Chapter.1 オリジンの在処

Ep.1-①

 こうなっては全ての計画を白紙に帰すしかない。アトラスは覚悟を決めた。

 この一年半、色々なことがあった……まず……拾われてからずっと(六年くらいだ)フォルテに手を引かれてきたアトラスは、とんでもなく方向音痴だった。ヴェルエンタ・カラレへは列車で乗り換え一回、と案内されたが駅が見当たらず、道中ずっと人里を離れていて薄れた警戒心のせいで荷物を盗まれ、取り返しに追いかけて乗り込んだ連中の車に乗せられて知らない街に辿り着いてしまい、連中に連れ去られていた子供にしばらくの護衛を頼まれ、その子供というのが隣県の貴族様だった。礼と言ってその子供の家に無理矢理招待された頃には多分もう二週間が経っていて、俺は本当に急いでるんだと言うと奴らはアトラスが入ろうとしていた学院を胡散臭いとか貶しだして案内しようとしなかった。これはまずいぞと思ってある日夜逃げして、やっと見つけた駅で咄嗟に乗り込んで爆睡した列車は反対方面行きだった。言われるままにその運賃を払うと所持金はパンが二つ三つ買えるかな程度になって、アトラスはそのわけのわからない土地で一旦働かざるを得なくなった。ただアトラスは身分も何も証明できないし教養もないからろくな働き口がなくて、近くの動物が絶滅するんじゃないかってくらい狩りをやって、多分法外の価格で買い取られたからヴェルエンタに行ける額を手に入れるまでになんと二ヶ月かかったと思ったら、急に元々狩猟をやっていた人たちに賠償を求められた上に最後の支払いが滞納された。もちろんそんなのを払ってはいられないので逃げ出そうとすると、一人だけ魔術を教えてくれと優しく迫ってきた奴がいて、そいつは実は裏社会の暗殺屋で、教えるのを渋ると厳ついお兄さんがたに囲まれることになった。拷問は嫌だったしフォルテ譲りの知識を渡したくもないから、アトラスはその組織ごとインテリ魔術式パワーであしらうことにしたわけだが、思ったよりも広い繋がりがあったせいでこれがかなり長引いてついでに三ヶ月かかった。代わりにお金はたくさん手に入ったので身なりを整えたりしながらヴェルエンタ行きの準備を整えていると、身元不明の子供がそんな生活をしているのを不審がられて、実際争っていた時の噂があって勝手に裏社会の人間ということにされた上にうっかりポリ公の何かの魔導器具に一回捕捉されたせいで無駄な面でハイテクな周辺の公共交通機関が軒並み使えなくなった。これがかなり痛くて、不要な大金を手放すついでに怪しい店で魔力結晶を買ってまで分からずやのセキュリティを欺くピーキーな魔術を組み立ててやるのに熱が入ってそれを実行できた頃には多分七、八ヶ月目になっていた。もうめちゃくちゃで恥ずかしいからフォルテには全く連絡していなかった。やっとヴェルエンタ行きの列車に乗ったが、さっきの魔術によって流れた魔力が変なふうに作用して列車を動かす魔術が狂って運転が停止した。三回やってもこれでもはやどうしようもなく、考えているうちに足踏みしているのが耐えられなくなったアトラスは地道な手段でヴェルエンタを目指すことにしたが、所持金はほぼ元に戻っていたから普通に過酷な旅になったし、道には迷い続けた。自分の判断を疑って人から聞いた話だけを信用するようにした結果、やっと着いた、と思ったどう見ても首都なんかじゃない老人だらけの限界集落はヴェンタというところだったので、移動距離は三・五倍ほどに膨れ上がっていた。港町からヴェルエンタの、ではない。最初に反対行きの列車で降りた謎の町からヴェルエンタの、だ。変わらずひどい方向音痴も特筆するべきでもないが小さなハプニングも度々あり、これで十ヶ月かかった。


 ……首都ヴェルエンタは美しかった。今までフォルテと見てきた国々とまた違う植生を感じる街路樹は高くからキラキラとした木漏れ日を落とす。整った花壇で彩られた乳白色の建築物はアトラスに天国を思わせ、天国か、いっそ本当にあの道中で人知れず死んでいた方が最終的にフォルテに無様を晒さなかったんじゃないかと想像させた。カラレに着きさえすれば、〇〇〇オリジンはどこかにある。頑張れば手の届くかもしれないところに——そのハードルは、本来それほど高くないはずだったんだけれども。

「……お姉さん、今すぐの入学は諦めるからさ、聞きたいことが」

「はあ」

「星環祭って分かるだろ? 俺の——親族がね、どう……っしてもそれに参加する俺を見たいって言うわけ。で、どうにかこの学校に入って儀式に出たいと思ってたんだよ」

「そ、そのために……ですか」

「ああその、変な人じゃないんだけどさ。今のは誇張ね。どうしてもっていうのは、俺が勝手に喜ばせようとしてるってだけで、元々俺は魔術を学ぶのに興味があって……」

 苦し紛れに早口で言い訳しつつ、推定十五歳になったアトラスはイシュエント学院の職員を前に手を揉んだ。彼女は見るからに田舎者で、貧乏で、世間知らずな少年に困惑を隠せない様子だったが、仕事だと割り切って表情を削ぎ落とした。

「……生徒で星環祭の儀式に参加といえば、ハルザナドの儀式の、『神子役』の役目を見届ける『衛士役』のことを仰ってるんだと思います」

「そう、それ、確かにそんな名前だった。それになるにはどうすればいい?」

「『衛士役』の定員は確か六十名で、二十五名ずつの魔術師と高等部生に加えて、十名特別に中等部の生から選ばれるようになっています。それから……原則、本校では編入及び高等部からの入学は通常認めておりません」

「ま、待てよ。じゃ、じゃあ——半年後に入学しても……」

「『衛士役』にはなれませんね」

 体温が下がって、上がって、だらだらと冷や汗が流れるのを感じる。アトラスは引き攣った笑顔で「『神子役』っていうのは……」と食い下がったが、彼女はもう一つ声をトーンダウンさせて答えた。

「今代の天子さまが」

「…………」

 そうだった——〇〇〇オリジンに気を取られ過ぎていたが、本来星環祭とはそういうアレだった。フォルテが説明してくれたのを興味がなくて聞き流した記憶がある。

 魔術標本サンプル〇〇〇オリジン、岩に刻まれた魔術式に過ぎないそれに誰もが手を出しあぐねているのは、それを目にした者は発狂し、魔力の暴走によってもがき苦しみながら死んでしまうという危険なものだからだ。見ることがトリガーになる魔術って何? と思うけれども、フォルテが本当だと言うのだから間違いない。

 そして、星環祭の伝統的なハルザナドの儀式のシナリオはこうだ——今代の天子が、『神子』つまり二百年前に〇〇〇オリジンを描いたハルザナドの子孫として〇〇〇オリジンの解読を試み、失敗することによって、建国の父でもあるハルザナドの知と魔術への畏敬を示す……。今代の天子はそれで死に、時代がまた新しく生まれ変わる。

「あ、あー……じゃあ俺は、魔術師になればイイってことすね?」

「……本校の試験に合格するより難しいと思いますが……」

「それは大丈夫、俺は最強の魔術師の弟子だからな! 今すぐに精刻獣とやり合えって言われたって平気だぜ」

「…………」

 アトラスは自信満々に力説したが、彼女はもはや迷惑そうな顔になった。

 どうやら本当に、親愛なるイシュエント学院はアトラスをお断りのようだ……。いいや、一年半もの遅刻をしてしまったのが全面的に悪いか。そりゃそうだ。アトラスは涙を拭う心地で、どうにか笑顔を保ちながら告げた。

「……どうもありがとう、魔術師に会ってくるよ」

「あっ……、……はい、どうぞ……」

 踵を返して去り、ついさっきまでは待ち望んだゴールに思えていた絢爛な校門を外へくぐって、アトラスは少し鼻を啜った。情けなさと、惨めさと、寂しさとが、ひしひしと感じられた。

 もう、フォルテに全て打ち明けてしまってもいいのかもしれない。何もできずに失敗するよりマシじゃないのか? 罪は早いうちに明かしてしまった方が軽くなる。——俺は一つ街を移動することもままならない無能でした、と?

 鞄の底板になっていた手帳型の魔導機器を掘り起こして、アトラスは手持ち無沙汰にそれを開いてみた。魔術式は不活性で、フォルテから何かが届いた形跡は全く見当たらない。当然だろう、彼女はアトラスに課した長期的で自由な計画とは違う、もっと危機的な戦いに身を投じているに違いなかった。彼女を困らせたくない、けれども。

「……もし、俺がただの道具じゃなかったら——」

 このバカと罵りつつも助けてくれる彼女の姿を想像して、路地でハアと頭を抱えてしゃがみ込む。アトラスの知る限り、彼女にできないことはないようなものだ……それでも、もう子供じゃない、と彼女は言ってくれた。やっぱり、その期待に応えられないのは嫌だ。星環祭まではまだ一年あるんだ。

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