頼りになる存在

三鹿ショート

頼りになる存在

 彼女に感謝や謝罪の言葉を吐く度に、私は自分が情けないと思っている。

 だが、彼女は私に対して呆れたり、怒りを露わにすることもなく、笑顔で慰めてくれていた。

 彼女ほど素晴らしい人間を、私は目にしたことがない。

 だからこそ、私のような役立たずを彼女が支え続けてくれているということに対して、疑問を抱き続けていた。

 美しく、優秀であり、人柄も良い彼女ならば、交際する相手など選り取り見取りであることは間違いない。

 しかし、彼女は無能と罵られたとしても否定することができない私のような人間を、恋人として選んでくれていた。

 彼女が愛の告白をしてきた際に、何故私のことを選んだのかと問うと、

「あなたに対して、誰よりも好意を抱いているからです」

 迷いの無い瞳でそのような言葉を発してくれた相手は初めてだったために、私は涙を流しながら彼女を受け入れることを決めた。

 だが、彼女との時間を過ごしているうちに、段々と申し訳なさを抱くようになってしまった。

 私以外の人間と交際すれば、さらに充実した日々を過ごすことができることは疑いようもないのである。

 しかし、彼女に別れを告げることに対して、抵抗を覚えていた。

 彼女が示してくれている愛情は変化することなく、心の底から私を愛していることが分かる。

 そのような相手に別れを告げれば、彼女は人生に絶望し、この世を去ることを選んでしまうのではないか。

 彼女の今後の人生を思えば、私と別れるべきなのだろうが、一方でそれは私の考えであり、彼女がどのような未来を望むのかは、彼女が決めるべきなのだろう。

 それでも、彼女には私以外の人間を選び、より良い人生を送ってほしかった。

 ゆえに、彼女が私という呪縛から逃れるための手伝いをすることにした。


***


 暴力を振るえば彼女は私から逃げ出すと考えていたのだが、彼女は私を責めることなく、それどころか、私が何かに対して悩んでいるのではないかと心配するような問いを発してきたのである。

 それならばと、次に私は、彼女を裏切ることにした。

 金銭を支払って雇った女性と宿泊施設へと向かい、其処で愛し合っている様子を撮影した。

 そして、その映像を手にした女性に彼女と接触してもらい、自分の方が私のことを愛しているために別れてほしいのだと告げてもらったのである。

 遠くからその様子を眺めていたところ、私は其処で初めて彼女の怒りの表情を目にした。

 彼女は手元の珈琲を女性に向かってぶちまけると、相手の頬を平手で打ち、

「私の愛情は、誰にも敗北することはありません。彼のことは諦めてください」

 そう告げると、彼女は喫茶店を後にした。

 慌てて女性に近付くと、女性はこのような目に遭うとは聞いていないと叫び、彼女に続くようにして店を出て行った。

 私の裏切りまでも受け入れるということになると、彼女の愛情は本物だということなのだろう。

 これほどまでの愛情を目にしてしまっては、彼女に私のことを諦めてもらうということは、不可能に近い。

 彼女のためを思って私は彼女に自分のことを諦めてもらおうと思っていたが、私を愛するということが彼女の人生の意味ならば、わざわざそれを奪うこともないだろう。

 私は心を入れ替え、彼女と向き合うことに決めた。


***


 目を覚ました私は、己の目を疑った。

 だが、どう見ても私の両足が消えているのである。

 しかし、布団が赤く染まっているわけでもなく、激痛を感じているわけでもないことが、奇妙だった。

 困惑する私の前に、彼女が笑みを浮かべながら姿を現した。

 変わらぬ態度で接してくる彼女に対して、何事かと問うと、彼女は私の頬に手を添えながら、

「これまで私は、あなたに捨てられることがないように愛情を示していましたが、あなたにその気が無かったとしても、他の人間があなたを奪う可能性が存在するということに気が付いたのです。だからこそ、あなたを独占するために、少々手荒な行為に及んだのです」

 彼女は私の下半身を一瞥すると、

「安心してください。処置の方法は、本職の人間に教わりましたから」

 彼女は口元を緩めたまま立ち上がると、

「あなたのような無力な人間は、誰かの支えが無ければ普通に生活することはできないでしょう。私は、そのような相手に尽くすことを喜びとしているのです」

 そう告げると、彼女は部屋を後にした。

 残された私は、自分が余計なことをしでかしてしまったことを思い知った。

 素直に彼女の愛情を受け入れていれば、身体の自由を奪われることもなかっただろう。

 私は、己の愚かさを呪った。

 後で分かったことだが、彼女は私と出会うまでに、寝たきりだった母親を支え続けていたらしい。

 そのような人生を送ってきたからこそ、他者に尽くすことが当然だという思考を抱くに至ったに違いない。

 だが、それが分かったところで、私の両足が戻ってくることはない。

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頼りになる存在 三鹿ショート @mijikashort

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