第11話 もう少しだけ-1

「三日森くん。三日森くん、起きて。駅に着くよ」


 身体を揺すられて僕は目を覚ます。

 なんだか柔らかくて心地良いところに頭をのせているようで、できることならもう少し眠っていたかった――と考えたところで、僕はぎょっとして目を見開いた。

 目の前に月子の顔がある。

 もっと手前に膨らんだ二つの、いわゆる母性の象徴がある。

 つまり、この体勢は紛うことなき、膝枕――だった。


「うわぁぁぁっ、ごめんなさいっ」


 慌てて飛び起きると僕は自分の膝に両手をのせてお行儀良く座り直す。

 それを見て月子が笑った。


「気にしないで。こんなときなんだし」


 月子はスカートのしわを伸ばしながら立ち上がると、僕に右手を差し出してきた。

 今日は何度も僕にふれてくれた白くて柔らかい手だ。それを取って立ち上がると、列車は程なくして目的の駅に到着する。

 扉が開くと、むせかえるような外の熱気と夏のニオイが全身を包み込む。燦々と降り注ぐ陽光の下、駅の屋根が落とした影がホームの床に白と黒のコントラストをくっきりと浮かび上がらせていた。

 セミの大合唱が鼓膜を揺らし、またもや頭がクラクラして足下がふらついてしまう。それを月子は当然のように支えてくれた。

 彼女に介護されながら歩き始めると、僕は駅の階段を上ったり降りたりして、ようやく改札をくぐる。いつもは何気なくやってることが一苦労だ。


「うぅ……格好悪い」

「また言ってる」


 月子に笑われて僕は赤面した。いろんな意味でばつが悪い。誰にも頼らないなんて言っておきながら、僕は今日だけでどれほど月子の世話になったことか。

 なんだか誤魔化したくなって僕は投げやりに挑発的なことを口にする。


「ああ、ここに居るのが君じゃなくて彼女だったらなぁ」


 こんな失礼なことを言われて月子はきっと怒るだろうと思っていたのだけど、まったくその様子もなく、ごく自然に言葉を返してきた。


「それを実現するためには、まず告白しないとね」


 あてが外れた僕は、やむを得ずそのまま話を続ける。


「告白はしないよ」

「どうして?」


 以前とよく似たやりとりだ。

 何度言われてもやっぱり僕は自分の恋に納得がいかない。名前も声もなにもかも知らない相手を、どうして好きになったんだろう。

 その説明をまた繰り返そうとしたところで、月子がとんでもないことを言った。


「他の男に寝取られてもいいの?」

「…………」


 絶句して月子の顔を覗き込む。なぜか彼女は真顔だったが、この一瞬は本気で身体の具合が悪いことを忘れた。


「なっ、なっ、なんてことを言うんだよ、君は!? 女子高生にあるまじき発言だ!」

「どうにも君は想像力が足りないみたいだからね。自分が恋人にならないってことは、いつかは必ずそうなるってことでしょ? 彼女みたいな美人はとくに」

「そ、そ、それは、その……」


 確かにそうかも知れない。そこまで考えてなかったことも認める。

 だけど、いま僕を支えている君の胸が僕の腕にあたっているこの状況で、そんなことを言い出しますか?

 変な気持ちになったらどうするんだ? 誘惑か? 誘惑なんですか!?

 まさか、このまま僕を家まで送っていって、誰も居ない家でふたりっきりで――て何を考えているんだ僕は!? 変態か!? 変態だったのか僕は!?


「えーと、なんかごめん。そんな壮絶な顔をするなんて思わなかったから……」


 心底申し訳なさそうに言われて、僕はガクッとうなだれた。

 壮絶な顔ってどんな顔なんだろうと思いながら……。

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