第6話 沢木南月子

 クラスメイトさんの名前は沢木南さわきな月子つきこだった。

 さすがにあんなことがあると意識してしまうので、教室に居るだけで自然と覚えてしまう。

 懸念していた片想いの彼女の件は噂話になることもなく、その日はもちろんのこと、次の日からも平穏な毎日がつづいていた。

 けっきょく月子が電車に乗ってきたのはあの日だけで、僕はホッとしていた。面白がって変なお節介を焼こうとしないかと心配だったのだ。

 いや、あるいはこれは自惚れだろう。僕なんかの恋路が赤の他人にとって、そんな面白いはずもない。

 噂にしたってそういうことかもしれない。面白みのない男が誰かに一目惚れをしたなんて話をしても、きっと誰も喜びはしないだろう。

 とくに月子のように人生が充実しているであろう人間は。

 月子はクラスの中でも一際目立つ存在だ。容姿端麗で勉強もできればスポーツもできる優等生。

 とくに6月に開催された体育祭での活躍はめざましかった。参加した個人種目のすべてで一位を勝ち取っていたはずだ。はっきり言って僕よりも体力があるのではなかろうか。

 子供の頃のかけっこでは誰にも負けなかった僕も、ここではそう目立つ存在でもない。とくに徒競走に関しては手は抜いていなかったが前の奴にぜんぜん追いつけなかった。

 そういえばそのときだ。ひさしぶりに月子に話しかけられたのは。


「残念だったわね。あいつ、陸上部だもんね。陸上部が徒競走に出るなんて反則だわ」


 眉を寄せてそれだけ言うと、月子はそのまま立ち去った。ちなみに彼女が参加した種目のすべてに陸上部員が参加していたという事実を彼女は知っているのだろうか?

 ぼんやりと月子の背中を見送っていると、背後から唐突にヘッドロックをかけられて、聞き慣れたバカっぽい声が耳元で聞こえてきた。


「おいっ、三日森! なんでお前が月子さんに声をかけられてんだよ!」


 絡んできたのは僕がいつもつるんでいる友人の片割れ、滝沢弘樹だ。

 ややガタイのいいお調子者で勉強はダメだが運動神経はいい。この体育祭でもかなりの活躍をしていたはずだ。ただし、不良ではないのだが、どことなく不良っぽく、目つきが悪いせいで女子にはモテない。

 僕は暑苦しい腕を引きはがそうとしながら、滝沢に苦情を言う。


「なんでって、クラスメイトなんだから、べつに不思議じゃないだろ? だいたい、ぜんぜん羨ましがられるような言葉じゃなかったぞ?」

「それでも羨ましいよ。僕なんかぶっちぎりのドンケツだったのに誰も慰めてくれない」


 滝沢の後ろから、もうひとりの友人、田中葉太ようたが言ってきた。

 こいつは滝沢とは対照的に小柄で、運動はダメだが勉強はそこそこできる。いかにもオタクな趣味を持っていそうな見た目だが、基本的に何か一つに打ち込むことができない性格らしく休日はテレビを見るかゲームをするかで時間を潰している無趣味な奴だ。

 とりあえず滝沢の腕から逃れた僕は、今度は田中に向かって説明した。


「僕の場合、たまたま彼女の進路上に居たからだろ? わざわざ近寄ってきたわけじゃないぞ」

「だとしても、お前はもうちょっと嬉しそうな顔をしろよ。相手は学園のアイドルなんだからさ」

「アイドル?」

「知らねえのか? 沢木南姉妹って言えば有名だぜ」


 呆れたように言う滝沢に続いて、田中が補足してくる。


「物静かなお姉さんのほうは我が校のマドンナ。快活な月子さんはアイドルって呼ばれているのさ。ふたりは双子だから、顔はソックリなんだけど印象は正反対なんだよ」


 なるほど、またどうでもいい知識が増えてしまったようだ。

 まあ、いつもの特技ですぐに忘れるだろう。

 そう思っていたのだが、あの日以来、不思議と月子に関する情報を僕は忘れずじまいだった。

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