第5話 始まりの朝-3
他人は信じない。頼らない。アテにしない。それが僕のモットーだ。
だけど、友達が居ないわけではないし、人づきあいが悪いと言われたこともない。
大人達からは真面目で落ち着いていると言われる僕だが、同世代の多くの男子生徒がそうであるように、教室では毎日のように仲間と集まり、つまらない話で盛り上がっている。
ごく普通の青少年だ。そう思われるように努力してきたし、実際に誰もが僕をそう思っていると考えていた。
だけど……。
「前から変な人だとは思っていたけど、思っていた以上に変な偏屈だったわね」
駅の外で僕が小走りに追いつくと、クラスメイトさんはこちらを見もせずに、つまらなそうに言った。偏屈だけでも大概なのに変な偏屈とはひどい言われようだと思う。きっとドSなのだろう。
「クラスの女子に関心がないのは見ればわかったけど、まさか隣の席に座っているわたしのことさえ覚えてないなんて」
「覚えてるさ。少なくとも……教室では他の奴とは間違えない」
「それも怪しいものね。あなたなら、もしそこに違う女子が座ってても、違和感に気づきそうにないもの」
ぐぅの根も出ないとはこのことだ。確かにその自信があった。他人の顔も名前もほとんど覚えることのない僕だ。それどころか一度覚えても、必要がなくなればキレイさっぱり忘れてしまう。
事実、中学のクラスメイトなんて、そのほとんどが忘却の彼方だ。それはもちろん教師も同じことで今はもう担任の名前すら判らない。
これは、あるときを境に身につけた僕の数少ない特技のひとつだ。
「顔がわからないぐらいだから、もちろんわたしの名前も覚えてないわよね」
「たまたま席が隣ってだけで僕らは親しいわけでもないだろ。そういう相手のことを、いちいち覚えたって意味はない。どうせ長くても3年程度のつき合いなんだ」
「えらくドライね」
「そういう君はクラス全員の顔と名前を覚えているのか?」
「ええ、フルネームはちょっと自信がないけどね。
自信がないと言いながら、僕のことは、しっかりフルネームで記憶しているようだ。隣の席なのだから不思議ではないのだろう。僕のような特技を持たないのであれば。
「でもまあ、そんな偏屈な君でも、ちゃんと恋はしたわけだ」
「…………」
僕は両肩を落として盛大に溜息を吐いた。さすがに、ここまで来るととぼけようもない。
「頼むから、このことは……」
「わかってる。誰にも言わないわ」
彼女はあっさりと承諾してくれたが、どこまでアテになるかはわからない。しかし、人を信じないのがモットーとは言っても、ここはもう彼女が約束を守ることに期待するほかはなかった。
とりあえず印象がよくなるように愛想笑いでも浮かべて礼を言っておこう。
「ありがとう、クラスメイトさん」
「なんだか信用してないって顔してるわね」
「あれ……?」
愛想笑いが通用しない?
「わたしが人の恋路をダシにして笑い話に興じるような女に見えるの?」
「それはまあ……女子って、だいたいそういう生き物だし」
「なにそれ!? ひどい偏見!」
また余計なことを口にしたようだ。これまで、どんなときでも、のらりくらりと摩擦を回避してきた僕らしくもない。
「十人十色って言葉を知らないの? 女でも男でも、人それぞれに個性は違うものでしょうが」
「それはそうだけど、君がどの色かなんて僕には判りようもないし……」
噛みつきそうな勢いで顔を近づけてくるクラスメイトさんを両手で押しとどめるようにしながら、とりあえず適当に誤魔化そうと試みる。
「そういうのはね、一年も同じ教室に居れば、ある程度は察しがつくようになるものでしょ」
「そう言われてもクラスの女子なんて、そもそも見分けがつかないし」
「犬猫同然か!?」
犬や猫の方が、まだしも見分けがつくとは、さすがに言わないほうがいいだろう。
「じゃあ聞くけど、仮にどうすればわたしの言葉を信じてくれるのかしらね?」
「それは……」
そもそも信じないのがモットーなのだが、そんなことを言えばますます面倒なことになりそうだ。ここは冷静に考えて、自分が安心できる状況について説明しよう。
「クラスメイトさんが、何か弱みを握らせてくれたなら安心できるかな」
「わ、わたしの弱みを握って、何をさせるつもりよ!?」
ぎょっとした表情を浮かべ、自分を抱きしめるようにして後ずさるクラスメイトさん。
なんとなく変な気分になってくる。そうか、これが嗜虐心というものか――て、それじゃあ本気でヤバイ奴だ!
いよいよおかしな奴として喧伝されないように、ちゃんと言い訳しておかなくては。
「つ、つまりだね、クラスメイトさん。僕が言いたいのは、お互いに秘密を握り合えば、どちらも秘密を余所に漏らせなくなるから……」
「病気なの!? 心の病!? どこまで人間不信なのよ、あなたは!? 必要なのは精神科医!? いっそ脳外科医の方がいいかしら!?」
ムチャクチャ言われている。
おかしいな。面倒を避けたはずなのに、ますます面倒になってきたぞ――と、そこでふと気づく。
ああ、そうか。もしかしなくても僕は――
――もう何年もの間、女子とまともに接点を持ったことがないんだ。
だから、なんだか上手くペースを合わせられない。怒らせてしまうのも無理のないことだ。ひとり納得する僕をクラスメイトさんは半眼で睨みつけてくる。
「重ね重ね不思議に思うわ。あなたみたいな人が恋をするだなんて」
「したくてしたわけじゃないよ。恋なんてものは本人の都合なんかお構いなしに落ちるものなんだから」
「なるほど、それは説得力があるわね」
ふむふむ――といった調子でクラスメイトさんは頷く。なんだか初めて納得させることに成功した気がする。
「とりあえず歩きながら話しましょ。遅刻しちゃうわ」
そう言って前を歩き始めるクラスメイトさん。口止めの手立てがない僕としては、もうこれ以上話をする必要もないのだが、そんなことを言ったら今度こそ噛みつかれかねない。
しかたなく後ろをついていくことにした。遅刻もしたくなかったし。
この茜川は地方都市とはいえ、中心地はそれなりに開けていて街並みは小ぎれいだ。駅から学校へと向かう道は商店街の脇をすり抜けるように延びていて道幅は広く、歩道には街路樹が植えられている。
その道を前後に並んで歩いているとクラスメイトさんが、前を向いたままで話しかけてきた。
「いつからなの? 彼女のことが気になり始めたのは」
「入学式からだよ」
「つまり、まる一年間も片想いしてるのね」
「そうなるね」
「告白はしないの?」
「しないよ」
即答すると、クラスメイトさんはふり返って不思議そうな顔をした。
「どうして? 他の男に取られてもいいの?」
「僕は――」
少しだけ迷ったものの、繰り返し詮索されても煩わしい。けっきょく話すことを選ぶ。
「僕は彼女の名前を知らない」
そんな基本的なところをまず知らない。
「彼女の住んでる場所を知らない」
かろうじて判っているのは乗り込んでくる駅名ぐらいだ。
「声を知らない。誕生日を知らない。血液型を知らない。家族構成を知らない。趣味を知らない。特技を知らない。好きな色を知らない。好きな花を知らない。好きな食べ物を知らない。好きな言葉を知らない。好きな音楽を知らない。恋人の有無を知らない。善人か悪人かさえ判らない」
適当に思いつくだけ並べた上で、一呼吸だけ置いて続けた。
「ようは何にも知らないんだよ。これで恋だなんて絶対におかしいだろ?」
「一目惚れってそういうものでしょ」
「君は誰かに恋をしたことはないのかい?」
「あるけど」
「そのとき、相手のことをどれくらい知っていた?」
「それはまあ、名前は知ってたし、実際に話したこともある相手だったけど……」
「そう、それだよ。僕は彼女とは話をしたこともない。そんな相手になんで惚れるんだ? これは絶対に変だ。まともなことじゃない」
「いや、少なくとも容姿は知ってるんだし、恋の始まり方としてはむしろオーソドックスじゃないかしら?」
「見た目で好きになるなんてバカげてる。そんな不実な気持ちでつきあい始めたところで、絶対に上手く行くはずがないさ」
「なんでそうネガティブに決めつけるの? つきあい始めて内面を知ることで、もっと彼女を好きになる可能性だってあるじゃない」
「あり得ないさ」
「どうして?」
「僕が人間そのものを嫌ってるからだよ」
クラスメイトさんが黙り込んだことで、ようやく喋りすぎたことを自覚した。
どうかしている。
これまでこんなふうに誰かに自分の内面を吐露したことなんて一度もなかったのに。
目の前の女だって、まさかこんな言葉を聞かされるとは思ってもみなかっただろう。だけど、これで面倒になってほうっておいてくれるなら、むしろありがたいと思えた。
けれど、クラスメイトさんの沈黙はさほど長引かなかった。
「でもさ、そうやって理屈をこねましても、やっぱりあなたは彼女が好きなんでしょ?」
「ああ、だから困っている。こんな感情は本能が生み出す錯覚だと気づいているのに、一年が過ぎても治まらないんだ」
「本当に困ってるのなら、どうして時間をずらすなり、乗る車両を変えたりしないのかしら?」
「それは……」
「理性は行動を抑制することはできても、感情そのものを消し去ったりはできないわ。君はきっと、なんでも頭で考えすぎてる。それはそれで君の長所でもあるんでしょうけど、時には感情に身を任せてあげないと、いつかどこかで破裂しちゃうわよ」
それだけ言うとクラスメイトさんはやわらかい笑みを浮かべた。
僕は正直驚いていた。こんな鬱陶しい話に、ちゃんと言葉を返してきたことにだ。せいぜい無視するか、呆れてバカにするぐらいだと思っていたのに。
会話が途切れると、僕らはそのまま無言で歩きつづける。
駅から学校までは学校案内のパンフレットによれば五分。実際には十数分といったところだ。パンフを書いた奴はよほど足が長いんだろう……なんてどうでもいいことを考えていると、すぐに校門が見えてくる。
そのまま昇降口で上履きに履き替えて教室に入るまで、けっきょく僕らに会話はなかった。
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