第17話 夕映えのメロディー-1

 翌日の日曜日に、わざわざ茜川まで足を延ばしたのは、地元量販店の品揃えの悪さがいちばんの理由だったけど、心のどこかでは、やはり月子のことが気になっていた。

 もちろん、いくら地元に住んでるとはいえ、そうそう街中でバッタリなんてことはないだろうが、こういうとき人はあまり論理的ではない行動を取るらしい。

 あれから僕は花屋敷さんの言ったことを、ずっと考えていた。

 話の流れからして、たぶんあの人は、ことさら僕という存在に拘ってはいない。むしろ月子のことが好きな男子なら誰でも良さそうな感じだった。

 それはつまり、あまり考えたくはないけど月子は今、道ならぬ恋をしてしまっているのではないだろうか。

 たとえばそれは……。


「ふ、不倫……とか?」


 声に出してつぶやいたあと、バカな思いを振り払うように僕は大きくかぶりを振った。


「違う、あり得ない。彼女はそんなことをする娘じゃない!」

「いやいや、女ってのはわかんないわよ~」

「そんなこと――!」


 いきなりの声に反射的に振り向くと、驚いたことに当の月子がそこに立っていた。見慣れた制服姿ではない。今は私服で白いブラウスにショートパンツを身につけ、肩にバッグをかけて白い帽子を被っている。

 いかにも清楚な女子高生といったイメージだが、その脚のラインが美しくて、ついつい目が行きそうになる。これならば女に飢えた中年男性など一撃でKOできそうだ。

 つい先日、僕の頭をのせてくれていたその脚を、見知らぬ男の手が撫で回す姿を想像して僕は青ざめた。


「つ、月子……」

「奇遇ね、三日森くん。相変わらず、挙動が不審だけど、どうかしたの?」

「君は……君って娘は……」


 きょとんとした顔でこっちを見てくる月子に、込み上げてくるやるせなさを抑えながら僕はキッパリと告げた。


「不倫なんて、すぐにやめるんだ!」

「――――っ!?」


 月子は面食らったように身をのけぞらせると、見る見るうちに真っ赤になった。


「なっ、なっ――」


 何か言おうとしているようだが、動転のあまり声がうわずっている。

 ふと、気がつくと、いつの間にか周囲を歩く人たちが足を止めて、こちらに注目している。そういえば、ここは商店街のど真ん中だった。

 周囲を見回した上で、あらためて目を向けると、月子はうつむいて肩を震わせていた。それは羞恥のためか、激しい怒りのためか。たぶん両方だ。

 ああ、またやってしまった。

 この後の展開は当然予想できる。強烈なビンタか、あるいはげんこつが僕の顔面に炸裂するのだ。いくら月子のためを思ってのこととはいえ、場を弁えずに言ってしまった僕の自業自得だ。

 覚悟を決めると目を閉じて、その瞬間を待った。


「こっち来て!」


 月子は僕の予想に反して、腕をつかむと引きずるようにして走り出した。

 人通りの多い場所を抜けて、いくつかの角を曲がると、ようやく立ち止まって、僕をキッと睨みつけてくる。

 ああ、やっぱり月子も怒るときは怒るんだ。

 なんだか新鮮な気分で、その顔を見ていると、月子は急に毒気を抜かれたような顔をして深々と嘆息した。


「君って、いつもわたしの斜め上を飛んでるわね」

「えー……」

「いったい、なにをどう間違ったら、わたしが不倫してるだなんて勘違いができるのよ……」

「勘違いだったのか?」


 拍子抜けしつつ問いかける僕に月子は冷たい目を向けてくる。


「君はわたしのことをそういう目で……」


 言いかけたところで月子は何かに思い当たったように黙り込むと、今度は顔をしかめて言った。


「つまり、わたしの冗談が、その勘違いを認めてしまっていたわけね」


 どうやら「彼女はそんなことをする娘じゃない」に対する自分のコメントを思い出したようだ。


「でも、それってつまりわたしが不倫してるって話をどこかで仕入れたのよね? 話の出所はどこなのよ? 誰が君にそんなデタラメを吹き込んだの?」

「い、いや、それは……べつに不倫とまでは聞いていないけど、えーとその……」


 忘れてくれと言われたのに喋ってしまうのは花屋敷さんに悪い気がする。

 ここは適当に誤魔化すとしよう。


「だ、誰ってことはないけど噂を耳にしたんだよ。君が道ならぬ恋に落ちているって」

咲良さくらね」

「え? 誰?」

「花屋敷咲良」

「君は名探偵なのか?」


 驚く僕の前で月子はまたしても嘆息した。


「あの娘もあなたと同じで、頭はいいのに思い込みが激しすぎるところがあるのよ」

「そ、そうなのかい? 頭がいいなら、そこは僕と違う部分だけど」

「わたしの初恋の人ってのが中学の先生でね。咲良は、それをわたしがまだ引きずってると思い込んでいるのよ」

「思い込んでるだけ?」

「そうよ。わたしが彼氏を作らないのは、そんな気分にさせてくれる男が居ないってだけなのにね」

「はぁ……なるほど」


 僕は納得して、しみじみと思った。解けた謎ってのは案外単純で面白みのないものだ。もう少しドラマチックな事情を期待していた――というのは不謹慎だが。


「あっ、でも月子、このことは……」

「ええ、咲良には言わないわ。あの娘に悪気がないのは知ってるから」

「うん。ごめん、恥をかかせて」

「いいわよ。一生根に持つだけだから」

「ええっ!?」


 さらりと宣言されて僕は青ざめた。月子は笑顔だったが目が笑っていない。夏の暑さが原因ではない冷や汗がダラダラと流れ落ちる。

 そんな僕を見て月子の笑みが含みのあるものへと変わる。


「でも、曲がりなりにもわたしのことを心配してくれたみたいだから、お願いをひとつ聞いてくれたら忘れてあげなくもないわ」

「き、聞くよ! どんなことでも!」


 即答すると、月子は頷いてバッグを開ける。そこから長方形の紙切れを二枚取り出すと僕に見せながら、にっこりと笑った。


「それじゃあ、今から映画につき合ってね」

「え?」

「お父さんにタダ券もらったんだけど、ホラー映画でさ。本当は咲良と観るはずだったんだけど、あまりの前評判に逃げちゃって……」

「えーと……」


 正直、ホラー映画は僕もあまり得意じゃない。

 いや、これは嘘だ。

 本当はメチャクチャ苦手だ。子供の頃から、そういう話を聞くと決まって夜は眠れなくなった。

 だけど、もしここで断ったりしたら……。


「もしかして、ホラーはダメな人?」


 気遣うような顔を見せる月子に僕は確信した。断っても、月子は怒らないし、一生根に持つと言ったのも嘘だ。だから、ここは逃げたって構わない。そう思いながらも僕は反対の答えを返していた。


「いや、行くよ。迷惑をかけたのに、ただで映画を見られるなんて、こんな美味しい話を断る理由はないからな」


 虚勢を張って言ったのは、僕が断った場合、月子は確かに怒らないだろうけど、ひとりで映画を見ることになって怖い想いをすることになるだろうと思ったからだ。

 今日までの恩返しのためにも、ここは同行するのが男ってもののはずだ。普段、男ならとか、男らしく、なんてことはあまり考えない僕だけど、このときばかりは、それに拘りたい気分だった。

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