第4話 始まりの朝-2

 あれから一年が過ぎ、高校二年に上がったばかりの四月の朝。

 規則正しく揺れる電車の中で、この日も僕は彼女を盗み見ていた。

 彼女はこの一年の間、ほぼ毎日のように、この車両に乗ってくる。どうやら学年が上がっても、それは変わらないようだ。

 残念ながら、あの日のように彼女が僕の隣に座ることは希で、たいていは今のように少し離れた場所に立つか座るかしている。それでも、その横顔を見ているだけで僕は幸せな気分になれるのだ。

 列車が揺れると僕の身体が揺れ、それと同じように彼女の身体も揺れる。そんなささやかなことにさえ小さな喜びを感じていると、揺れに合わせて僕の肩に軽くもたれかかってきた人物が突然口を開いた。


「なるほど上玉だね」

「うん……えっ!?」


 無意識に頷いてしまった後で、僕はぎょっとして真横を見た。

 いつから乗っていたのか、そこに同じ学校の女子が座っている。

 真っ先に目についたのは、その長い黒髪で、そいつはそれを首の後ろで左右に分けて、リボンで括って背中に垂らしていた。いわゆるツインテールの一種だろう。

 ついでに顔を観察すれば、妙に澄んで見える大きな瞳が印象的で、美人と呼ぶよりも美少女という言葉のほうがしっくりくる。おまけにスタイルも良くて女子として非の打ち所がないように見えた。

 僕が平凡な男であれば肩にもたれかかられた時点で鼻の下を伸ばしていただろう。

 だけど僕は女に……以外の女に興味はない。

 もっともそいつは僕なんかにはお構いなしに、口元に意味ありげな笑みを浮かべつつ、彼女のほうへと品定めでもするかのような視線を向けていた。


「だ、誰だ、君は?」


 内心の動揺を隠すこともできずに問いかけると、そいつは僕に向き直って不思議そうな顔をした。それに対して僕が怪訝な表情を浮かべると、そいつはさらに眉をひそめて言ってくる。


「冗談だと思いたいんだけど、もしかして本気で言ってる?」

「…………」


 言われてから、あらためて考えると、確かにどこかで見た気がする。少なくとも相手はこちらを知っているようだ。

 ならば、あまり考えたくはないけど、可能性としていちばんあり得るのは――


「もしかしてクラスメイト……ですか?」

「そうだね。それも隣の席の」


 そいつの答えに僕は思わず顔を覆った。

 よりによって同じ学校の、それもクラスメイトの女に僕のささやかな秘密を知られるなんて。

 いや、まだ誤魔化せるか?


「え、えーと、おはよう。奇遇だね。僕が見ていたのは、そこの広告だよ」


 僕は車内の中吊り広告を指さしてみせた。そこに書かれた字をクラスメイトの女が読み上げる。


「巨乳アイドルまさかのAVデビュー?」

「ぬあぁぁぁっ!?」


 僕のバカ! ちゃんと確認してから指させよ!

 つーか、あんなエロい広告を電車の中に吊るな~~~っ!

 泣きたい気分で頭を抱える。これじゃあ、ただの変態だ。


「棒読みに救われたわね。誤魔化そうとしていたのが丸わかりだったから、今のはノーカンにしてあげるわ」


 良かった。演技の才能がなくて本当に良かった。

 ……いや、喜んでもいられないけど。

 恐る恐る向き直るとクラスメイトさんは、やはり彼女に視線を戻していた。


「こんなところから、ぼーっと眺めてるところを見ると片想いだよね」

「…………」

「もしかして、一目惚れ?」


 僕は黙ってうなだれる。もう誤魔化せる気がしない。

 絶望的だ。こんなことは男友達にも知られたくないけど、女子に知られるのは、なおさら致命的だ。

 きっとこのことは、尾ひれ背びれのついた噂となり、今日の放課後を待たずして学校中に知れ渡ることだろう。

 何しろ女ってのは、どいつもこいつもピーチクパーチクうるさい噂好きで、相手を思いやる心など微粒子レベルも持ち合わせていない。

 同世代の男子のことなど、それこそ売れないお笑いタレント程度にしか思っていないのだ。

 それでも、たとえ無理だとわかっていても口止めを試みないわけにはいかない。最悪、お金を渡してでも――などと卑屈なことを考えていると、クラスメイトさんはこちらを見向きもせずに囁くように言った。


「こっち見ないで、口を閉じて」

「は?」


 反射的に隣に顔を向けようとするとスクールバッグを顔に押しつけられる。


「もがっ……」


 口に入った。まったく美味しくない。マヌケな感想を思い浮かべる僕にクラスメイトさんは、やはり囁くような声で付け足してきた。


がこっちを見てる」


 言われて僕はぎょっとしてのほうに視線を向けた。

 一瞬、目が合うとはさりげなく、僕はややぎこちなく視線を逸らす。


「意中の彼女に仲のいい女が居るなんて勘違いをされたくはないでしょ。降りるときは少しを開けてからにしてね」

「あ、ああ」


 そいつの意外な気遣いに、僕は小さく返事をするのが精一杯だった。

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