第12話 もう少しだけ-2

 長く広い坂道を僕は月子に支えられながら歩いていく。このあたりには木陰もなく、照りつける陽射しと、焼けたアスファルトから立ち上る熱気で、蒸し焼きにされそうな気分だ。麗しの我が家まであともう少しだが、そのもう少しが今はなかなかにキツイ。

 僕に肩を貸しながら歩く月子は物珍しげに辺りを見回しながら、独り言のように言う。


「海辺の町か。いいところに住んでるわね」


 坂の向こうには入道雲が浮かんだ青空と、その下に広がる青い海が見事なパノラマを演出している。景観だけ見れば実際いいところなのだろう。

 でも、ここで暮らすとなると、いろいろとたいへんなことが多い。僕は重たい足を引きずるように前に出しながらボソリと言った。


「塩害って知ってる?」

「ああ、そういえば金属が錆びるんだっけ?」

「うん。それ以外にも色々とね」


 自転車やエアコンの故障はもちろんのこと、家にはダメージが出るし、洗濯物にも悪影響が出る。風は強いし水害は恐いしと、メリットよりもデメリットのほうが多いのではなかろうか。

 少なくとも僕は、早めにこの町を出て行きたいと思っている。それはもちろん過去にあんなことがあったってのが最大の理由だけど。

 物思いにふけりかけた僕の隣で月子が残念そうに言った。


「そっか、潮の香りはステキだし、景色もこんなにいいのにねぇ。まあ、デートには最適って気もするけど」


 しみじみという月子に、僕は思いついたことを聞いてみる。


「そういえば、月子の家ってどこなの? あの日はいつの間にか車内に居たけど」

「わたしは茜川」

「へ?」

「学校のすぐ近くよ」

「け、けど、前に……」

「あの日は祖父の家に泊まってて、そこから直接学校に行ったからね」

「てことは電車通学ですらないのに、わざわざこんな所までの切符を買って……」

「お金を出すとか言ったら怒るからね」

「で、でも……」

「君はもう少し、人の善意に慣れたほうがいいわ」

「…………」


 今さらながらに僕は後悔していた。あんなことを話すんじゃなかった。どう考えても格好の悪い昔話なのに。


「ねえ、月子……。できれば、あの話は……」

「誰にも言わないわよ」

「いや、それはもう疑ってないけどさ。できれば忘れて欲しいかなって……」

「格好悪いとか思ってる?」

「悪いでしょ?」

「それはないわ。だって君はただの被害者だもの。格好いいとか悪いとか、そういう次元の話じゃないわよ。それとも……」


 月子はわずかにうつむいて少し考える仕草をした。そして顔をこちらに戻すと、やや上目遣いに僕を見つめて口を開く。


「君は何かを恥じているの?」


 言葉を見つけられずに僕は黙り込んだ。

 月子は答えを急かすことなく僕を支えたまま歩き続ける。

 日差しの強さとむせかえるような熱気。潮の香りをのせた海からの風が、それらをやわらげてはいたが、快適には程遠い。セミは相変わらずけたたましく鳴き喚いている。

 けっきょく僕は最後まで黙り込んだまま家まで歩きつづけた。

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