Ep.1-②

「——ねね、さっきの。最強の魔術師の弟子って本当〜?」

「……ん?」

「紋章ちゃんと隠してるし、なんか本当っぽい!」

 唐突に頭上から明るい声をかけられて、アトラスは顔を上げる。制服の女子生徒——見たことがないくらい真っ直ぐに揃った白っぽい金髪を意味不明に結った少女が覗き込んできていて思わず目を見開くと、彼女はふふっと可愛く笑って、アトラスの手を覆うグローブを指差していた。

「あたし、魔術科の一年生なんだけど、全然魔術使えなくてさ〜……センセーにも見放されちゃったし、教えてくれる人もういなくて!」

「あ、ああ……うう、ええと」

「ね、だから、連絡先交換してよ! あたし今日はトモダチ待たしてるから無理なんだけどさ、明日以降! お願い?」

 半ば呆然としながらも、アトラスはパワフルな少女に言われたままに自分のファクシミリに触れる。片面に描かれたいくつかの文字はユーザーインターフェイスであって、魔術項を剥き出しにはしていない。それぞれは、アドレスとか受信した内容の一覧とかを表示するものだと読めたが、つまり連絡先交換っていうのはどうやるんだ?

 とりあえず活性化させないと、と思って、アトラスはファクシミリの魔術式に魔力を注いでみる。しかし式は光らないし、正しく注げている感触もない。なんだか……注ごうと思ったそばから溢れていく、みたいな。

「……いいけど、無理だ。壊れてるかも」

「え? ただ魔力がないだけに見えるけど……」

「雑に扱ってたからなあ、中の魔術式が壊れてても不思議じゃない。はあ……」

「——ちょっと貸して」

「ん?」

 魔導機器の中身は繊細だ。限りなく薄く作られた板に魔術式を描いたものを物理的にいくつも重ねている。既製品なら設計思想を読み解く必要もある。フォルテなら朝飯前だろうが、アトラスでは修理には時間がかかるだろう……。

 〈ニロス〉と〈ウルレス〉の紋章を持つ華奢な手がファクシミリを転がす。アトラスは時間をかけて修理するか、諦めてその時間を計画に費やすかで揺れていた。そこに、彼女は人差し指をピンと立てて割り込んでくる。

「……ね、これ修理しよっか?」

「え、アンタが?」

「ううん、いい店知ってるの」

「専門家ってことか? ああ……ありがたいけど、頼めるかな。お金ないんだよな……」

「分かった、あたしが言ったらタダにしてもらえるから! そのお礼に教えてよ」

「マジ? うわー助かる! 張り切って教えちゃうよ」

「ん……じゃ、またここにいてちょ!」

「ういーす、よろしく」

 嵐のような奴だった……今の一瞬で問題が一つ解決されてしまった。走り去っていく若々しい後ろ姿をしばらく眺めてから、「また」っていつだ、と疑問に思うが、とりあえず下校時刻っぽい時にここにいればいいだろう。あれを待ちながら今後について考えることにする。フォルテとの連絡手段を一旦手放したことで余計な迷いがなくなってきた、と今は思っておこう。

 魔術師になろう。魔術師っていうのは正確には、単に魔術を使えるだけじゃなくてそれが必須の職業に就いている人の総称だ。魔術の原理はあって、生来両手の甲に刻まれている魔術紋章に魔力を通わせるか、描いた魔術式に魔力を通わせる立式魔術か。それはそれぞれ、瞬発力の求められる戦闘要員と、魔導機器の魔術式とかを開発する研究要員の得意分野だ。フォルテは両方に精通していてアトラスはそれを教わったが、魔術式について、フォルテの知識の深さは世間的には不審なレベルだという。話すとボロが出そうなので、基本的には紋章を売りに出すつもりだ。

 魔術師は武力として大きな権威でもあるが、中には精刻獣というかなり強い化け物と戦う場合もある。特に、アトラスにはフォルテとの旅路で培った実戦経験があるので、実際に戦闘させてくれればそこらの魔術師よりもスマートな戦い方ができる自信があった。

「つっても……そう都合よく何か起こるわけもねーしな」

 軽々と魔術を使って行動しても碌なことにならないのを、アトラスはこの一年半で学習していた。早く門を叩きに行くしかない。よし、とアトラスは立ち上がって、川の流れる涼しげな表通りの端っこで一人で立ち止まっていた誰かに声をかけた。挙動不審の女だったが、都会人はどいつも身なりが綺麗だ。

「なあ、魔術師ってどこにいるか知ってるか?」

「……魔術師?」

 女は怯えたような声音で言った。まるで、後ろめたいことがあるみたいに。……妙な挙動をしないで欲しい。アトラスとしては、質問にさえ答えてくれればいいのだが。

「魔術師が集まってる場所とか、あるだろ? こう……」

「塔のことですか?」

「塔?」

「あれですよ」

 そう言って彼女が指差すのは、天を衝くような高さの円柱型のまさに塔だった。おお——とアトラスは西日の眩しさに目を細めながらそれを見つめる。そうか、あれは何だろうと気になっていたが、あれこそが魔術師の拠点なのか。これなら見失って道に迷うこともない。

「ありがと、助かったよ!」

「あ、あの……塔に、何をしに?」

「何ってそりゃあ、魔術師になりに行くんだよ」

 女はそれを聞くと口を閉ざしたが、やはり何か不安げに視線を彷徨わせる。立ち去るタイミングが分からないようだ。さすがに変だと思って、アトラスは立ち去らずにじっと彼女の様子を見てみた。すると彼女はどんどんもっと居心地悪そうにして、橙色のスカーフで顔を隠そうとまでする。

 その時、胸元を引っ掻くようにした彼女の右手から長い袖がはらりと落ちて、紋章が露わになった。アトラスは、それを即座に読み解くことができた。そしてそれがあまりにも珍しいものだったので、思わず口が滑る。

「——〈ヘムセタス〉?」

「……っ⁉︎ なっ——」

 彼女は悲鳴を呑んだが、アトラスはそのリアクションで更に確信を深めて、ぐいぐいと覗き込んだ。

「う……うわ、スゴッ! えっ、本物だ! 初めて見た!」

「や、やめて、騒がないでください! お願いだから……」

「ごめんごめん、でも、見られて困る紋章ならちゃんと隠しとけよ、お姉さん……」

「どうして、〈ヘムセタス〉だと。確かに、あなたは紋章をよく知っているようですが、これはただの〈セタス〉ですが……」

 彼女は右手を服の布で握り込んで隠し、震えたか細い声で嘘を言う。アトラスはそこで、普通は基礎魔術群に基づく〈イントゥス〉〈ウルレス〉〈フィヲンス〉〈テラペネス〉〈ジオミネス〉、この五種以外が現れる右手の紋章を把握してぱっと見で判断することは普通できないということを思い出した。何せ種類が無数にある。

 魔術の要素を指定する魔術項を並べたのが魔術式。その中で魔術の種類を指定する最低限の決まり文句が魔術標本サンプル……というわけだが、紋章はその魔術言語とは全く違う記法だ。差異は極めて小さく、各紋章の効果に共通点がない故に、その意味を体系的に読み解くことができない。アトラスは、それこそフォルテが魔術標本サンプル蒐集家であると同時に「紋章マニア」でもあるので判別方法を叩き込まれているが。

 といっても、限られた血筋の一人にしか与えられない〈ヘムセタス〉は最も分かり易い部類だから彼女が不用心なことに変わりはない。言語として説明するなら、冠詞がつくのだ。

「〈ヘムセタス〉ってことは、アンタがか」

「だから、〈ヘムセタス〉じゃないです。困ります、」

「話が変わった。俺、アンタに話したいことが……」

「やめてくださいっ!」

 彼女の右手の紋章が光りだす。通行人が何事かと足を止めていて、アトラスはハッとした。

「『紋章を開示して』!」

 彼女は小声で、しかし鋭く言う。

「……。〈ハルザイアス〉と〈イントゥス〉だ」

 この時、彼女の命令は絶対だった。アトラスは辛うじて渋々の表情をしながら、両手のグローブを外して手の甲を彼女に見せる。右手の甲に描かれているのは、見るだけであれば〈ハルザイアス〉ではなく〈ノーマキス〉だ。せっかく偽装していたのに。

 珍しい紋章を持つ人間にとっては、これは重度の個人情報だ。公共交通機関のセキュリティにしっかり引っかかりまくっていたのも、それが紋章に左右される魔力の流れで個人を判別する仕組みであり、〈ハルザイアス〉の紋章が希少すぎるのが厄介な要因だった——だ。

 魔術の強制力が切れた瞬間、アトラスはチ! と舌打ちをしてみせる。

「バレちまった。でも、俺もアンタの顔は覚えたぜ」

「……私を放っておいて」

「別に邪魔する気ねーよ。頼み事があるだけでさ」

 ハルザナドの儀式にどうにか参加させてくれないか、という。アトラスの目的は転写だけで、大犯罪ではあるが(でもそういえば、〇〇〇オリジンの転写を犯罪と定義できる根拠なんてものはあるのか?)、誰かに迷惑をかけることではない。まさか何より先に天子に会うとは思わなかったが。彼女は地味なクリーム色っぽい茶髪で、日に焼けていない肌が奇妙な質感だった。重たい前髪が目元に影を落としている。

「聞きません」

「本当に頼み事だけ、本当だって。……。まあ何だ、アンタに何かあったら俺も困るんだぜ」

 アトラスはそこで、彼女が事前に仕込んだ何らかの転移魔術式を起動させ始めたのに気が付いて、渋々手を引いた。どうやらペンダントに仕込んでいたらしい。

 転移魔術を中断させるのは危険な行為だ。ここで事故でもあって彼女がいなくなれば、儀式が中止になって〇〇〇オリジンも表に出てこないかもしれない。

「何してるのか知らねーけどさ、俺以外の悪い奴にバレねーようにしろよ」

 自分も〇〇〇オリジンの転写を目的としている悪い奴であるアトラスはそう白々しく釘を刺して、脱いだグローブを転移直前の彼女に握らせた。次の瞬間、魔術は実行される。

 せっかくこれ以上ない幸運な出会いだったのに、重要な手がかりをみすみす逃してしまった。ため息が出る。それにしても、彼女は天子のくせに一人でこんなところに来て一体何がしたかったんだ?

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2024年10月3日 12:00
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