そんなこと言うなよ!」
言葉を選んでいる余裕もなく、僕は必死になって自分の気持ちをぶつけた。そんな僕をしばらくの間じっと見ていた滝沢は、やがて小さく苦笑すると涙をぬぐった。
「お前、けっこう鬼だな」
「え?」
「そんなふうに持ち上げられたら、女々しく泣いてられねえじゃねえか」
困ったように、でもいつものように滝沢は口元にふてぶてしい笑みを浮かべた。
そこへ、僕のさらに後ろから女生徒がひとり駆け寄ってくる。
やはり、上履きのままで息を切らせながら、どこか必死の面持ちで滝沢を見つめていた。
「花屋敷さん……?」
それは花屋敷咲良だった。僕も驚いたけど滝沢も目を丸くしている。
「滝沢くん、ごめんなさい」
花屋敷さんに言われて滝沢はまた困ったような顔になる。
「いや、花屋敷さんが悪いわけじゃねえよ」
「ううん、わたしが悪いの! わたしが逃げちゃったから、話がややこしくなって……」
「え? ……どういうこと?」
首を傾げる滝沢。もちろん僕にもピンと来ない。
「わたし、嫌じゃないの!」
「え……?」
「あなたの気持ちは嬉しかったの!」
「…………?」
「でも、急なことで、どうしていいか判らなくて、頭の中が真っ白になっちゃって……だから、ごめんなさいって言って逃げ出して……」
滝沢はまだ状況が呑み込めていないようだったが、ようやく僕は理解していた。
つまり、花屋敷さんの「ごめんなさい」は拒絶の意思表示じゃなかった。すぐに答えを返せなくて逃げ出すことへの言い訳に過ぎなかったのだ。
「滝沢くん、もしまだ間に合うなら――」
花屋敷さんは一度言葉を切って、そこから勇気を振り絞るようにして続けた。
「わたしをあなたの彼女にして下さい」
滝沢が目を見開いて口をポカンと開ける。それが次第に喜びに変わるのを見ながら、僕は不覚にも涙が滲むのを感じた。
「よ、喜んで!」
滝沢は直立不動の姿勢で答える。今さらながらに緊張で硬くなっているようだ。
僕は本当に嬉しかった。友達の恋が成就したのが自分のことのように嬉しかった。こんな感情もこの世にはあるんだ。こんな僕でさえ、こんな感情を持ち得るのなら、広い世界には、もっともっとやさしい奴らがいくらでも居るはずだ。
世界はまだまだ捨てたものじゃない。しみじみと実感していた。
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