第19話 不機嫌な彼女-1
今日も晴天に恵まれて電車のエアコンは朝から大忙しだった。
空調の効いた客車の中で、いつもどおりの揺れを感じながら、僕は彼女が現れるのを待つ。
また以前の男が一緒だったらと不安な気持ちもあったけれど、いつもの駅から乗り込んできたとき彼女はひとりだった。
内心でホッと胸を撫で下ろしながら、彼女の動向をさりげなく視界に入れる。
今日は乗客が少ないらしく、ちょうど僕の斜め前に空席ができていた。おそらく彼女はそこに座るだろう。いいポジションだ――なんて考えていると、まるで覗きかストーカーのような気もしてくるが、そこはあえて気にしないことにする。
しかし、彼女はその前を通って――なぜか、そこに座ることなく――こちらに向かって歩いてきた。
(なんだろう?)
とまどう僕をよそに、彼女は僕の真っ正面に立つと、そこで吊革を手にして口を開いた。
「かわいい彼女が居るのね」
「…………」
はじめて耳にする彼女の声。それはイメージどおりに美しかったけど、いったい誰に向かって話しかけているんだろう?
「仲がいいのは結構なことだけど、公共の場であんなふうに抱き合うのはどうかと思うわ」
「……え?」
僕はとまどいながら左右を確認した。左に座っているサラリーマンは居眠りをしている。右側の大学生はヘッドフォンをかけて、なにやら音楽を聴いているようだった。
つまり、彼女が話しかけているのは、どう考えても……。
「でも意外ね。ホラー映画、好きだったんだ」
「ち、違っ」
僕は思わず立ち上がろうとしたが、そのせいで彼女にぶつかり、その胸に顔を埋める。
「ご、ごめんっ」
今度は慌てて席に着いたけど、当然ながら彼女は不機嫌そうに顔を赤らめていた。そのまま冷たい声音で僕に詰問するように言ってくる。
「違うってなにが?」
「僕と月子は、ただの友達で……」
「月子っていうんだ。あなたってば、ただの友達を呼び捨てにしたり、抱き合ったりする人なの?」
仲の良い女子を呼び捨てにする男子は居なくもないと思うけど、それよりも大事なのは後半だろう。
「いや、あれは抱き合ってたわけじゃなくて……」
月子は自分のせいにしろと言っていたけど……。
「僕が……怖くて彼女に抱きついていたんだ」
情けない思いを堪えながら、事実を告げた。
「…………」
反応がないので顔を上げる。
彼女は、ぽかんと呆気にとられたような顔をしていた。
それでも視線が合うと、また怒ったように言ってくる。
「それが事実だとしても、恋人でもない男に抱きつかれてイヤな顔をしない女なんていないわ。少なくとも、向こうはあなたが好きなんでしょ」
「いや、彼女はいい奴だから我慢してくれていただけで、僕に惚れてるなんて絶対にあり得ないよ」
「なんで、そんなことが言い切れるのよ?」
「それは彼女が僕に……」
君への告白を勧めてくるからだ――なんて、とても言えない。
言ったら告白したのと同じになってしまう。
「だ、だいたい君こそ、電車の中で朝っぱらから男とベタベタしていたじゃないか」
誤魔化そうとして無理やり難癖を付けてしまう。
「はあ? なんの話よ?」
「つい先日の話さ。髪を染めたチャラそうなのと……」
僕の言葉を聞いて彼女は真っ赤になった。
「あ、あれは、ただのクラスメイトよ! こっちは鬱陶しがってるのに、延々話しかけてきて迷惑なことこの上なかったわ」
そうなのか――と内心ホッとしたところで僕は車内の様子に気づいた。他の乗客がみんな僕らを見ている。
どうやら彼女もそれに気づいたらしく、耳まで真っ赤になったまま、そっぽを向いて空いてる席へと小走りに駆けていき、そこにちょこんと座った。
よっぽど恥ずかしかったのか、スクールバッグで顔を隠すようにしながら、それでもチラチラと僕のほうを覗き見てくる。
いったい、これは何事なのか……?
なんだって彼女は急に、こんなふうに僕に絡んできたのだろう?
たまたまアレを目撃したからって赤の他人のことを、こんなふうに気にするだろうか。
いや、待てよ……。もし、赤の他人でなかったとしたら。
その瞬間、ここ数日で起きていたことが僕の中で繋がり一本の線になった。
そうか、そういうことだったのか、月子。
君は……。
いやいや、あり得ない。いくら何でも非常識で突拍子が無さ過ぎる。
そう思って浮かび上がった答を一度は打ち消した僕だったが、考えれば考えるほど、これ以外には考えられない気がしてくる。
確かに世間の常識からは逸脱した答だけど世の中にはそういう愛のカタチだってあり得るのではないだろうか。
思い悩んだ末に僕は僕自身が導き出したこの答を静かに受け入れたのだった。
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