第8話 忌まわしい記憶-2

 顔がほてって喉が渇く。身体に熱がこもってるようでひどく不快だ。手足は重く、駅までの通い慣れた道が、ずいぶんと長く感じる。オアシスを求めて砂漠を彷徨う旅人は、こんな気分なのだろうか。

 だが、ここは日本だ。道に迷う危険はない。その証拠にセミが今もうるさく鳴き喚いている。うるさい、少し黙れ。そうつぶやいていると不意に奴らの声が遠くなった気がした。


「三日森くん!」


 身体に加わった衝撃と月子の声で我に返る。

 気づけば僕は月子にしなだれかかるようにして立っていた。

 いや、倒れそうになった僕を彼女が支えたのだ。どうやらずっと後ろからついて来ていたらしい。

 月子は青ざめた顔で、ひどく不安そうに言ってくる。


「やっぱり病院に行ったほうがいいわよ」

「だ、大丈夫。ただの立ちくらみだよ」

「ただのじゃないでしょ」

「本当に大丈夫。ほら、もう駅だし」


 そう言って駅のプレートを指さした僕だが、実を言えば今の今まで、ここまで来ていたことを自覚してさえいなかった。自分でも、ちょっとヤバイかなって気はしていたが、わざわざ医者にかかるのはごめんだ。


「じゃあ、僕はこれで」


 軽く手を振って歩き出そうとする。その途端、足がもつれてよろめいた。


「きゃあっ」


 驚いた拍子に短い悲鳴まで上げた月子に向かって、僕は誤魔化すように笑って見せたが、さすがに今度は通じなかったようだ。彼女は即座に歩み寄ってきて僕を手近な椅子に座らせると、怒ったように言った。


「まったく、君って子は! ちょっとそこで待ってなさい!」


 そう言って切符売り場へと小走りで駆けていった。




 月子に貰ったスポーツ飲料を飲みながら、僕は帰りの列車に揺られていた。

 頭には濡れたハンカチを押し当ててくる柔らかい手。もちろん隣に座った月子のものだ


「なんか、カッコ悪いな」

「病人に格好いいも悪いもないわよ。熱中症を甘く見てたら死にかねないんだからね」


 月子は本気で腹を立てているようだ。腹を立てているのに僕を助けてくれている。


「なんでだろ?」


 つい、声に出していた。


「なにが?」

「君は不機嫌だ」

「そうね」

「不機嫌なのに僕を助けてくれる」

「それが不思議なの?」

「有り体に言うと」


 ずっと怒ったままの月子に告げると彼女は小さく嘆息した。


「わたしが不機嫌なのは、あなたがわたしに心配をかけているからよ」

「どうして他人なんかを心配するんだい?」

「どうしてって……」


 たぶん、意識が朦朧としていたからだろう。


「僕はね、誰も信じない、頼らない、アテにもしないって、ずっと子供の頃に誓ったんだ」

「なんでまた……」

「小学四年生の頃の話さ」


 これまでずっと黙ってきて、これからもずっと誰にも話さないつもりでいたことを、僕は月子に話し始めた。

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